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あの時代の「赤い釜石」は楕円球の太い地軸であった。
東北地方の無印高校生達を中心とした寡黙な情熱集団と、巷のラグビー好きの理解を裏切る程の先進理論。全ての楕円好きにジャージの色以上の「燃える赤」を焼き付け、日本の東西を問わず魅きつけられずにはいられなかった北の鉄人達。
嗚呼、我が楕円初期の「憧れの釜石」。
楕円書にも精通した役者友人の薦めもあり、今更ながら「釜石ラグビーの挑戦」(大友信彦 著・水曜社)を読んだ。青い釜石の挑戦と苦闘。
劇的な改革であるクラブ化決定からのチーム、スタッフの苦悩・葛藤。
「ゼンコー」ことGMの高橋善幸氏の選手勧誘からその就職斡旋、その時々の配慮と苦悩は選手達だけではなく、全方位に注がれていた。ヘッドコーチ・桜庭吉彦氏も共に悩み、鍛え、39歳でコーチ兼任で現役復活までした。すべては人材不足と環境に恵まれないカマイシのため、シーウェイブスのため。
こんな桜庭氏の熱意と求心力は35歳の青い目の侍、アンガスことアンドリューマコーミックをも招くこととなり、その「日本での最後」を熱いものに引き戻した。アンガスにとって厳寒の釜石での2年間は温かく、充実したものであったに違いない。引き際で大漁旗を振ることのできたキウイの幸せなことよ。
私のとっての釜石の象徴、桜庭氏の話で秋田の雪にスパイクは利くが、釜石のグランドのアイスバーンにはスパイクは利かないとあった。言い訳ではない、氷のグランド・・・それが釜石なのである。
言い訳のない桜庭氏が39歳の復帰後に無念のラストシーズンを終えての言葉があった。
「4年間ヘッドコーチをさせてもらったけど、4年間で選手全員が集まったことって一度もなかったんです。試合、練習、その他の行事も含めて。それが残念でしたね。」
クラブ化以降、多くの熱ある無印が釜石の門を叩き、そして出て行った。幾多の偉大な岐路・決断と厳しい別れがあった事実。釜石は志高まる行き先でありながら、誇り高き出発点にもなった。
たった今、ホームページを見て、才溢れる無印の名を複数確認して少々安堵する。
尖ったSH池村はコーチ兼任。タックルで顔面を骨折する幼稚園の先生も、土日をラグビーで棒に振る自動車セールスマンも、アンガスに見込まれたツシマもシノハラも健在だ。
無性に沸き起こる思い・・・岩手で「釜石たる」青いカマイシを観たい。
カミサンに言ってみた。
「そのうち、お前の盛岡のオバサンとこ、顔出すか?」
勿論、快諾。
勢い、イスを反転させて後ろの本棚から一冊の本を探した。
「スポーツ発熱地図」(藤島大 著・ポプラ社)
7つ目の町に、「やはり釜石」で自らの岐路を静かに踏みしめる酒場好きを確認した。。
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