楕円の転がり、心の転がり・・・

家族、ラグビー、仲間が命・・・私の生き甲斐。夢に病んだ楕円オヤジの内緒の備忘録。

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週末に行った妻の実家で目を通した読売の夕刊。
そこに、ある元プロ野球選手の訃報が掲載されていた。(7/10・大阪本社運動部 北谷圭さん)
タイトルに 「ドラフト1位 魂こめて」とあった。
 
島野修さん。脳内出血で死去されたのは5月8日のこと。(享年59歳)
記事の脇には、阪急ブレーブスのマスコット「ブレービー」の着ぐるみを脱ぎながら、笑顔を浮かべる写真があった。その名前と、優しい笑顔は私の記憶に鮮やかだ。
 
私が野球を始めた小3の時、島野さんはジャイアンツに在籍していた。
右肩のケガなどもあり、なかなか結果の出ないドラフト1位は、歯がゆい思いの真っ只中であったにちがいない。そんな島野さんの顔は、当時私が穴があくほど見た週刊ベースボールの写真名鑑で、しっかりと焼きついている。
サイドスローの小川邦和という投手のファンであった私は、島野さんの顔を見て、この心優しそうなピッチャーもいつか活躍できればいいのにと願っていた。
 
武相高校で甲子園2回。同期は田淵、星野、山本(浩)と、そうそうたるメンバー。
ケガの不運もあってか、巨人ではなかなか花咲かず。巨人から阪急に移籍したのは、私が応援していた翌年であった。
しかし、阪急に移籍後の3年間は1軍当番もなく、28歳のときに現役を引退した。通算成績1勝4敗。
価値ある1勝は巨人時代のものである。
その後、球団からの要請で、マスコットであるブレービーの着ぐるみの中に入ることに。
当初は断るつもりだった気持ちを変えたのは、ビデオで見た大リーグの試合だったという。
大きな鶏みたいなキャラクターが観客の心をつかんでいる・・・。
その後、彼が「ブレービー」として日本のプロ野球ファンの心をつかんだのは言うまでもない。
 
記事の活字を追いながら、野球少年時代の憧れを思い起こし、感傷的になっていた心を激しく揺さぶった一部分を引用させて頂きたい。
 
 
ブレービーの着ぐるみは、頭と顔を合わせて10㌔以上。夏には1試合で2〜3㌔もやせた。何よりつらかったのは、スタンドからのヤジ。「ドラフト1位が何やっているんや」
折れそうな心を救ってくれた出来事があった。ある夏の夜、球場近くの居酒屋で一人で食事をしていると、一組の親子の会話が聞えてきた。
「あしたも、ブレービーを見に行こうね」。そう言って、男の子が目を輝かせていた。
盛り上げ役としてのこだわりは強く、劇団に通って振り付けを学んだ。転倒して肋骨を折っても、40度の熱があっても休まなかった。91年、球団の愛称が「ブルーウェーブ」に変わり、名前は「ネッピー」へ。98年に48歳で退くまで、1175試合に ゛出場゛した。
(引用終わり)
 
 
夏の夜に、居酒屋で目を輝かせていた子供は、まさにそのとき、すぐそばで食事をしているのが「あの」ブレービーだということなど知る由もなかった。それはブレービーだけが知っていた。
人は自分の生き方を創ることができる。
「魂こめるもの」も決められる。
自分自身の生き方だから。
 
少年とブレービーのおとぎ話みたいな実話に、土曜日の縁側に続いて、こうしてまた熱いものがこみ上げてしまった。
 
島野さんがのどを潤し、自らのサインを記したヤカンは、現在のネッピーもいまだベンチ裏で使っているという。
関西のプロ野球団にも偉大なヤカンは存在するのである。
 
島野修さんに、そしてブレービーに合掌。
 

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