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プール戦で苦杯を舐めたフランス、オーストラリアが見事な巻き返しで決勝トーナメントのベスト4に進出した。背景にリベンジ、雪辱の志がある勝負はラグビーのみならず、スポーツの醍醐味だ。
一方、私が厳しい勝負と同じくらいに好きなのが、仲間との絆、そして、その競技自体に対する誇りと愛情を感ずる時である。
過日、東京新聞夕刊(H23.10.4)に掲載の藤島大氏のコラムで、大男の口の中についての記事があった。鮮やかなブルーを纏う褐色の核弾頭、サモアのアレサナ・ツイランギのマウスピースについてである。ツイランギが、IRB非公認のマウスピースを使用したということで、チームに約60万円の罰金が科されたというのだ。
ルールに厳しくとも常識的であるべきスポーツにおける、なんと愚かな懲罰であることか!
過日、試合日程についての不条理をtweetして物議を醸した同僚のサポルは、またしても抑えられぬ不満を呟いた。
嗚呼、かつてアマチュアリズムをことさら強調していたIRBが、無理矢理に違うマニュアルをなぞろうとすると、このような愚行を犯すということか。
しかし、この記事は、嘆かわしい事態における周囲の対応を報道することによって、ラグビーファンの溜飲を下げてくれた。罰金の顛末....開催国であり、ライバルであるNZの番組とその司会者が街でソーセージを焼いて募金を募り、サモアの通信社も提供を申し出た。罰金の出どころが肝ではなく、マウスガードでは決して守られぬ悲しい衝撃が、多くの善意で守られたという事実が尊いのである。
記事の最後のparagraphを藤島氏はこう結んでいる。(以下引用)
鉄板の焦げるにおいや小さな国の会社の心意気がビジネスの冷徹に一矢を報いて、そこには昔のラグビー気質があった。
〜引用おわり
サモアが南アフリカに挑んだ試合は、掛け値なしに今大会屈指の好勝負であった。
日本がやるべき、熱くて小気味よい試合を、サモアが具現化したのは偶然ではない。
ラグビーは正直だ。だからラグビーは面白い。
だから皆、ラグビーが好きなのだ。
そして、昔のラグビー気質こそは継承すべき楕円の理念である。
さあ、ほうじ茶を煎れて、録画を見よう!
結果を知ってしまった名勝負の続きを....
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ラグビー・怒・悲
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ルーツ校はつまらないものを流行らせてくれた。
勝利への道を探求した結果が、ラグビーをつまらくしてはいないか。
巷で話題になっていた慶應のモール回避。昨日の明治大との試合で流通経済大もやっていた。
もう前半でしらけて、見るのをやめてしまった。勝敗を知った上での録画観戦であったからではない・・・ラグビーらしくないからだ。続いて見た慶應−帝京では平林レフがトップレフらしく明確な線引きをしていた。それでもゴール前での萎えるシーンは避けられなかった。
FWの力勝負に劣る側が正々堂々と逃げに回る。慶明戦のときに感じた違和感ある戦術は早慶戦でも踏襲され、大学選手権では他校にも拡散した。ルール上の盲点になり得るか否かすら怪しい。(かった?)
モールなのか。違うなら下へ入れるのか。それはさすがに危険なプレーだ。
しかし、モールもどきが前進すればオブストラクション。アクシデンタルオフサイドのおまけも幾度も散見された。
モールもどきでボールはテール・・・「Use It!」
ボール使用目的の制限はチームの魅力を殺す。当然だ。
FW近場のゴリゴリをつまらないと否定する展開志向のファン心理も理解できるが、さすがにこれは肯定困難ではなかろうか。
私はBKへの果敢なオープン展開も好きだし、FW近場のゴリゴリも好きだ。
「走ること」「押すこと」はどちらも"ラグビー"という競技の揺るがぬ幹である。
ノックオン、スローフォワードなどの、ミスとも変換できるような反則を、マイボール側有利に「正当なコンテスト」のもと再開されるのがスクラムである。同様に考えて、タッチならばラインアウトでコンテストする。
相手とのコンテストを意図的に避けるチームが勝つようでは、このスポーツの根本的な競技性の危機である。
ラグビーの競技規則を見るとラグビー憲章−競技規則の原則−独自性の維持の一節にこうある。
競技規則は、スクラム、ラインアウト、モール、ラック、そしてリスタートを通じて、ラグビーの持つ他にはない特徴が維持されることを保証する。
この競技を愛する多くの人間が違和感を覚えるのは、このラグビーのアタリマエをスポイルするプレーだからではなかろうか。
また、競技原則−喜びと楽しみにはこうある。
競技規則はプレーをする上で楽しく、見る上でおもしろいゲームのための枠組みを提供する。時として、この二つの目的が両立しがたいように思われる場合があるが、そのような場合には、プレーヤーにプレーヤーの持つスキルを自由に発揮できるようにさせることで、喜びと楽しみが大きくなる。この適切なバランスを達成するために、競技規則は常に見直されている。
結果的に、慶應はこれまで曖昧であった部分に、明確な問題提起をしたことになる。尊敬に値する慶應だからこそ言わせてもらうならば、私個人としては「モールの成立」などの解釈について、ジャッジを伺いながらゲームを進める慶應よりも、鉄の結束で相手にぶつかっていく魂のラグビーを見たかった。今回の明治との試合が接戦になるのではないかと期待していた流通経済も同様だ。
11月の初めの慶明戦のあとのこと。FWプレーの達人と前述の解釈について、あれこれ話をした。モール、ラインアウトの定義や解消について一通りの解釈を述べたあとに彼はひと言。
「あれじゃ、ラグビーがつまらない! コンテストして欲しいなぁ!」
あれこれ複雑に考えても、最後はここに尽きるのだと思う。
かく言う私も、競技規則を引っ張り出した時点で、この「モールもどき」にしっかりと巻き込まれているのかもしれない。もちろんノーバインドで。。
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九州の楕円識者よりメールを頂いた。
嘆息まじりかもしれぬ熱いメッセージは、宮崎は高鍋農業の三樹加奈選手の大会出場が一転して認められなくなったことについてであった。私はメールでこの事態を知ったのだが、やるせない思いでいっぱいだ。
以下、毎日新聞のネットニュースより引用。
宮崎県ラグビー協会(宮永泰宏理事長)は14日、11月1日に開幕する第90回全国高校ラグビーフットボール大会(毎日新聞社など主催)県予選の10人制に出場予定だった高鍋農高3年の女子部員、三樹(みつぎ)加奈さん(18)の出場禁止を通知した。三樹さんは7人制ラグビーの女子日本代表。
日本ラグビー協会などによると、各種大会で女子選手の出場を禁止する規約はなかった。男子と一緒にプレーすることを想定していなかったためで、三樹さんは1、2年時も公式戦に出場していた。
ところが、16年の夏季五輪(ブラジル)から男女の7人制が正式種目になることや、男子と一緒のプレーが危険なことから、日本協会は10年度、女子専門部を発足させ、併せて女子の男子大会出場禁止を通知していた。
県ラグビー協会は「三樹さんは実績があるので、問題ないと判断して一度は認めた。14日急きょ協議して出場しないよう監督に電話した。本人には申し訳なく思っている」と話した。
高鍋農高の林田正栄監督は「こんな規定があるとは知らなかった。本人は落ち込んでいる。故障者が多く出場できるか分からない」。チームメートの男子選手は「三樹さんはピンチに臨機応変に対応できる柱だった」と残念そうに話した。
三樹さんは、同県日向市の富島中時代からラグビーを始め、今年3月、日本代表の強化指定選手に選ばれた。172センチ、70キロ。ポジションはFW。今月6日に7人制の日本代表に選ばれ、中国・広州で21日に開幕するアジア大会に出場する。【中村清雅、写真も】 2010年10月15日
(引用終わり)
宮崎県協会も一度は認めたことであり、三樹選手の安全を慎重に検討した上での判断とは思い難い。
11月1日に始まる大会について、このタイミングでの通知はあんまりである。既定の「中央のお決め」に付和雷同するだけならば、県協会の存在意義とはいかばかりか?!
三樹選手が"女子の7人制日本代表"だからということではない。
これまで楕円球を追い続けてきた高校ラガーが、仲間との最後の大会に出場できないことにどうして納得できようか。
それが自己判断なき大人の保身によるものなら、協会のお仕事とやらも本末転倒である。
三樹選手は7人制日本代表はもちろん、高鍋農業高校のFWとしても頑張りたいはずだ。
高校のHPを覗けば部員数は13名とある。10人制に出場するために皆も必死だったはずだ。
このまま事態は変わらないのか?!
今はただ、三樹選手が仲間との最後の高校ラグビーのフィールドに立てることを祈るばかりである。。
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今更、語るべくもない。ラグビーの試合とは、その骨きしませるゲームのみにあらず。
アフターマッチファンクション(以下AMF)や、前後の交流をも含めて、それがラグビーであるならば、ここ数年はその良き文化が急速に失われていることは万人に疑いがない。
某チームでコーチをする知人によれば、トップイーストなどでもAMFをしない試合は少なくないそうだ。
企業に依存した体質の「日本の社会人ラグビー」において、天秤上の「交流や文化」は、片側の皿上の経費削減の冷酷な重みに凌駕されているということか。まったくもって嘆くべき実態である。
ごく一部のチームであると思いたいが・・・組織はいつだって、都合のいいときに「ラグビー」を利用する。装飾された会社のイメージを、ラグビー部(運動部)にかぶせ、社員の結束をスクラムにたとえる。スポーツ選手を安易に擁立する、安易な政治と同類なのか。
一転、チーム存続の否定や、強化方針の変更といった「ラグビー現場」の死活問題への直視は、いつだってホスピタルパスのタイミングだ。どれだけ経営トップの葛藤が深刻であろうとも、やはり悲しいことだ。
自社チームにおける誇り高きラグビー精神、試合後の交流などは二の次、三の次らしい。
そうした、人に、ラグビーに優しくない姿勢は選手との関係に顕著に表れる。シーズンの開始わずか数ヶ月前(数日前?)の青天の霹靂に、いまだにプレーできる環境を探している選手は存在する。
社内で「One For All,ALL For One」を謳った企業は、Allのために身体を張り続けたOneをいとも簡単に放り出す。そのような事態を含めて、「それがプロ契約である」と言うのは容易い。しかし、それでは次の言葉もなければ、その企業チームのモラルの有無も明らかだ。ラグビーと企業とプレーヤー、3者の信頼は、泥濘戦におけるスクラムのごとくもろいものか。
過日、強化撤退をしたトップイーストのチームに、あまたのオファーを断り残留した選手と話をしていた。
「ラグビー」と会社の「仲間が好きだから」と繰り返していた。少し切なくなったが、改めて彼の人柄を思い嬉しい気持ちになった。
いい話も残っている。前述のトップウエストのコーチから聞いた話。
以前、釜石に遠征してシーウェーブスと対戦したときのAMFの際に、チーム全員がそれぞれ名前入りグラスをもらったそうだ。当然彼は今でもそれを愛用し、焼酎をなめながら、グラスの底に釜石へのリスペクトを見る。
ラグビーがラグビーであるために、努力を惜しまないチームはクラブ、企業を問わず存在する。
こちら側がご贔屓チームのスコアだけを追っていれば気付かぬ危機を、ギリギリの線で守ってくれているチームのひとつが、釜石の様なチームなのだと思う。
あの鮮やかな大漁旗に覆われた伝統の内側では、ラグビー文化は連綿と受け継がれているのである。
むかし読んだ「釜石ラグビーの挑戦(大友信彦 著)」を思い出した。人を大切にするチームなのだから当然である。
私自身がラグビーに大甘であることを自覚しつつ、何度でも叫びたい。
ラグビーとは損益計算シートとも、ありがちな「会社の元気創造プロジェクト」などのプレゼン資料?とも違うページに位置するべきだ。
どうか成蹊ラグビーが、いつまでもよき「文化」を持ち続けますように。
そしてそれぞれが、いいラグビーとの関わりを持ち続けますように。
我が師のことば。「ラグビーであれ」
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悲しいことは何故に続くのか。 |




