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書庫旅日記

4月桜の咲く頃、長崎県五島列島を10日ほど、ゆっくり旅する予定です。
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波野中江神楽

熊本県と大分県の県境の山の中
荻岳があり
そのふもとに荻神社があります

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       参道




そこでは240年ほど前から 神楽が奉納されているそうです

山の中の小さい村ですから 伝統を守っていくのも大変なようですが
村の人々が協力して守られています

いつもは小学生も舞うのですが この日は学校の行事があるそうで
小学生の舞は見られませんでした


毎月第1日曜日開催
6月3日 近所の仲間7人で 出かけました


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力強い 躍動的な舞



柴曳  観客と柴の引っ張り合い

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天の〆
竹の上から 餅巻きです

岩戸開き がクライマックス
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普段着の男の子も出てきて舞っていました
足つきや手つきもなかなかのもの 練習しているのでしょうね

初めての友達は 興奮していました
何回も見ている私たちも感動でした

13:00〜16:30ほどの時間 舞う人はさぞかし体力使うことだと思います























































友と 長崎にて

やっとパソコンの調子が治りました
サクサク打てる って気持ちいいです。

原因は?
マウスのコードが切れていました。
ただそれだけ
今度がコードレスのマウスにしました

少しさかのぼって
北海道の友と歩いた長崎の町です

二日目は個人タクシーに3時間コースの観光をお願いしました。
ガイドもしてくださって 完全に時間オーバー
それでも3時間分でいいそうです。


平和祈念公園 如己堂 原爆資料館 大浦天主堂 グラバー邸など巡りました

だから今回は
普通はめったにない 3人での写真がたくさんあります



如己堂 
「こよなく晴れた青空を悲しと思う切なさよ〜♪」

長崎の鐘の永井隆博士が過ごした二畳一間の家と記念館

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「召されて妻は天国に〜〜♫」
原爆でなくなりました。
自らも被爆しながら多数の被爆者を治療、救済した永井博士

博士は放射能を浴びて 白血病を発症
原爆の被害を後世に伝えるためにたくさんの書を残しています

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原爆資料館 
原爆について 知っておくことは大事です
でも ここは観ていて ものすごくつらい場所でした
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長崎に落とされた原子爆弾の実物大模型
こんなに小さいのに あれだけ大きな被害が・・・!


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原爆が投下された時間で止まったままの時計


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原爆の怖さはみんなが嫌というほど知っているのに
世界中には まだまだたくさんの核弾頭が作られ・保管されています

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72年前の原子爆弾に比べたら 威力は数段に大きくなっているという
今、戦争が起きたら 人間も地球もなくなりますね


大浦天主堂 

 1597年日本で最初に殉教した日本二十六聖人たちに捧げられた教会です。そのため、大浦 天主堂は殉教の地である西坂に向けて建てられています。

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大浦天主堂が1864年にたてられ、翌1865年2月から公開が始まった一ヶ月後に浦上の隠れキリシタン達が信仰告白をして名のりを挙げました。
プティジャン神父は大喜びでフランス、ローマに報告しています。


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今 工事中でした

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床に写ったステンドグラスの色がきれいでした





グラバー邸

長崎の港が美しく見えます

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普通はこんなとこ観ないよね
裏に回ったら 台所がありました
かまどです

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グラバーさんがここに住んでいたころの料理です。
すっごいごちそう

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チューリップが満開でした

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楽しかったたびも終わり
最後に食べたお昼は 
吉宗(よっそう)の茶碗蒸し
 創業は慶應2年(1866年)で、現在の建物は昭和2年に建てられたとのこと。
茶碗蒸し発祥の店だそうです



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おいしかったよ

この後彼女たちはハウステンボスへ
私は一人 熊本へ帰りました。


































長崎平和公園

長崎に来たらここには絶対連れて行かなくては
原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた公園です。

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昔は白かった平和祈念像は薄い青色にお色直ししていました


制作者の長崎出身の彫刻家北村西望氏は
この像を神の愛と仏の慈悲を象徴とし、
天を指した右手は“原爆の脅威”を、
水平に伸ばした左手は“平和”を、
軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めたそうです。


原爆が落ちる前までは ここは刑務所があったそうです。
刑務所の職員や家族 そして中国人や朝鮮人を含む収容者134名全員が即死。

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建物も煙突1本を残して粉々に壊れ 焼けたそうです
今はその基礎だけが残っていました。




長崎は江戸・明治の時代は 時代の先端を行く
日本の夜明けを象徴するような地域であり、

そして昭和の時代は重たい太平洋戦争・原爆の重たさを持つ町でした

雲仙の紅葉


島原の武家屋敷を歩いたあとは
そうめん工場の見学
たまたま グリーンコープの生産者のところ
何だかうれしかったです


そして雲仙の地獄を通って 

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近くの老舗のホテル泊

5階にある展望風呂からは湖?が見えました

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翌朝 早起きして近所をお散歩

お風呂から見えた湖は「オシドリの池」というそうです

川が流れ込むところに 温泉が湧いていました
成分の影響でしょうか 水がコバルトブルーできれいかった


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朝日に輝く「オシドリの池」
ひっそりして 
(^^♪ 山のさみしいみずうみに〜〜♬
なんて 口ずさみたくなる雰囲気

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朝食を終えて 雲仙は妙見岳の仁田峠へ
ロープウェイ乗り場近くには ツクシアザミが
まだ咲いていました


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峠付近も 紅く染まって

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ロープウエイからながめた山肌も 紅くなって

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とてもきれいでした

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コマユミのイヤリングみたいな実


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山頂へと向かう道
平成新山が目の前に デーーーンと

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台風一過
天気も良く 空気も澄んで 遠く益城町の飯田山までも見えました

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一番左が 益城町です

みんな 本物の方がきれいでした










島原の武家屋敷

少し前になりますが
10月30日
年金受給者協会益城町部会の企画で雲仙へ一泊旅行
30人の参加です



熊本港から フェリーで 島原へ
カモメがついてきます

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エビセンをもらおうと舞ってきますが
こんなの食べて 塩分過多にならないかな
やっぱり野生の鳥に 人が食べるものをあげてはいけないと思います




島原の武家屋敷
江戸時代の風情を残しています

道の真ん中には清冽な水が流れています
かつては生活用水だったとか・・

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丸い石が積まれ 石垣の上には 小石が重ねられています
新入するときに 小石が崩れ 入りにくいし 
崩れる音で侵入者がわかります

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水辺にツルソバが咲いていました
そういえば ヒメツルソバの方が幅を利かせていました


まだ人が生活しているお宅がほとんどでしたが
3〜4軒が解放されていました

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昔の面影残す藁ぶき屋根の家



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お庭には おおきいクワの木がそよいでいました





































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