Nobby のサーフ&グルメ

ナダクとその周辺のグルメの探求に、時々サーフィン時々スノボ

ネパール&インド 1980

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トレッキングの初日は道に迷い農家の軒先で一泊

◆トレッキング中に幾度か出会ったロバの商隊。
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ポカラで充電中、おかしな充電の仕方をしてしまったようで、主観的には元気もりもりなんだけど、肝心なところがボケボケになっていました。
当時でいうと、本来のコースはオールドバサールから、車を使い尾根沿いの登り口まで行き着いて、それからトレッキングの開始となるのです。
そこを私達は、ペワ湖のレイクサイド沿いから北上して一気に山麓から山腹を登りノーダラ(当時はナウナンダといった)へ向かう尾根を目指してしまいました。
その結果、位置を見失い、きつい傾斜を登れなくなり、あえなく停滞。
日暮れも近づき、寝袋のみでビバーグかと、途方に暮れかかると、下から子供三人が自身より大きいと思われるワラを背負ってこちらに近ずいて来るではありませんか・・・

◆牛飼いの隊列。崖を登って避けないと、すれ違う余地がない。
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結局、その子供達に導かれて彼らの家で夕食をふるまって貰いました。
そして、軒下を借りて一夜を過ごすことになります。
夕食は、茄子の煮物とライスですが、寝袋に入るとポカポカと身体が暖まってくるのは、煮物の味付けに使われたジンジャーとガーリックのように実感できました。
屋内に泊めてもらえなかった理由は謎ですが、それなりの理由はあったのでしょう。
道に迷って来た処ですから、外国人が珍しいのでしょう。
周囲の家々から人が集まって来て、見世物状態になってしまいましたが、この旅のハイライトともいえるひと時でした。

◆手前の丸い山を越え、後ろの山も越え、どんどん進まないと宿泊する村へ着けません。
山腹の白い筋が道です。見通しがいいので近いと感じるんですが、歩くと全然着かない。
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次の朝、彼らはお金を要求しなかったので、自分たちと同じ、ノーダラ方面へ行くという少年にポーターをお願いし、その報酬として幾ばくかのお金を受け取って貰うことにしました。
ノーダラ方面に学校があるという少年に遅刻するからもっと早く歩いてよと何度も叱られながら、なんとかノーダラに到着し、その日はノーダラに一泊することにしました。
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その後、温泉があるというタトパニという村を目指しますが、山に入る前にトラベラーズ・チェックを現金化することを忘れていることに気付きました。
目的地のジョムソンには銀行がありますが、その時の所持金では到底ジョムソンまで辿り着けません。

再び、途方に暮れるくととなりました・・・

30年程前のポカラのひとこま

2000年代前後にネパールはポカラに旅された方はこれらの写真を見てどう感じるでしょうか?
このブログをアップする前に少しWEBで、昨今のポカラの画像などを眺めてみたのですが、むちゃくちゃ変わったなとも思えるし、さほど変わってないかなとも思えました。
象徴的なものは昔のままの姿であり、付随するものは大きく変わったということでしょうか。
未舗装だった道路が舗装されたり、ペワ湖の護岸が整備されたり、宿やお店は新しく建て替わっているんでしょうが、それが昔からのもののように感じてしまうのは、ポカラの持つ象徴的なものの圧倒的な力であると感じました。

例えば、この木は昔も今もここにあるので、周りが多少様変わっても、昔のままであるという印象を覚えてしまいます。
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ペワ湖にはダムができて、その周辺にお店や宿ができだした為、ダムサイドという言葉がある時期から使われだしますが、ダムサイドがどのあたりを指すのか自分にはわかりません(今、調べると湖の南の端っこあたりらしい)。
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民家等は未だに、私が訪れた頃と様変わりしていないのではないでしょうか。
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レイクサイドに旅行者相手のレストランは幾つもありましたが、今思うと概ねが掘っ建て小屋で、それでもそれが、しぶい!と思える空気がその当時にはあったのです。
下の写真、これレストランなんです。
シバ神の好物とされる神聖な植物が中央に覗いています。
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下の写真のあたりは、今でいうレイクサイド北にあたるところで、幾つかのレストランが集まっており白人旅行者達で賑わっていました。
改めて写真を眺めるとスティービー・ニックスとかワディー・ワクテルさんみたいなかっこうの人が多いんです?
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超怪しげなご婦人2名。右の方の鼻ピー(鼻輪?)が凄いですが、こっちではまま普通にあるスタイルです。
たしか、ハンドメイドのジャムを売っている人達でした。
ネパールのご婦人たちのファッション(民族衣装なんですが)って、かっこいいなと今でも思っています。
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当時のバスストップのあたりでしょうか、イギリスのものと思われる2階建てバスが印象的です。
今もまだあるんでしょうか?それはないよね・・・
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このポカラで気力体力は充電され、日本ではハイキングでさえしない自分が、西ヒマラヤはアンナプルナを望むジョムソンという処へ向けてトレッキングするということになります。

ところがその初日から、道を間違い途方に暮れる羽目になろうとは・・・

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遥か遠い約30年前のネパールのお話

1980年10月、ネパールのカトマンズにやってきました。
まだマオ派の出現するずいぶん前であり、タメル地区にはロックミュージックを流す様なカフェなどは未だ1軒しかありませんでした。
当時にぎわっていたのはダルバー広場を中心とした界隈で、中でもジョッチェン通りはフリークストリートと呼ばれ、バックパッカー(当時の表現ではヒッピーでしょうか)相手の安宿やカフェが集まっていました。
テンプー(オート三輪のタクシー)も未だ無く、街は埃っぽくとも大気汚染の始まる前であったと思います。
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飛行機がカトマンズ盆地に舞い降りようという時の風景を見て、私はまるで中世の世界に迷い込むかのような気持ちになりました。
滑走路や飛行場周辺にも牛がいて、入国審査のあたりで既に独特な香りが立ち込めています。
到着した日はダサインといわれるネパールの大きなお祭りの終わりにあたる日だったようで、夜は軒先や窓際に 灯り(バターランプ)が点々と灯され非常に幻想的であったとゆうふうに覚えています。
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まだ、静かだったころのタメル地区にはツクチェピークロッジという宿がありました。
今でいう日本人宿で、奥さんは日本人、ご主人は日本滞在の経験がある方でした。
奥さんとは不思議な縁があり、その2年前にグループツアーできたネパールはポカラのホテルがたまたま同じだったのです。
その時自分は赤痢にかかっていて、発熱し闇の中をベッドから這って幾度も下して往生していたのです。
偶然同宿であった奥さん(その時点では未婚)に抗生物質を頂いて、難を逃れたという経緯があります。

◆ご主人のトラチャンさんと、出来たばかりのお子さん。
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10月は天候の良い日が続くので、早速カトマンズを後にしてトレッキングをする為に西ネパールのポカラという町まで、バスで移動することにしました。
当時は未だ、トレッキング・パーミッションが跳ね上がる少し手前であったのです。
その数年後には、ビザの延長やトレッキング・パーミッションの値段が跳ね上がりネパールもその様相を徐々に変えつつある転換期であったのかもしれません。

◆ボーダナート
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