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実家の建て替えのため、その片づけがが大変だ。
中でも祖父の代からの本が大量で、オヤジもオフクロも一生懸命に仕分けしている。
私も可能な限り手伝う。といっても、本と戯れているのは楽しいものだ。
祖父の書斎には、兄貴がダンボール20箱の本を持ち出してなお、とても保存できないくらいの本が残っている。ほとんどがドイツ文学と日本文学、そして詩集や戯曲集。
ゲーテ、シラー、ハイネ、トマス・マン・・・私とは縁遠い名前が並ぶ。これらが、大西鐵之祐や綿井永寿、ダニー・クレイブンだったらなどと、罰当たりなことを夢想する。
ありえないことだ。
しかし、大正から戦前の本も多く、予想だにしなかった詩集などが出てこないかと、違う期待で注意深く整理する。自分とは無縁であったものとはいえ、本の整理は途中で「読んでしまったりする」から、まったくはかどらない。面白すぎて、とてもチャッチャとは出来ない。
古い本なのだから、日本語も当然古い。
題字が左から右ではなく、右から左に並んでいたり、「思ふ」などの言い回しの違い。
表紙などの装飾、紙の質の味わいは、経年によるシミやヤケなどのせいだけではない。古きもののよさは、今ではなかなかお目にかかれない。
セロファンみたいな紙の合間に、祖父あての手紙が挟まっていたり、祖父自身の走り書きやサインがあったりして、しばし思いを馳せる。
これまでは、あまり気にも留めていなかった祖父の古書。
なんだか捨てられないし、取っておくのも難しい。
決してラグビーの古書などは出てこないのだが、今はこうして祖父の書斎で、初めて見る畑違いの古書たちと遊んでいるのが楽しい。
お! 祖母の名前が入った小さな聖書。2冊ある。
祖母が十字をきるのをみたことはない。今になって知りたいことは出てくる。
一掴み! 比較的新しい本のかたまりを漁ってみる。
お! 知っている名前、外山滋比古。
そこにあった「知的想像のヒント」(1977)は、題名こそ違うが、内容は「思考の整理学」に似ている。祖父も同じ作者の本を読んでいたのかと思ったら、なぜか少し頬が緩んだ。
黒髪の著者近影がとても若い。
祖父はこのときどんな風だったのかしら。
私のラグビーなどには反対していた祖父から、もっと本の話なども聞いておけば良かったなどと思った。
ただ、ラグビーに没頭した不肖の孫が、今頃になって少しだけ実家の古びた部屋に居心地の良さを感じる。もうすぐ壊されるという間際になって。
我ながら孫や息子とは、かくも勝手で気ままなものなのだと思ふ。
片づけをしていて知ったことがある。
祖父は絵葉書の収集が好きであったということだ。
祖母と行ったであろう、日本各地の絵葉書や、チラシなどがたくさん出てきた。
袋は古く、そして渋い。しかし、中身はいまだにとても鮮やかだ。
めくっていたら、なぜか小学校時分に集めていた、国立公園や国定公園の切手を思い出した。
独文、サントリー角、きれいな絵葉書。
祖父の書斎から、いまだあの息遣いが聞えてくるような気がした。。
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