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先週の半ば、アイスホッケー・日光アイスバックスの伊勢泰監督が退任の報。
唖然としてしまった。まだ3年じゃないか。
もう3年? しかし、こんな時代だからこそあの好漢に指揮を続けてほしかった。
知人が伊勢氏と知り合いのため、1月ほど前に一度お会いしたことがある。(といっても一度きりの門外漢など、きっと忘れられているだろうが・・・)
場所は伊勢氏のやっているスポーツバー。店内はバックスマッドでいっぱい。鮮やかなアメリカンビールのネオンや、ホッケーチームのユニフォーム他、アイスホッケーアイテムで埋め尽くされた店内は、落とし気味の照明が鮮やかな空間をより演出する。ダーツを楽しむ者、大型スクリーンのアイスホッケー映像を食い入るように見ている者。客と伊勢氏との距離が近いのは、彼の人柄だと察するのに時間はかからなかった。
そのときの、カウンター越しの会話で「来年もやらせてもらえるかはわかりませんから・・・」と苦笑していたっけ。僭越な言い回しを承知で言えば、若いのにしっかりしている。そして懐深い「人への愛情」がある。
この謙虚で温かい人間力こそが、古河電工時代からの生え抜きであるということ。そしてアイスホッケー人生の中で、勝負以外のあまたの苦境を乗り越えてきたということ。
彼は穏やかに私のスポーツ暦を訊ねてきた。ラグビーだと答えたらニッコリ笑って
「私も小学生のころラグビーやってました。結局アイスホッケーに行っちゃいましたけど。父がラグビー好きで。」
目前でドリンクを作る生粋のホッケー男も、北の大地で楕円球を追っていたという事実。
なんだか嬉しかった。少年ホッケーと少年ラグビーの話の中で、私が「アイスホッケーは用具代とか、リンク代とか子供でも大変だよなぁ。ラグビーはスパイクとヘッドキャップだけだもん。」
野暮な発言だったかもしれない。
バックスマッドの中で言われること・・・自虐を込めて「西武の年間予算があれば、バックスなら3年以上運営できる」。その西武も廃部になり、バックスを取り巻く環境はこれまで以上に厳しいのだ。
そのとき、伊勢氏がしみじみと言った一言が忘れられない。
「高橋さんがいなかったら、私もバックス途中でやめていたと思います。あの人の情熱を考えたからこそ、ここまで続けてきました・・・」
するどい眼光に、刹那寂しげな影が映った。
故・高橋健次氏。日光に本拠を置いていた名門・古河電工アイスホッケー部の解散と共に、市民クラブ日光アイスバックスを立ち上げ、命の限りに自身の全てを注いだ男。以前、アイスバックスの試合会場で配布された会報で、その生涯を読んだとき、とてつもなく熱いものが込み上げた記憶。
その高橋健次氏の魂を引き継ぎ、栃木のアイスホッケー史を全力で滑走して来た男の、今後の人生に幸多かれと祈るばかりである。これまでのフォアザチームにおける自己犠牲も少なくなかろう。
しかし、これからの人生、氷上への熱は冷めるはずもない。
その延長に霧降劇場への復活を期待しつつ、伊勢監督、ひとまずお疲れ様。。
☆高橋健次氏について
http://www.tbs.co.jp/zone/onair/2002/124.html
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