日本語教師、サイゴンの風に吹かれて

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サイゴン、出国の時!

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回想編 
 8月中旬某日、今日は日本に帰国する日だ。空港へ出発する時間の30分前に、研修生の卵クラスの学生たちが続々と学校に集まってきた。一昨日のお別れパーテイの時と比べれて、みんな静かだ。どうしたのかなと思って、聞いてみると「先生と別れるので寂しい」とのこと。泣けてくる。学生たちの日本語力では私と思ったことを多くを語ることは難しい。それもあるかして、みんな静かに黙って座っている。やがて、時間が来てタクシーが来た。日本人教師の同僚たちも集まってきて、一緒にタクシーに乗る。そしたら、「先生のことはいつまでも忘れません!」と何人も学生が駆け寄ってきて言うのである。「私も忘れないよ!」また会おう。ヘンガップライHCM。
 空港に着いて、日本人教師たちともお別れをして施設内に入りかけたら、多くの見送りの人々の中に混じって、研修生の卵クラスの学生が一人「先生!」と声をかけてきた。わざわざ一人できたのだ!!ありがとうと握手を交わす。忘れないよいつまでも・・・。

回想編
 7月のある日のこと、分校での夜の授業を終えてタクシーで本校に帰り、職員室でその日の整理と翌日の授業の準備をした。夕方に簡単な食事しかしなかったのでお腹が空いてきた。食事に出かけようと一階に下りたら玄関のシャッターが閉まっているではないか。「なんで閉めたの?まだ10前だよ!」と、留学生クラスの学生に聞くと「校長の指示です」と返事が返ってきた。「え!何で。門限は11時だろ。」と大きな声が出てしまった。「嘘だろ!」と言うと、ノートらしき物を見ながら「そうです、間違いありません。校長から9時半に閉めるように指示が出てます。」と言う。そんな馬鹿なこと!!と私は怒りが湧いてきた。私たちのことなど何にも考えていないのではないか?と疑問が湧いてきた。この学校は夜の授業が午後九時に終わる。分校での授業が終わって宿舎がある本校に帰ってくると9時半から遅い時には10時になる時もある。本校での授業が終わって即外に食事に出ても9時半には間に合わない。そうなると、一々ベルを鳴らしてシャッターを開けて貰うしか無いのである。なんで、そんなことしなければならないのか。
 同僚の日本人教師の話だと、最近1階のロビーに新しくテレビを買い替えたり、テープを聞けるようにヘッドフオンが複数個設置されたので、盗難避けにシャッターを早く閉めるようにと校長の指示が出たとのことらしい。もう、開いた口がふさがらないという表現がぴったりの状況だ。
 その一階のロビーが綺麗にされたのは最近である。その作業が始まる少し前に、ホーチミン市の日本領事館のトップが当学校を訪問するという案内が流れたのである。それから、急に学校内の清掃作業が始まった。特に、一階の玄関のロビーには古い椅子等があって、中にはスプリングが飛び出しそうな物もあったりでとても座れたものではないという状況であった。その椅子が撤去されて新しくなったので、良かったと思っていたが、同時にヘッドフオンが複数設置されて日本語のテープが聴けるようになったのである。その一連の作業は、 日本領事館のトップが当学校を訪問するのに間に合うように 、学校の事務方スタッフが総動員されて突貫作業で行われたのである。
 ベトナム人は見栄を張ると聞いていたが、正しくそれは校長の見栄の為であった。その一連の状況を見ていて、昔、会社員だった頃を想いだした。本社から社長が支店に来るということになると、支店では急に慌てて清掃や片付けをしたりするのである。それは、少し前まで日本の多くの会社組織で見られた光景である。内心、日本人も似た様なもんかと思う。
 しかし、その結果が、門限がいきなり11時から9時半になるとは!!何を考えているのか?「私は独裁者だと言われています。」と会議で言っていた校長の言葉を思いだした。鶴の一声で、いや神の声で門限が変わる、そこには宿舎に住んでいる私たち日本人教師の存在などないのだと理解した。

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回想編 
 ドクターは一日も早く日本に帰って手術をしなさいと言ってくれた。 8月某日急きょ帰国することになったが、あまりにも急であったので、お別れの挨拶もできていない人も多かったように思う。私が教えていた研修生のクラスの学生たちは、私が帰国することを知って「どうしても、もう一度会いたい」と連絡をしてきた。そう、私もそのクラスの学生たちには会っておきたかった・・・。病院でドクターに「一日も早く、明日にでも日本に帰国して手術をしなさい」と言われて、その場で学校に電話でその旨を伝えて翌日からの授業を全てキャンセルしたのである。だから、それまで教えていた全てのクラスの学生たちにお別れを言うことができなかった。
しかし、その研修生のクラスは、前々からみんなで海鮮鍋を食べに行こうと言っていたこともあり心残りであった。
 金曜日の夕方、本校に学生に迎えに来てもらい、またみんなが集まっている会場に到着する。そこは、カフェの奥にある海鮮鍋屋であった。クラスの学生がほぼ全員集合していた。私が、前から食べたいと言っていた海鮮鍋を学生たちは覚えていて、この場所にしてくれたのだ・・・。
宴もたけなわの頃、学生の代表が立ち上がって、メモを取り出して読みだす。「 先生は優しくて親切でした。私たちは、先生をいつまでも忘れません・・・。」等々、日本語を勉強して3ヶ月目の彼らにはまだまだ使える語彙は多くない。それでも、必死に自分たちの思いを伝えたいという態度が愛しい。記念にクラスで撮った写真と私が好きだと言っていたカムリー(ベトナムの歌手)のCDを贈ってくれた。ありがとう、みんな。必ず元気になってまた帰ってくるよ。さらばサイゴン、ヘンガップライ。感謝、感謝!!
  

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