日本語教師、サイゴンの風に吹かれて

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ゲバラの長女、原爆資料館で涙 父の足跡たどり広島へ
2008年05月16日00時57分

 キューバ革命の指導者チェ・ゲバラ(1928〜67)の長女で医師のアレイダ・ゲバラさん(47)が初来日し、15日、広島市を訪れた。49年前に訪れた父と同じように、原爆死没者慰霊碑に献花し、平和記念資料館(原爆資料館)では被爆死した子どもたちの衣服の前で涙を流した。


平和記念公園を訪れ、原爆慰霊碑に献花するアレイダ・ゲバラさん=15日午前、広島市中区、青山芳久撮影

 ゲバラは59年7月、経済使節団長として来日。被爆地訪問に難色を示した日本政府の意向に反して、広島入りを強行した。家族あてのはがきに「平和のために断固として闘うためにはここを訪れるべきだ」と書き残し、死後、それを知ったアレイダさんが父の足跡をたどりたいと訪問を希望。ゲバラの生誕80年を機にNPO法人アテナ・ジャパン(東京)などが招いた。

 中南米やアフリカで医療支援活動を続ける小児科医のアレイダさんは「子どもらに二度と同じことがおきないよう戦争の旗を平和の旗に変えなければならない」と話した。

 アテナ・ジャパンは、原爆投下から約1カ月後の広島の爆心地近くから持ち帰られ、福岡県星野村で絶やさずに守られてきた「平和の火」をキューバに分火する計画を進めており、アレイダさんも協力する。

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田舎は田植えの真っ最中です。
昔ながらに人の手で苗を植える方法と、機械であっという間に植えてしまう方法がまだ混在しているようです。

私の同級生は、高齢者農家などで米作りをできない農家から請け負っているので
機械で田植えをしています。

私が子ども時代は、今のような機械はなかったから耕耘機の代わりに牛でした。
田植えは部落中の農家が総出で一緒にやっていましたが、今ではそんな風景もありません。

精々、夫婦で行っているか、もしくは一人でこつこつと田植えをする光景が見えます。時代は変わったのです。

これがベトナムだと、まだ牛と人力です。
ホーチミン市の郊外に行くと、水牛が田んぼに居るのを見かけますが、そんな風景を見ると何故か懐かしい気持ちになるのは、子ども時代の原風景があるのかも知れません。

しかし、同級生は携帯片手の田植えでした。こら、もっと真面目にやらんかい!

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チェ・ゲバラの長女が初来日「父の足跡追うの楽しみ」
2008年05月14日20時23分

 キューバ革命の伝説的な英雄チェ・ゲバラの長女アレイダ・ゲバラさん(47)が14日、民間団体などの招きで初来日した。父親も59年に来日した際に広島を訪れ、被爆の実態に衝撃を受けたとの逸話が残っており、15日にやはり広島を訪れる。「父の足跡を追うのが楽しみ」と話した。


質問に答えるアレイダ・ゲバラさん=14日午後、東京都港区、飯塚悟撮影

 小児科医のアレイダさんはハバナの病院で週に2回勤務しつつ、チェ・ゲバラ研究センター所長の母親を支え、講演などで海外も飛び回る。今回はゲバラ生誕80周年を機に招かれ、大阪や神戸、那覇など5都市でキューバの医療事情や社会情勢、革命家ゲバラについて講演する予定だ。

 アレイダさんは東京で朝日新聞記者の取材に「父と別れたのが4歳だったので直接の思い出は少ないが、とても愛してもらっていると実感していた。それで十分でした」と語った。今回は「キューバのほんとうの姿を日本に伝えたい」と笑顔で話した。

 ゲバラは59年の革命後、潜入先の南米ボリビアで政府軍に捕まり、67年に処刑された。

 母親のアレイダ・マルチさんから父親の話を聞く機会はほとんどなかったが、ゲバラの思い出をつづった著書「わが夫、チェ・ゲバラ」(日本版は朝日新聞出版)を読んで「母がいかに苦しんでいたかを知り、だから話せなかったのかとわかった」という。(萩一晶)

:ゲバラに娘がいたとは、初めて知った。
若い頃、何故か私はチェ・ゲバラに憧れた時があった。
そして彼が南米ボリビアで死んだというニュースにショックを感じたことを思いだした。キューバには一度行きたいと思いながら実現していない。

棚田の風景/田植え

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今、田舎は田植えのシーズンです。
私は療養の身なので散歩するのが日課だが、棚田の横の田舎道を歩くと田植えをしているのを見かける。

少し前までは、田んぼにはまだ水も無かったが、今では田には水が張られて整然と苗が植えられているのを見かけるようになった。

貴重な主食の米作りは農家にとっては大切な作業である。
昔と変わらぬ、人が一本一本植えて行く田植えが行われているのを見て懐かしい思いになった。

ただ散歩だけをしている我が身、なんか申し訳ないような思いになった。健康を取り戻して社会復帰をすることが、私を元気にしてくれた田舎の環境への恩返しだと思うこの頃だ。感謝感謝。

ちなみに、写真で田の横にトタン板で壁が作ってあるが、これは猪よけです。この地域は猪が出て被害に遭うのでその対策で壁が作ってある。
が、効果のほどは分からない。

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2007年、坂田雅子製作・監督・撮影・編集で、映画『花はどこへいった』(英語タイトル『Agent Orange -a personal requiem-』)を完成させる。http://www.cine.co.jp/hana-doko/story.html

『フォト・ジャーナリストだったグレッグ・デイビスが肝臓がんで亡くなったのは、彼が入院してわずか2週間後のことだった。妻である坂田雅子に喪失感とともに沸き起こったのは、「なぜこんなにも突然に亡くならなければならなかったのか」という疑問。米軍兵士としてベトナム戦争に送られた過去をもつ夫・グレッグの死について、友人から当時浴びた枯葉剤が原因ではないかと示唆された彼女は、夫への追憶と枯葉剤への疑問からベトナムへ行くことを決意する。』(映画の案内より抜粋)

:この事実を知り私の心に衝撃が走った。ベトナムと関わる人間にとって無視することができない現実。


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