|
団らん時、夜の7時頃、ガヤガヤ大声で行く学生諸君に、「ここは私道だらからね」といって今晩も諭した。
明日は東北福祉大学の教授会だと聞いた。私は、見識のある教授の方々にも、この石母田の私道沿道の住民がいかに福祉大学生の通行に伴う騒音に生活権を侵されているかを率直に訴えておきたい。
がいして大学教員というのは、理論とは裏腹に保守的なものです。権力にも弱いものです。しかし、私は信じています。よもや弱いものいじめをすることはあるまいと。しかも国見の老人や病人の生活などわれわれ福祉大学の教員の知ったことか、などとよもや言うまいと。どれほど教育などに無関心で、自分の研究のことしか頭にないような「学者」であっても、その程度の良心は、あるに違いありません。
とくにかく、地権者の同意も得ずして勝手にゲリラ的に、住民の生活道路だった私道を通学道路に占領して、てんとして恥じない、皆さんの大学のやり方を、今一度立ち止まって考えていただきたい。対策は実に簡単です。駅から5分で本校まで行ける公道へ学生を誘導されれば、いいのです。
今日も日中あまりの学生の騒音が激しいので、ある人が、福祉大学を訪れ、担当職員の方に、11月3日の協議会の席上、「私道を通学路として使用しないと約束したではないですか」、と迫ったそうです。その職員の方がこう答えたと聞いて、私は我が耳を疑った。「いいえ約束はしていません」。
私はこのことを伝えてくれた人に思わずいった。
「約束していませんではない。やってはいけないことは、してはいけないのだ。たとえば、何度かものを盗んでとがめられ、そのたびに、盗まないように努力するとは言いましたが、盗まないとは約束しませんでした」
もし、そんな答えをする人がいたらどうだろうか。
わたしは、しかし、次の瞬間、その福祉大学の職員の方に深い同情を禁じ得ませんでした。彼もおそらく良心の呵責の念にさいなまれて毎日生活しているのでしょう。見逃してはならないのは、彼にそういうように圧力をかけている人がいるのではないでしょうか。
だれとはいいません。それは、彼の上司であり、大学経営陣かもしれません。
そういわせるように無言の圧力をかけているのがだれあってもいいのです。悲しいと同時に激しい義憤に駆られるのは、そんなことを言わせる組織が、福祉の名をかたり、教育機関の看板を臆面もなく掲げていることです。
私が、生徒の親でこのブログを読んだなら、ここに書かれていることの真偽を、自分の目で確かめ、大学長に面会をもとめ、説明を求めるでしょう。もし事実と違って静かな私道であったなら、私は、このブログを書いている人に激しく抗議するでしょう。
学長や社会福祉を少しでも口にされる、良識ある教員の方々は、どうか我々の苦しみの声を真摯に受けとめていただきたい。福祉というのであれば、まず足下から取りかかっていただきたい。
|