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ゆりぽんさんの記事を読ませて頂き、 まるで「死んだはずの隠し子が急に目の前に現れた」ような思いにかられ、 私の痛ましい過去を述懐したくなってしまいました。 幼年時代の私は、まるでエヴァンゲリオン零号機パイロット綾波レイのように、 「こんな時、どんな顔すればいいのかわからない」 「泣いているの...私?」 と感情を表出することができず、それがゆえにわけのわからない迫害を受けていました。 イジメというものは 「イジメる側はとっくに忘れていても、やられた側は一生忘れない」もののようです。 小学1年時の同級生にH本という男がいました。 こいつには散々な目に合わされたな... 私の机の中に奴の鼻糞を、O元という男と共謀して、せっせと毎日こびりつけたり、 もちろん給食の残りの青カビの生えたパン、口が開いた腐った脱脂粉乳など、 おおよそ小学生の頭で思いつく限りの「ありとあらゆる不快な物」が私の机の中に運ばれました。 このH本という男は、決して頭がいい訳でも、ガタイがでかい訳ではありません。 また、親がその筋の方とかでもなく、普通の家庭だったと思います。 しかしながら、何故かいつも率先して悪の主導権をいつも握っていたため、 クラスの誰もが、奴に逆らうことはしませんでした。 H本の暴挙が止むことは当然なく、日に日にエスカレートして行きます。 綾波レイのように「こんな時、どんな顔すればいいのかわからない」 そんな私は奴の格好の餌食であり、陵辱の限りを尽くされました... ↓完全なる実話です!!! ー陵辱その1ー ある日のこと。 担任不在で行われた学級会にて学級委員でもない奴が、とんでもないこと言い出した。 「男子の中で【プレイガール】を観た事のない奴は廊下に立っとけ!」と... 【プレイガール】とは沢たまき、緑魔子、戸川昌子らが、毎回お色気アクションを繰り返すという、 普通のよい子が観る番組では決してなかった。 そもそも奴にそんなことを言う権限があるわけでもなく、ましてや「プレイガールを観た事がない」 だけで、廊下に立たされるという理不尽なことがあっていい訳がないのだが、 前述のように、感情を表出できない私とその他数人が廊下に立たされることになった。 そして、10分後、H本が廊下に出てきて、 「まぶたべろができたら席に戻してやる」 と、突然言い出したのだ。 「まぶたべろ」とは、指で上まぶたをひっくり返し、赤目をむき出しにすること、 眼科用語では、翻転(ほんてん)することを意味する。 何故か当時、それが流行っていて、クラスの中でもできる奴は半分くらいしかいなかった。 私は翻転することができなかった。しかし、一緒に廊下に立っていたA野君は 翻転できなかったのに「A野は戻っていい!」とされ、私だけが廊下に残された... ー陵辱その2ー また、ある日のこと... 土曜日の夕方4時頃だったと思う。 私の家に、比較的仲のよかったクラスメートが 「学校で遊ぼう!」と誘いに来た。 言われるがままに、学校に行き、体育館裏に連れて行かれた。 そこにはH本+O元+その他大勢が待っていた。 小学校1年生の奴がどこでそんな言葉を覚えてきたのだろうか? 「集団リンチじゃ!!」と突然奇声をあげ、 クラスメート+上級生10人くらいが、私一人を取り囲み、 ドッチボールやら、ビニール製のボールやらを、私めがけて投げつけてくるのである。 当然、私は逃げるしかなかった。 逃げまどう私を、奴等は決して捕まえて殴ったりすることはなく、 ただ只管、私を的にしてボールを投げつけることに興じていたのである。 奴等は巧みに私の行く手を阻み、私が校門から外に、さらに職員室に逃げられないように しながら、約1時間くらいだっただろうか、私は花屋敷の射的のマトのように、 玉を投げ続けられた... 今の私から、想像できない方も多いでしょうが、 それが私の小学1年時のことでした。 「このまま綾波レイのままでいるととんでもないことになる...」 綾波レイから惣流アスカラングレーへと、周囲が恐れおののく程大きく人格を変化させた、 私の裡なるIndependance Day(独立記念日)はそれから、1年経ってからでした。 それ以降、私は失ったものを取り戻すが如く、敢然と奴らに立ち向かっていくようになったのです。 今でこそ、H本のことなんてどうでもいいのですが、その時は毎日が殺伐としていましたね... 「悪の遺伝子を持った奴、それが強く発現した奴は少なからずいる」と知った、6歳時の話でした... 「魔太郎が来る」はとても面白い漫画でしたが、魔太郎のようにその後もやられ続け、 恨みの呪文を唱えるしかはけ口を見つけられなかったとしたら、今日の私はなかったと思っています。 |
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2008年06月15日
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