Nobby のサーフ&グルメ

ナダクとその周辺のグルメの探求に、時々サーフィン時々スノボ

ネパール&インド 1980

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スリランカは仏教国です(もちろん宗教の自由は保障されています)。
ヒッカドゥアまでの列車の中では、現地の人達は列車が寺院の前を通る度に起立して、手を合わせるという光景を幾度か見かけました。
日本ではありえないのでちょっとびっくりしました。

あと、ズタ袋に蛍光灯や電球等の割れたガラス片を入れて、乗客の前でそれをバリバリ食べるという芸をする人が自分達の車両に乗り込んできて、その芸を披露したので、ちょっとショックを受けまた。

書き忘れていましたが、南インドのバスの旅ではバスの休憩タイムに障害者の一団が乗り込んで来て、障害の部分を私達の目の前にさらして、お金を要求するという出来事もショックでしたね。
後で知りましたがそういうカーストがあって、そのカーストに生まれると障害がなくても、障害者にされてしまうという凄まじい話を聞きました。
少し前に話題になったインド映画、スラムドック・ミリオネアにも、ちらっとそんなシ−ンがありました。

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さて、ヒッカドゥアではオンザビーチのそこそこの宿をゲット。
すぐ前が波うち際なので、浪の音がうるさいような気もしたけど贅沢ですね。
明くる日着いたドイツ人の老カップルは、南国の日差しの怖さが分かってなかったようです。
日光浴を始めた数時間後には、火傷で救急車に運ばれて行きました。

当時はドイツ人のリタイヤ組がここを訪れるのがブームになっているという話でした。
そのせいか旅行者向けのレストランもけっこう在りました(とはいえ例によって、掘っ建て小屋だけど)。
ただ、お店のイスには南京虫が巣くっておって、半パンで座ったおりに、えらいことになったことがあります。


ヒッカドゥアでサーフィンができるという情報は当時からありました。
朝夕にはかなり遠い沖に、サーファーが浮かんでいるのが点で確認できました。
今思うとアウターリーフのブレイクなんでしょうね。
少し歩くとボードをレンタルしているお店もあったのですが、お店の前に良い波がたっているようでもなく、サーファーもいなかったので、サーフィンの初体験は、後のバリ島でということになりす。

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ヒッカドゥアは今では有名なサーフポイントになっていて、訪れる日本人サーファーもかなり多いようです。
その人達のブログやHPの写真をみると、ビーチにいい波がたっていて、私達が訪れた時期はサーフシーズンではなかったのかもしれません。
数泊の滞在後、ブッダの歯が納めた寺院があるというキャンディーという街を目指します。
◆この寺院の拡声器からお経が流れ、門前の通りに泊まった私たちは眠れず・・・

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やっと船が出る日が来て、インドからバイバイする日が来ました。
船乗にあたり言われた場所へ行くと、海岸から小さなボートで沖に泊っている船までピストン輸送で客を運ぶという気の長い話でありました。
それでも、なんとか昼近くには乗船し、デッキにの椅子に自分達の座る場所を確保できました。
だけども、もうスキ間の余地の無い椅子にインドの方たちは、少しでもとお尻をネジ込んできます。
そんな無茶なとは思えど、黙っていると、その行為はどんどんエスカレートしていき、私達のお尻が徐々にイスからはみ出ることに・・・
やっぱり、「声」をあげて自己主張しないとインドではやられてしまいます。

「こえ」といえば、船のトイレこれがまた凄まじい。
トイレには一歩も踏み込めませんでした。だって溢れてるんだもん。

◆リキシャマンが案内した快適な宿。
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夜になってなんとかスリランカの「タライマンナール」という処に着きました。
下船する少し前に、船酔いでフラフラになっている日本人旅行者に出会いました。
なんとかヘルプして、連絡している鉄道の駅まで連れて来たんですが「僕、これ以上動けません」とのことでした。
「こんな処に宿等ないし、寝台車に乗ってしまえば何とかなるから」とチケットを買ってあげようとしたんですが、彼曰く「いいです。一歩も動けないから」ということで、これ以上のお付き合いしきれない・・・ということで、その旅行者とは別れました。

私達のアドバイが最善とは限りませんし、彼には彼の旅の仕方があるのですから。
私達は、その駅で、コンパートメント寝台というチケットをゲットしました。

列車はさほど遅れることもなく到着し、車掌にチケットを示したところ、「夫婦か?」と聞かれ「違います」と答えると、じゃあ同じコンパートメントに乗せられないと言われました。
当時は入籍していませんでしたが、正直にそう言う必要はなかったんですけどね。
なるほど、宗教の生きてる社会では車掌氏のいうことは、まっとうなことなんでしょう。

「ほどなく結婚する間柄である」と説明すると、特例で許すということでしたが、車掌にそんな権限があるはずもなく、車掌氏は道徳のレベルのことを言いたかったのであろうと今では思えます。
日本でもそういう風な道徳観が、○○年前まではあったということは、私達の年代であれば覚えがありますからね。

コンパートメント寝台、もちろんNO・AC車両です。
だけど、りっぱなソファーや洗面台が付いていてびっくり。
料金はかなり安いんですが、ほんとにお部屋という感じがしました。

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とにかく、朝にはスリランカの首都であるコロンボに到着。
オート三輪で市内を若干観光、後に鉄道でヒッカドゥワという村へ鉄道で移動しました。
ヒッカドゥワは80年においてもサーフィンができるというこで知られている処でした。
当時の私はサーファーという訳ではありませんでしたが・・・
ケララ州の避暑地、ナムール滞在中にもう一つコダイカナルという避暑地(タミル・ナド州側に)があるというのを聞きつけて、そこを経由してスリランカに近ずこうと決めました。
現地の方や行きかう旅人との会話の中で、自分の旅のルートが決まっていくのは、なんだか楽しいものです。

ムナールの宿をチェックアウトしてバス停で待っていると、車庫から出てたバスに現地の人がどんどん飛び乗って停留所に着いた時点では満席になってしまいまいた。
停留所に着く手前、未だ走っているバスに飛び乗るのがローカル・ルールとは知りませんでした。

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とにかく、日本ではバスは列を作って順を待ち、且つ停まってからの乗るもんじゃい!と言ってみても仕方ないのは明らかです。
自分達はこの朝から夕方まで一日このバスで移動することになるので、席を設けて貰わないと絶対に困るんだと強く主張しました。
相手からすると、外人のガキが駄々こねてるわ〜てなもんでしょうが・・・
駄々をこねた成果があり、なんとか少しずつ詰めて貰って、席にありつくことができました。

西ガーツ山脈をどんどん下っていくのはなかなか壮観な風景ですが、写真を撮るような余裕はありません。
乗り物になれてない現地の人は、窓からゲーゲーと吐いています。
バスには窓ガラスなどないので、吐かれた物の幾分かは風にのって私達の座る後ろの席に飛んでくるのです。
それでも、雄大な景色に圧倒されているので気にならないという感じでした。
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夕方近くにコダイカナルのタウンに着きタクシーだったかオート三輪だったかで、宿のある湖のある方へ行きました。
ドライバーがいうには宿は医師の学会があってどこも空いて無いとのこと。
とにかく日が暮れてしまったので、ドライバーに勧められるがままに、お金持ちの大きな邸宅の一室を借りてその日はそこに荷を解きました。
今から考えるとその部屋は暖炉もあって、普通のホテルに泊るより良かったとも思います。

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その日の夕食を求めて外をぶらつきましたが、観光地然とした感じの処で、ちゃんとした観光客が使うようなレストランも何軒か並んでいました。
通りやお店の中は、当時名をはせたラジネーシのサンニャーシン(出家者)達が、けっこう目立っていました。
自分達はスリランカ行きの船が出る港の街、ラメシュワラムを目指して旅を急ぎました。

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ラメッシュワラム、ここもヒンドゥー教の大きな聖地でした。
ここへもやはり夕暮れ時に到着したので、思うように宿は捜せず、リキシャマンの勧めるがまま巡礼宿のような処へ泊りました。
夜中なのか早朝なのか、寺院から突然お経が流れてきて眠れません。
あくる朝は昨日のリキシャマンが向かいに来て、外人向けのツーリストバンガローに連れていってくれました。
ここは清潔で静かな公共の宿で、なかなか快適なロッジでした。
ここで、数日間船が出るのを待つことになりました。

ケララの海岸部から、バスを使って山越えでスリランカへの港街&聖地のラメシュワラムへ抜ける旅を経験した人はかなり珍しいだろうと思っています。
南インド山岳部では、日本にもある(いる)ような普通の植物や昆虫が原始時代?かのように、でっかいのがいて、今でも目に焼き付いています。
自分達に体力が無いせいなのか、エレナクラムの暑さには閉口しました。
南インドの旅のパターンとしてはやや内陸に入って聖地マドライへ向かうか、海岸沿いを南下って州都トリバンドラムに向かうというのが一般的でした。

暑さを嫌った自分達は、避暑地があるよというローカルの言葉に乗って、エレナクラムのバスターミナルからムナールという処へむかいました。
途中乗り換えとかあったのですが、英語表記が全くなくなり旅行者にも全く出会わなくなったので、えらいことに来てしまったなとかなり不安になりました。
現地の人に尋ねまくり(一人のいうことは信じられず複数人に聞いて判断)、乗り継ぐバスのバスストップへ急ぎます。

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たぶんこのバスだろうと思って乗ったバスは夕方近くになって、とある小さな集落に着きました。
乗客は全員おりてしまったので、ここが終点なのかと思い自分達も降りました。
しばし、訳が分からず茫然としていると、バスの車掌が、Come. Comeと降りたバスに戻るよう手招くので、再び乗車しました。

もうひとつ先に村がありそこがこのバスの終点地のようでした。
バスは一旦休憩だったのか、なんだかよく分かりませんが、自分達の他に数人の乗客をのせ再び走り出しました。
ただ、車掌さんは私達のこと(外国人旅行者)を気遣ってくれたのだろうなという想いはあります。

結局その日に辿り着いた処はクミディとう小さな村だと記憶しています。
日が暮れかかっていたし、まともな宿があるようにも思えない村だったので、先に目に付いた食堂で交渉してその一室を借りて一夜を過ごしました。

明くる日は、もう少し宿らしい宿を通りに発見したので、そちらに移動しました。
ところがなんとそんな処で、日本人カップルに遭遇して、びっくりしました。
その日本人カップルは世界一周をしている途中なんだと言っていました。
この村には、ケララの特産物である、とある農作物のファームがあるというこで見にやって来たらしく、そういえば仲買人らしい白人が数人住み着いてるようでした。

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めったに無い機会なので、その日本人カップルにくっ付いてファームを見学しました。
全くまっとうで健全な農家のようで、正式に許可をとってやっているのか基本的に合法なのか危うい感じは微塵も感じられませんでした。
このブログを書くにあたって調べてみると、とある農作物は1980年のインドにおいては全く合法的な作物でありました。下記◆を参照

明くる日、自分はこの旅で初めて、発熱してダウンしてしまいます。
3日ほど寝込んだ宿のベットには、南京虫が巣くっていて、南京虫に食われるがままに過ごしました。
風邪薬を近くの集落で調達したりするうち目的地であるムナール(ムンナール(Munnar))へのアクセスも判明しました。
ところで、このダブルカッティングという村ではなぜかビーフカレーが食べられました。
よく見ると村の入口には赤地に鎌の共産党の旗と、その隣にはキリストの像が立っていたのです。

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その後になんとかムナール(ムンナール(Munnar))という避暑地に到着。
ムナールには安くて小奇麗なゲストハウスがあり、宿のエントランスに入ったとたんジャクソン・ブラウンのランニング・オン・エンプティーがかかっていたので、大変びっくり&感動しました。

◆1964年インドはアメリカ主導の世界保健機構のとある条約に批准しました。
それにより、25年間の準備期間を置き、(その間は専売公社制度を採用)1989年にそのとある農作物は非合法化されることになりました。
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ケララ州コーチンは南インドの重要な貿易港であり、観光地としてもバック ウォーター(水郷地帯)やチャイニーズフィッシングで有名な処です。
また、ケララはアーユルヴェーダの発祥の地としても知られています。
私達は鉄道でマドラス(現チェンナイ)から斜めにアラビヤ海側へ横断してきたため主要駅であるエレナクラムで一旦下車となりました。

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とりあえず自分達の旅に見合ったお値段の宿へ。
それなりの部屋をゲットしましたが、部屋の天井のコーナーに蚊柱が薄黒く立っているのに気付きギョエ〜!
宿のタッフにそのことを告げると、インドの蚊はへたれだから、天井の大きなファンを回しておけば、風圧で人には近づけないから平気だとさ。
まじかよ、って感じだけど一泊はしてみることに。
近くの雑貨屋で、蚊取り線香等を探して見たけど、蚊を殺すというアイテムは皆無でした。
あるのは、蚊が近ずかない為のスキンクリームのみ。
ジャイナ教の影響があるのか蚊を殺してまで排除することはない、ということなのでしょうね。

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明くる日は、コーチンに移動。
バック ウォーター(水郷地帯)の岸辺やチャイニーズフィッシングの近くにいってみたけど、あまりピンとこなかった。
ただ街並みはポルトガル風というのか独特の情緒を醸し出していました。
というのもポルトガルやオランダが入って来る前はイスラエルの民が住んでいたそうで、その名残は今もあるようです。
コーチンの宿はドミオンリーのユースホステルになりました。
他の宿泊客はいなくて、貸し切り状態です。ここには蚊帳がありました。

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その後、移動の為一旦エレナクラムに戻り、この旅で初めてエレベーターのあるホテルに泊まりました。
エアコン付きの部屋でしたが、自分達はどんなに暑くてもエアコンが嫌いなので、止めようとしましたが、自室にとめるスイッチがありません。
スタッフに、この部屋のエアコンは止めるかと尋ねると、止めれるというので、止めてもらいました。
チェックアウトの時、オーナーから「あなたらはエアコンを使わなかったんだから、部屋の料金を値引きしとくよ」と言われ、びっくり。
インド人が自主的に値引きするなんて、めったに遭遇しない。いや、奇跡に近いでしょうね。

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ここ、ケララ州はそれまでのインドとはなにか違うと感じました。
まず、子供が働いていない。これは当時の(今も?)インドにおいてこれは大きいことです。
しかも、みんなきれいな制服をきて学校に通っているのをよく見かけました。
あと、東芝の電池が安く買えた。
その直後、めったに入らない綺麗なレストランで、東芝の現地社員とお話をする機会がありました。
当時のインドは、経済統制・貿易統制を緩め始めたばかりの時期でしたが、ケララ州だけは何か別の力が働いているような気配がありました。

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このブログを書くにあたって少し下調べをすると下のような記事が出てきました。
元々ケララ州は左翼的な地域であり、1957年に世界初の普通選挙を通じた共産党州政権が発足して以来、ほとんどの期間で共産党が第一党でり現在も共産党が州政府の与党なのです。
共産党下の識字運動によって同州の識字率はほぼ100%に達しています。
幼児死亡率も先進国並になのだそうです。
その経済の在り様はノーベル賞を受賞した経済学者アマルティア・センからも絶賛されているのだそうです。
ふ〜ん、なるほど、それまでのインドとは違うはずだわ。

余りに暑い南インド。 私達は涼を求め標高の高い内陸部を目指すことにしました。

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