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今更、語るべくもない。ラグビーの試合とは、その骨きしませるゲームのみにあらず。
アフターマッチファンクション(以下AMF)や、前後の交流をも含めて、それがラグビーであるならば、ここ数年はその良き文化が急速に失われていることは万人に疑いがない。
某チームでコーチをする知人によれば、トップイーストなどでもAMFをしない試合は少なくないそうだ。
企業に依存した体質の「日本の社会人ラグビー」において、天秤上の「交流や文化」は、片側の皿上の経費削減の冷酷な重みに凌駕されているということか。まったくもって嘆くべき実態である。
ごく一部のチームであると思いたいが・・・組織はいつだって、都合のいいときに「ラグビー」を利用する。装飾された会社のイメージを、ラグビー部(運動部)にかぶせ、社員の結束をスクラムにたとえる。スポーツ選手を安易に擁立する、安易な政治と同類なのか。
一転、チーム存続の否定や、強化方針の変更といった「ラグビー現場」の死活問題への直視は、いつだってホスピタルパスのタイミングだ。どれだけ経営トップの葛藤が深刻であろうとも、やはり悲しいことだ。
自社チームにおける誇り高きラグビー精神、試合後の交流などは二の次、三の次らしい。
そうした、人に、ラグビーに優しくない姿勢は選手との関係に顕著に表れる。シーズンの開始わずか数ヶ月前(数日前?)の青天の霹靂に、いまだにプレーできる環境を探している選手は存在する。
社内で「One For All,ALL For One」を謳った企業は、Allのために身体を張り続けたOneをいとも簡単に放り出す。そのような事態を含めて、「それがプロ契約である」と言うのは容易い。しかし、それでは次の言葉もなければ、その企業チームのモラルの有無も明らかだ。ラグビーと企業とプレーヤー、3者の信頼は、泥濘戦におけるスクラムのごとくもろいものか。
過日、強化撤退をしたトップイーストのチームに、あまたのオファーを断り残留した選手と話をしていた。
「ラグビー」と会社の「仲間が好きだから」と繰り返していた。少し切なくなったが、改めて彼の人柄を思い嬉しい気持ちになった。
いい話も残っている。前述のトップウエストのコーチから聞いた話。
以前、釜石に遠征してシーウェーブスと対戦したときのAMFの際に、チーム全員がそれぞれ名前入りグラスをもらったそうだ。当然彼は今でもそれを愛用し、焼酎をなめながら、グラスの底に釜石へのリスペクトを見る。
ラグビーがラグビーであるために、努力を惜しまないチームはクラブ、企業を問わず存在する。
こちら側がご贔屓チームのスコアだけを追っていれば気付かぬ危機を、ギリギリの線で守ってくれているチームのひとつが、釜石の様なチームなのだと思う。
あの鮮やかな大漁旗に覆われた伝統の内側では、ラグビー文化は連綿と受け継がれているのである。
むかし読んだ「釜石ラグビーの挑戦(大友信彦 著)」を思い出した。人を大切にするチームなのだから当然である。
私自身がラグビーに大甘であることを自覚しつつ、何度でも叫びたい。
ラグビーとは損益計算シートとも、ありがちな「会社の元気創造プロジェクト」などのプレゼン資料?とも違うページに位置するべきだ。
どうか成蹊ラグビーが、いつまでもよき「文化」を持ち続けますように。
そしてそれぞれが、いいラグビーとの関わりを持ち続けますように。
我が師のことば。「ラグビーであれ」
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ラグビー・怒・悲
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