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東北福祉大学への抗議

 今朝はよく晴れています。陽光も明るく、立春を過ぎた仙台は、日差しだけは春の足音を感じさせます。

 春の足音なら、心も弾むのだが、カツンカツンという靴音や大きな笑い声では、逆です。頭がずきんずきんとしてきて、気持ちの傷に塩を塗り込められているようです。

 昨晩もそうだが、今朝も8時台から多数の学生を断続的に私道に流し込んでいます。
学生に対する社会教育を放棄するのが学校の方針であれば、好きにすればいいでしょうが、苦しんでいる人間にさらなら苦しみを与えるのは、いったいどういうつもりなのですか。これは、現場の方の声をうかがってみたいものです。

 自分の権利を踏みにじられる私たち弱者は、福祉大からすれば虫けらかもしれませんが、その迷惑行為に対しては強く抗議し続けます。

 2008年2月4日、東北福祉大学による騒音等で苦しみ続けている被害者を支援すべく、「東北福祉大学被害者を救う会」(以降「救う会」)が設立されました。
 通学路として公道があるにもかかわらず、単に至便であるというだけで私道に大量の学生を誘導してきた行いに、私たちは抗議します。
 
 福祉とは利便性を追求することとは、本来相反するものです。

 詳しくは、http://blogs.yahoo.co.jp/hukushidai07/14568766.htmlをご覧ください。
皆様のご支援をお願い申し上げます。

 昨年、4月以来深刻な東北福祉大学による騒音被害をうけてきたことは、すでに周知されているとおりです。

 しかるに、学校は現在に至るまで、ただの一度も謝罪を行っていません。このブログで、いちいち迷惑行為を糺してきましたが、それに対しても、教育機関としての道義的、社会的責任に対する、なんらの誠意ある意見表明もうかがっておりません。

 学校が、このまま私道を大学のキャンパス道路であるかのように使用を続け、これを常態化するかのような行為は断じて容認できません。

 以前にブログでも書きましたが、東北福祉大学のホームページに私道における迷惑行為が存在し、関係住民に物心両面で想像を超えた苦痛を味あわせてしまった事実を正直に告知し、謝罪した上で、ただちに私道の通学路使用(キャンパス間移動も含む)を全面的に中止し、それを行動に移した旨の告知文を掲載されるように要求します。

 東北福祉大学が教育機関として、福祉教育のリーダ的存在として、社会に貢献しようという意志と責任の心が、微かにでも残っていることを期待します。

 狭い雪道を学生たちが滑るためよろけながら歩いていく。危ない!!

 このブログで一貫して述べているように、この私道を東北福祉大学が勝手に通学路にするような行為は断じて許されない。それはわかりやすく言えばこういうことだろう。

 私が切符を買ってバスに乗ったとしよう。満席で座るところがなかった。切符を買った以上座るべきだと考え、一番弱そうな老人につかみかかり、有無をいわせず席から引きずり降ろして、かわりに私が腰掛けたとしよう。これは褒められた行為だろうか。答は幼稚園児でもわかるはずだ。

 いま東北福祉大学がこの石母田の私道で行っていることはまったくこれと同じことなのだ。他人の権利などどうでもいい、いやそれどころか驚いたことに、自分の学生の安全だって本当は気にかけていない。この雪道での対応ではっきりした。

 東北福祉大学が自分たちが掲げている看板に冬期間閉鎖(駅へ通じる門を閉鎖すること)とはっきり書きながら、開けっ放しにしている。学校関係者の言い分はこうだろうか。
「一応注意していますから。あとは自己責任で」。「ばかやろう、そんなことで教育ができるのか。それが責任ある教育といえるのか」。

 こちらが正義感と使命感から、いきりたちそういうと、「いいえ、教育のことは言わないでくれ」という答が返ってきそうだ。

 もとを正せば、駅に通じる道を相談もなく勝手に作ってしまったことに重大な違反行為があるわけだが、学校の勝手で開け閉めがそもそもできるものではない。私は道義的な立場にたってものをいうが、他人の土地(私道)を勝手に通ってもいいなどというのは、日常生活の中で考えられないだろう。

 冗談でよく「俺のものは俺のもの、君のものも俺のもの」といってじゃれていることはある。福祉大もじゃれているのか? 他人のものと自分のもの、共有しているものなら相手のことを尊重する、こんなことは家庭教育のイロハだが、まあ、幼稚園での教育だ。

 まさか、この自他の区別が曖昧な人たちが、東北福祉大学の進路を決定しているわけではあるまい。愚者のふりをするのは、もうそろそろ止めにしてはどうか。

 
 cf.http://blogs.yahoo.co.jp/hukushidai07

 仏教にいう道徳に、六波羅蜜(ろくはらみつ)というのがある。正しい生活を送るために訓練して会得する心のあり方のことであろうか。
 
 六波羅蜜の一つに、忍辱(にんにく)というのがある。その意味は辱めに耐えるということだ。これはなかなか難しい。真にこの境地に達し得たらどれほどすばらしいか。

 しかし世の中には、「賢い」奴がいる。ここでいう「賢い」奴とは、ひたすら弱者には、「耐えることが」さも美徳でもあるかのように教える技を心得ている者のことだ。私流に、少し大げさに言えば、仏教の言葉を支配の道具につかっている鬼のことだ。おそらくそんな大それたことを意識して行っているわけではなかろうが。

 さっきも雪の中、女子学生が大声で過ぎていった。が、この「賢い」連中が、「耐えることです。そうすれば慣れますよ。(訓練です、とまでいうかどうかは憶えていないが)」、と諭すようにいったのを何度か聞いてきた。「ばかもやすみやすみいえ」。さすがに私たちも、心の中でそう怒鳴った。

 このブログでずっとくり返し書いてきたことは、無力な老人や貧しく社会的な発言力とてないわれわれ凡人の「静かな生活を返せ」ということだ。ところが、この衣を着た「賢者」たちは、自らの利益のために、われわれの生活を踏みにじっている。

 自分の欲望だけを主張し、弱者の声などに全く耳を傾けない。自分たちに都合のいいものの声だけ拾い出し、さもみんなそう望んでいるかのような物語を作り上げている。

 公道を通るより、住民の私道を通る方が利便性がある。

 利便性と何か高尚なことでも言った気になっているようだが、何が利便性だ。駅まで公道を使った場合と私道を使った場合で、いったどれくらいの違いがあるか、よく知っているはずではないか。

 80メートルもあるだろうか? 人の生活を踏みにじり、ノイローゼ気味の人がいても知らん顔。立場の弱い人や老人の生活を犠牲にして、わずか1分弱のことをさして利便性などとは、笑わせる。「自分の利益のためなら、他人の迷惑など一顧だにしない。警察にでも捕まえられない限り」。そう学生に教育しているのか。まさかそんなことはないはずだ。

 人間らしい優しさをもて。組織に縛られるのではなく、人としての顔をもて。
先頃人気の映画「ボーン・アルティメイタム」の末尾で、主人公がCIAの職員に投げかけた言葉だ。

 福祉大の関係者も家に帰れば人の子の親だろう。老母も老父も祖父母だっているだろう。自分の身に引きうつしてよくよく考えてみるべきだ。

 この言葉は、残念ながら、東北福祉大学には届かないだろう。もはや人の言葉を解せなくなっているようだ。

 無駄と知りつつも、人には仏性が宿っていることを信じたい(一切衆生悉有仏性)。


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東北福祉大学騒音問題

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