楕円の転がり、心の転がり・・・

家族、ラグビー、仲間が命・・・私の生き甲斐。夢に病んだ楕円オヤジの内緒の備忘録。

感動・雑感・・・

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客観的評価

たまに覗かせて頂いている、往年の(失礼!)名ラグビーマンの日記に面白いことが書かれていた。
日記の内容に唸らされるのはいつものことだが、今回は一部引用をさせて頂きたい。
 
引用以下
 
 昨日の日経新聞夕刊のコラム「あすへの話題」に槍田三井物産会長が寄稿している。以下要約。

『世界フィギュアスケート選手権を観て感じたのだが、審美的要素を含む競技を”客観的に”評価をするのは難しい。

 このことはビジネスや経営の世界でもしばしば感じる。その最たるものは人事評価ではないだろうか。

 人事評価制度は仕事や能力といった複雑極まる対象をデジタル化して解釈する訳だ。果たして、仕事も人間もそれほど単純なものだろうか?

 ついこの前迄は、多くの上司は、部下の職能形成や人生に最大限の関心を持ち、自らの存在を賭けて部下のすべてを「評価」していた。確かに客観的でも透明でもなかったかもしれないが、信頼する上司が下した評価には不思議と納得がいったものだ。上司がしっかりと見ていてくれるという信頼感は、デジタルな評価シートからは得られない。

 客観性は勿論重要だが、それにこだわるあまり、失われていくものも多いのではないか・・・と感じる今日この頃である。』


 私はグローバル化というコトバ、アナログからデジタルへ、で得たものもあるだろうが、失ったものも大きいとかねがね思っているアナログ人間なのだが、こんな大企業のトップの人までそう感じているのか、と意を強くしたが同時に、上司に恵まれたのであろうこの方に「何を今更遅いやい」とも言いたい気分になった。

 実際私は20年くらい前にもの創りの現場から人事労務畑へ異動し、人事評価制度作りにどっぷり携わった経験があるが、職務内容や評価をデジタル化すればする程、もうその時点で客観性から離れて行くことを実感した。

 ヒトは絶対にデジタルではない、アナログでしかない。
(引用終わり)
 
個人の特性をデジタルとアナログに分け、その評価方法までが同様に語られる今日。
中学時代、私がお年玉をためて、当時は高額であったデジタル時計を購入したのは遠い昔。
(一部の?)人間はいつまでデジタルへの偏狭思想、過剰な意識を持ち続けるのであろうか。
 
かつての非デジタルな秩父宮のスコアボード下。
手書きのメンバー名までもが懐かしい。
私が初めて生でラグビーを観たのは、中学時代に父親に連れられた秩父宮だ。
正月に溢れんばかりだったあの場所は芝生席だった。。 

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