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日本はラグビーにおける強豪国ではない。
にも関わらず、全人口に比してラグビー人口の数が多いのはなぜだろうか。
そして今、ラグビーという競技の人気衰退が叫ばれるのは何故だろう。残念ながら、シーズン総入場者数で見ても、ラグビーバブルであった80〜90年代には遠く及ばないであろう。
ベタな言葉であるが、日本の文化・精神が、ラグビーと極めて融合し易いことは間違いない。
ジョン・カーワンではないが、「武士道」に代表されるような世界。
そして、「謙譲の美徳」「まず相手を敬う」といった敬語が特徴的な「日本語」の世界にも、相性の良さの要因はあるような気がする。これは、先日、外山滋比古さんの「大人の言葉づかい・中経文庫」を読んで、ふと思ったことである。(就職前の学生にはいい本かもしれない)
敬語が存在するのは日本だけではない。
しかし、日本における敬語の位置づけは、他国と比しても、極めて特徴的なはずである。
尊敬語、謙譲語、丁寧語・・・少なくとも、私の知る範囲の(ゼロに等しい)英語より、日本の敬語の位置づけは高いであろう。
文字通り、敬語は相手への敬意の表現である。
故、レフリーや相手、仲間への「respect」を第一に謳うラグビーというものが、日本という国に馴染んだのは当然であろう。ここは、ルーツ校である慶應と、蒔くべき種を蒔いてくれた田中銀之助、クラーク氏に深謝である。
日本語には1人称と2人称が、その複数形も含めて多数存在する。
まずは相手との関係を大切にし、「情」「絆」から入る国民性があるからであろうか。
私、僕、オレ、小生、我輩、我等、我々、僕たち、俺たち・・・。
君、お前、貴兄、貴方、てめえ、貴様、君たち、貴方達、お前たち、貴様ら・・・。
TPOによって自分と相手を表す言葉が変わる。I、We、Youで終わらせないのは、相手との関係を何よりも大切にするためであろう。(外国語にも敬語はあるらしいが・・・)
ところが、最近は敬語の使用も、男女の言葉の違いも、段違いに緩くなってきた。
さすがに、カチカチに厳しいのがいいとは思わない。
現代の女性が手紙で「かしこ」を使う必要性も低い社会である。
不要な敬語の使用で、心許した間柄に、無用な緊張を求めるのは本末転倒である。
しかし、「言葉やモラルの低下」が言われ、ラグビーマンにおけるそれも、極めて危う状況は問題である。人として常識の「挨拶」もしかり。
言葉の変化(劣化)が、敬意の希薄化へと結びつき、最近は「最低限の」敬意・マナーすらも乏しくなってきたと感じるのは私だけではあるまい。この「敬意」の位置づけ低下こそは、ラグビー隆盛のための、肥沃であるはずの土壌の枯渇に無関係ではあるまい。私は言語のことよりも、単にラグビー人気衰退のことが気になっている、ただの「お馬鹿」なのである。
うちとけていない年長者に、平気で言葉も態度も崩す輩。
そもそも、知るべき言葉を知らない輩。(自戒?)
威風堂々を、ぞんざいと履き違える「一部」のラグビーマン。
相手への批判、中傷のみで論客をきどる「一部」のファン。
相手を敬う精神の衰退は、ラグビー精神の衰退となり、ラグビー人気の衰退を生んできたに違いない。
この3段階の衰退におけるニワトリと卵は明らかである。
これは日本の一般社会のみについてのことだけではない。
むしろ、ラグビーの現場にいる関係者、ファンこそが意識すべきである。
指導者と選手は、レフリーや相手、競技への確固たるリスペクトを保持しよう。
そしてラグビーに携わるすべての者は、ラグビーファンは勿論、非ラグビーファンへの思慮をも深いところで保持しよう。
一部の強豪校を中心とした伝統校のサロン化を、敵国の栄華のごとく嘆く人がいる。
それ「だけ」では少し違うと思う。
まずは、知らず識らずのうちに、ラグビーという「競技そのもの」をサロン化している危険があることを、考えるべきだ。プレーヤー、経験者、コアなファンで構成された、ぬるいサロン文化の閉塞性は、伝統校のみの問題に非ず。ラグビーは自らを「過度に」特別視すべきではない。ラグビーを開くべきだ。
もちろん良き精神は100%残しつつ、ラグビーの良さをシンプルに伝えることが肝要ではあるまいか。
どこかの政治家の公約ではない。
ラグビーというスポーツは本当に痛みを伴う。
しかし、仲間があり、絆があり、信頼があるから夢中になる。プレーヤーも観る者もだ。
そこには、万人の心打つ、無数の感動のストーリーが人の数だけある。
生まれた感動がカタチになるのは、プレーヤーのほかに観衆がいて、視聴者がいて、読者がいるからだ。
そして、なによりも「心あるジャーナリズム」の存在が不可欠である。
観るもののみならず、プレーヤーの心をも揺さぶる藤島大。
冷静でいていつも温かい、万能・村上晃一。
目のつけどころに、人間臭さ漂う大友信彦。
潤沢な知識で我々と世界を近づける小林深緑郎。
目次の左隅にすらも、楕円地球の本質纏める田村一博。
幸いにして、我国には素晴らしいストーリーテラーがたくさんいる。
心の片隅に、当たり前の「敬意」を携えて、当り前のいいチーム、いいプレーヤーになろう。
そして良きファンになろう。
それが、皆で周囲にラグビーを開いていく第一歩ではないであろうか。
「肥沃の可能性」を十分に備えた日本のラグビーは、必ずや復興するはずである。しなければいけない。
2019年までまだ9年、もう9年。
周囲にラグビーの良さを伝えるのに、開催直前まで待つ必要はない。。
■親として、また一介のラグビースクールのコーチとして、子供の「ことば」にも今まで以上に留意していこう。ラグビーのお勉強同様、自身の言葉、振る舞いの勉強も含めて。非モラリストの自戒・・・
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