Nobby のサーフ&グルメ

ナダクとその周辺のグルメの探求に、時々サーフィン時々スノボ

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長谷川きよし / 別れのサンバ は1969年の作品。
当時そこそこヒットしたような記憶があります。
深夜放送から火が付いて、いわゆるフォーク世代に支持されたというパターンはその時代を象徴していると思います。
 
自身は、ナイロン弦(ガット・ギター)の音色に興味がなくほとんどスルーでした。
久々にYoutubeで2013年のライブを観たらびっくり。
まさに超絶ギターです。
テンション・コード入れまくり、フィル・イン入れまくり、パーカッションが入っていることも手伝って、グル―ブ感が増しさながらロックのようといえば言い過ぎか・・・
 
 
彼の唄の中では、野坂 昭如の作品をカバーした「黒の舟歌」が有名です。
長谷川きよしで想い出すのは、彼と同じ境遇でやはりガット・ギターを操るプエルトリコ出身の歌手、ホセ・フェルシアーノ。
1969年にリリースされた「RAIN(雨のささやき)」は私らの年代では知る人も多いでしょう。
 
斎藤哲夫 70'Sフォーク・マニアなら知ってるかも?一般に知ってる人は少ないでしょう。
 
ただ、1980年に宮崎美子が出演していたミノルタのCMソング「いまのキミはピカピカに光って」は知ってる人も多いでしょう。
 
グッドタイム・ミュージックは1974年の作品。
自分は、進学も就職もしないで夜な夜な酒をあおって、兄のカセットデッキでこの曲を繰り返し聴いていました。
 
すこし前、たまたまYoutubeで小田和正が「クリスマスの約束 2006」でこの曲を取り上げているのを発見。
 
 
ビートルズのようなコード進行にハーモーニーはこの時代では新鮮でしたが、デビュー当時の彼を知ってる人にとっては彼らしく無い唄とも言えます。
 
1970年、中津川フォーク・ジャンボリーで唄われた、「悩み多きものよ」や特に「斧を持て石を打つがごとく」は革命前夜を想起させるような歌詞であったからです。
新左翼、全盛期の時代。
自分はまだ中学生で、音楽の力で世の中を変えれると本気で思っていました。
 
皮肉にも中津川フォーク・ジャンボリー(1971)は新左翼の○○派によってステージを占拠されコンサートは中断だったか中止だったかになりました。
自身はその時現場にいましたが、混乱の内に中止になったように記憶します。
 
トッド・ラングレン(Todd Rundgren)の代表作の一つといえる Can We Still Be Friends (1978)
ロバート・パーマー(Robert Palmer)がカバーしていた。
 
Robert Palmer / Can We Still Be Friends
 
 
 米TVドラマ、アリー・マイラブ(Ally McBeal )の挿入歌として、使われたVonda Shepard /Can We Still Be Friends
 
 
アリ―・マイラブは当時楽しみに毎回見ていました。
ときどき、クラブのシーンが出てきて、出演者、あるいはゲストが出てきて唄います。
Can We Still Be Friendsは観た記憶にないですが、Every breath you take の時は観た記憶があります。
ボン・ジョビ(Bon Jovi)もときどき出ていました。
この時はスティングがゲスト出演しています。
 
 
「クリーム」の元メンバーでベーシスト、ボーカリストのジャック・ブルース氏が10月25日に死去した。
享年71歳。
クリームはエリック・クラプトン(G)、ジンジャー・ベイカー(D)ジャック・ブルース(B)で結成されたバンド。
1966年から68年まで活動した。
68年にヒットした「ホワイト・ルーム」は当時AMでも盛んにかかっていたので、クリームは知らなくてもホワイトルームは聴いたことがある人は多いと思う。
エリック・クラプトンを世界的に認知せしめた曲と言えるだろ。
 
クリーム再結成 2005年 ホワイト・ルーム
 
その後クラプトンは、ジンジャー・ベイカー、そして「トラフィック」で活躍していた、スティーブ・ウインウッドブを引き入れて、「ブラインド・フェース」を結成するも、これも2年で頓挫する。
 
アメリカに新境地を求めたエリックは、デレク&ザ・ドミノースを結成。
アルバム・タイトルの「いとしのレイラ」ではディアン・オールマンがゲストでスライド・ギターを披露しロック・ファン、ギター・ファンから注目を浴びるが、このバンドも1年程ほどで消滅する。
その後、エリックは深い闇の底に沈んで行くことになる。
 
BLIND FAITH   in the Presence of the Lord 当時の珍しい映像。
エリックや、スティーブが子供に見えちゃう。
 
エリック・クラプトンの話ばかりになってしまったが、ジャック・ブルースはクリーム解散後、メジャーなミュージシャンとの活動は、ほぼはたせていなかったように思う。
 
しいていえば、アメリカのロック・バンド「マウンテン」のレスリー・ウエスト、コーキー・レイングとのトリオ、「ウエスト・ブルース・レイング」を編成することになるが、結局波に乗れずグループは1973年半ばに頓挫したという。
 
最近、再結成を受けて「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」の曲がラジオで時々かかっていた。
気になってYoutubeで探したが良い音の投稿がないので数週間前に、CDを買って聴き直していたところだった。
演奏やアンサンブル、もちろんボーカル全てが最高なバンドだと今更ながら感じていた。
ところが、今日ラジオで訃報が流れて驚いた。
 
この熱い魂を伝えたいんや〜オープニング
 
 
 
伝説のR&Bバンド「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」のベーシストの藤井裕(ふじい・ゆう)さんが16日午前7時35分、食道がんのため東京都内の病院で亡くなった。
享年62歳。

藤井さんは今年5月中旬、体調不良のため入院。
精密検査の結果、食道がんと診断された。
「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」は6月に、三重県松阪市で再始動公演を行う予定だったが、9月に延期になっていた。

その9月15日の三重公演。
藤井さんが強く希望し、都内の病院から会場に駆け付け、アンコールにサプライズ登場。
3曲演奏したのがラストステージになったという。

 「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」は73年結成。
「この熱い魂を伝えたいんや」で注目を浴びた。
藤井さんは96年「忌野清志郎 Little Screaming Revue」に参加。
2007年には清志郎さんプロデュースによるソロアルバム「フジーユー」を発売している。

訃報は「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」の公式フェイスブックでも報
告され、ご家族に囲まれた最期だったという。
 
 
 
「むかでのきんぞう」 当時の懐かし動画
 
 
藤井裕さん作の「最終電車」
 

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