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しばらくの間、まとまった文章を書く気分になれなかった。
器の小さき者には考えることが多くて・・・
過日、宮城の被災地支援のボランティアに行ってきた。
高校練習休止期間中に、なにか出来ることをやろうと考えていたら、高校の後輩から依頼があった。
それは、マレーシアから来日の有志50余名とともに、同国が送ってくれた水や食料、その他物資を現地で支給するというもの。無計画で来たマレーシアからの助っ人たち。時間軸も慣習も違う彼らとは衝突で始まった・・・
でも、最後はひとつのチームになれたと思う。
モノなき場所にモノを・・・食料も水も届けることが出来た。
この活動はしかるべくところに報告をすることとなり、報告書を作成提出した。
行程、特記事項、問題点・・・・最後に自分の手帳のメモ書きを補足した。
そのメモ書きの部分のみ、ここに記しておこうと思う。
自分のやろうと思ったことの半分も出来なかった。
しかし、頭に刷り込まれたこの経験は、今後もなんならかの活動を続けていこうと決意する、大きな起点となった。
5.私的補足
最後に、本報告における必要性の有無は曖昧ながら、私の手帳のメモ書きの内容からいくつかを個人的に追加しておきたい。
・この仙台にしてお湯が出ないという状況で、被災地にボランティアに行った自分が宿に泊まっていいのかと自問自答。頻繁に起きる余震は、避難所の人たちにはさぞや恐怖であろうと・・・。
・石巻市南浜町、家を流された人がモノを探しながらも、我々の帰り道を心配して、ルートを教えてくれた。「あっちの道はあぶねえから、こっち行った方がいいですよ」
自身が壊滅的状況にあって尚、他人を慮る東北人。すごい。
・撮影のために人けのないところで降ろしたマレーシアのカメラマンたち。人は撮らない約束。そのとき、メモを手に肩をすくめた母娘が通りかかった。なにかをさがしている。撮影しながら近づいたテレビマンがいたので、「NO!」を連呼しながら、ぶっ飛ばす勢いで止めた。すると彼は泣いていた。その時は「どつかれて泣くくらいなら撮るんじゃねえ!」と日本語で・・・。その後、彼と接して、その人柄に触れるうちに気付いた。彼は職務の中で”あの母娘の姿を見て”泣いていたのだと。カメラを下した時に彼はすでに泣いていた。いまだ自分には自分のとるべきであった行動の正解が分からない。
・朝食の場で宿の従業員女性に声を掛けられた。
「今日はどちらに行くのですか?」「七ヶ浜、塩釜方面です」
聞けば、彼女の母は七ヶ浜の津波で行方不明とのことだった。
返す言葉も見つからず、朝から少々賑やかなマレーシア人のことを詫びると、彼女は凛として言った。
「皆さん、明るくていいじゃないですか。人の笑顔を久しぶりに見ました。私も頑張って笑います。母の町に水と食べ物をありがとうってお伝えください」
ロビーの隅で涙溢れた。
・県庁ルートじゃないとダメとのことで、七ヶ浜の役場が受け取り不可であった水、食料。風呂にも入れずに、飲み水も給水車が頼りの状況で、町内での配給を個人的に買って出た洋品店夫婦。村井氏はよくぞ繋げたと思う。消防隊の人も駆けつけて応援。お茶屋さんや、近所の主婦の方々も集まって、ひと時の国際交流。必要なものを必要なところに届けること。モノが大切な何かを繋ぐことを初めて実感した。大切ななにか・・・それは心だ。
・振り返れば結果オーライ。Dato(マレーシアのボス)は被災地支援もしっかりやって笑顔で帰って行った。
村井氏、佐々木氏が話をしていたこと・・・時に「まずはやってしまう」ことも大切であるということ。著名人のミッションとして、一般人の善意のベクトルを束ねることは意義深い。私が一民間人だから言えることかもしれないのだが。
・帰国直前の渋谷での最後の自由時間。土産の買い物からホテルに戻る時間に敏感になっていたマレーシア人たち。その時、まだ大丈夫だろうと悠長に構えていた自分がいた。いつの間にかお互いが相手の時間軸を受け入れて(影響を受けて?)、それを理解しつつあったのかもしれない。
・道中、多くのマレーシア人が停車するたびに放射能濃度を計測。最初はiPodかゲームと思っていた。最後に、放射線学者の1人に話を聞いたら、日本の政府の発表と自分のデータを照らし合わせて解説してくれた。今回の訪日の目的が、ボランティアのみならぬ多面的であったことに、やっと気付いた・・・。
・ハンドル握るプロたちの誇りに感動した。東新観光のバスドライバー飯田さん。
「いざとなったらやるから、任せて!」
この人、本当になんでもやってくれそう。熱い、温かい。疲労は限界なはずなのに。
それから、期間中に追加の水と食料を運んでくれたのは、イベントの機材運送の会社であった。(有限会社ミュージック企画・茨城県つくば市) 時間とルートに厳密でなければならない運送会社なのに、ドライバーの佐久間氏は東北道で宮城に向かう途中で
「なんでもやりますから言ってください。時間も場所も大丈夫、関係ありません。社長が宮城出身なので、なにか役に立って来てくれって・・・」 彼ら3台のトラックは、当方の時間変更にもキッチリ応えてくれたことに多謝。水を輸送の佐久間氏は、当初の予定とは違う場所に運送し、村井氏と共に水480箱を運び出してくれた。
今回、改めて東北の人たちの強さ、温かさを実感した。
もちろん、メモしていないことの方が多い。
私は避難所の中での活動は少なかったが、伺えた様子は皆でひたすら頑張っている様子。
皆とは、他でもない被災地の方々、そして支援活動をしている方々。
次回は、、、近い将来に必ず、活動に専念できる場所、タイミングで東北に行こうと思う。
最後に、心に刻まれているブログをリンクしておきたい。
ごく普通の人の、普通ではない「偉大」な善意と志が現地を支援しているのである。
ああ、なんと自分の非力なことか。
力つけなきゃ。。
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