軍事絡み

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 今日は早く出発出来ました。首都高、東名、16号、246号と乗り継いで? 到着。こんなに高速が空いてたのは久々で、平均時速にすると90キロにもなった。

 レガシィは快調で前を走る車とちょっと距離が開いた時に、アクセルをいつもより少しだけ踏んでみる。150キロを超えたところで前の車につかえる。まあ充分でしょう。

 現地に着くと先客が既に結構いらっしゃってます。みんな長ーいレンズをぶらさげてます。常連の方々は椅子も用意して万端ですね。

 SH-60と思われるヘリは僕が帰るまでグルグル飛んでました。

 E2Cホークアイは昼頃一度見かけただけ、その後見えず。

 FA18ホーネットは結局4回見られました。

 僕が着いたのは昼前でしたが、最初に来たホーネットは3機が連続して離陸。

 2度目は約2時間後に又も連続離陸だったが、今度は2機で終わり。前回と同じ筈と思っていたので2機目が上空を通過後急いで飛行場の方へカメラを構えるが肩すかしだった。

 3回目は殆どの人がもう引き上げてしまった4時を回った頃。まだ頑張っていた3.4人の人たちも遂にカメラをしまい始めた、その途端に
「ゴォー」
「あああー!」
みんな一度仕舞ったカメラを大急ぎで取り出そうとするが後の祭り。全く間に合わない。

僕はまだカメラを仕舞ってなかったが、寒くて車の中に入ってたので、大急ぎで外に出る。が既に真上!

おお−4機編隊だ!

その4機は僕の頭上で旋回、パァーと分かれて行く。

あああー最高のシャッターチャンス!・・・・を見事に逃し、見えるのは既に小さくなった後ろ姿だけ・・・一生の不覚!(大袈裟な)
近くにいた人たちも全滅だったようだ。

 最後に1機ずつ2機飛んで来たのを写して終わりにした。

 マフラーしてて良かった。うーん。。今日に限って車に積んであった小さな椅子を下ろしたのは失敗だったなぁ。。。

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 一度アメリカの砂漠の一本道を走っていてそれらしき物を聞いた時があります。

 日本の自衛隊は音速飛行は確か海上でしかやらないと何かで読んだ時があります。陸上の上空でやると衝撃波で問題になるからで
しょう。

 凄い衝撃でしたよ。まじで! いきなり

「ドカーンンン」

「ぎゃあー」

ってな感じです。

 車が爆発でもしたのかと思うような音と衝撃! でも後ろにも前にもただ一本道が広がるだけ、だーれもいない・・・

と僕の視界の端から黒い物がスゥーッと入って来た。

「ん?」

 それは遥か彼方の砂漠の上を低空で、すっ飛んで行くファントムでした。

 そのファントムは、もの凄い速度でそのまま前方に突き出ている岩山に突っ込んでいったと思うとカクンと急激に機首を上げ岩山
スレスレに上昇し、またカクンと急激に機首を下げ今度はスレスレに急降下し、超低空で水平飛行に戻すと、そのまま視界外に消えて行きました。

 しゃれになりません。。。車の運転誤って道路から落ちるところでした。ハァハァ。。

 まあ近くには射爆場があるらしかったのですけど。。一応道路があって一般の車も走ってるんだからさぁ。。 危ないでしょう。。まあ実際飛行速度が音速を超えてなくても翼の上面を流れる対気速度が音速を超えるときがあるそうです。それで衝撃波
が出るかどうかは分かりませんが。
 日本の基地の周りで飛んでるゴォーって言う轟音とは全く違います。
 衝撃波って言うのはマッハを超えた時に圧縮された空気が元の状態に戻る時に衝撃が発生すると、ちらっと読んだ時があります。
一瞬の衝撃です。本当に交通事故にあったような衝撃と音でした。 いやぁ・・凄い衝撃だったわ。。まじで

 画像はアメリカのどこかの基地のファントムです。僕が見たファントムではありません。参考までに。

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 厚木基地にレガシィテスト運転を兼ねて行ったのは書きましたが。沖縄の基地はフィリピンが基地の使用料取るとかで撤退したか縮小したかで、確か今やアジア最大になったのではなかったですかね?
 ベトナム戦争でも沖縄が最大の基地になってましたよね。当時の戦士した米軍兵士の遺体の洗浄、縫合とかは日本でやってたようですし。
 
 僕が小さい頃沖縄に行った時にびっくりした事があるのです。それはすぐ頭の上を

 「SR-71」が通過したことです!
 
 「ええええーっ!」

 ってびっくりしましたよ! だってぇ、当時格国の戦闘機の写真が掲載されていた漫画があったんですが、その毎週見ていた漫画に掲載されたばかりの最新鋭偵察機だったからです。

 SR-71と言うのはアメリカ軍の偵察機で魚のエイのように平べったくて塗装は真っ黒、乗組員は普通のパイロットのGスーツではなく確か宇宙飛行士のような格好をしていたと思います。。当時のどの国の戦闘機も追いつけないマッハ3.3と言うスビードを出し相当な高高度を飛べました。 確か高温に耐える為に機体はチタンだったと記憶してますが、そんな昔からチタンなんてあったのかなぁ??

 そのSR-71は僕の頭上を通過後直ぐにバンクを伴う急旋回をして飛行場に降りて行きました。
 
 あんな最新鋭の偵察機が飛び回ってる事からしても沖縄は重要な基地だと言うのが分かりますね。

 日本に占領され次に日本の為に戦場になり何万人もの死者を出し、戦争終わったと思えば、今度は日本は沖縄をアメリカに差し出すし。

 沖縄の基地を減らす事は難しい事なのでしょうかね。。

大和に続いて。

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 ニューヨークには第二次世界大戦を戦ったアメリカ空母のイントレピッド(だったと思います。)が保存されています。正規空母のエセックス級の3番艦だったようで機動部隊の中心を担っていました。
 アメリカって凄い国ですね。第二次世界大戦が終了した時点で空母が99隻もあったそうです。もちろん小型空母、護衛空母なども含みますが、それにしても凄い。日本は大戦通じて建造した空母の延べ数が20数隻だそうです。

 そのイントレピッドの中に入ると飛行機や銃やら展示をしてました。映画もやってましたがこれが「日本とはこんなに酷い!」と虐殺風景とか特攻してくるシーンとかが映ってました。モノクロで戦争時のアメリカ国民の士気を高める為に制作された物がそのまま上映されているんでしょうね。
 特攻機が突入してバラバラになった破片とか飛行看板を先端まで転がって行った日本人パイロットとかの写真がありました。
惨いですね。戦争ですからねえ。

戦艦大和

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 「男たちの大和」今盛んにコマーシャルやってますね。実物大のセットを作って力が入っています。
 大和は現在に至るまで世界最大の戦艦です。
 一枚目の画像がその大和の画像です。
 排水量は満載の場合7万トンを超え、その主砲は直径46センチが9門、射程距離は42キロにも及ぶ。当時アメリカが大和型に対抗して作ったのがアイオワ級。その主砲は40センチ砲が9門。大和型を下回ります。なぜライバル視した大和型と同じ46センチ砲を搭載しなかったのか?それは各国とも戦艦の主砲は極秘中の極秘でありアメリカは大和型の主砲は40センチ砲と予想したからであり、もう一つの現実的な理由としてアメリカの艦艇はパナマ運河を通過しなければならないため艦幅を広く出来ず(アイオワは約32メートル)その幅では40センチ主砲が精一杯だった。アイオワの艦幅で46センチの一斉射撃をすると転覆しかねないのです。2枚目の画像がそのアイオワの斉射の瞬間です。どうです?40センチ砲ですらこの猛烈な迫力です。本当に転覆しかねませんね。

 戦争でその巨大な戦力を殆ど発揮する事がなかった為、無用の長物と言われている大和ですが、当時の列強各国はどこも戦艦こそ海の主役であり主力艦と呼ばれていたのは戦艦でした。勝敗の雌雄を決するのはあくまで戦艦であり、空母はその戦艦同士が打ち合いを始める前に少しでもダメージを与えておくのが目的の補助艦艇のひとつに過ぎませんでした。
 今でこそ誰でもが空母が一番強い事は知ってますが、当時の常識としては高速航行しながら回避する戦艦に爆弾や魚雷を命中させること自体難しく仮に命中させる事が出来たとしても、元々敵戦艦との打ち合いを考えて作られてる分厚い装甲には刃が立たないと思われていました。
 それに空対艦の演習で艦隊側に手も足も出ないと言わしめた程の練度と当時としては進んでた戦技を誇る日本海軍航空隊ですら実弾の飛んでくる実践での雷撃隊の被弾率は7割ほどと考えられてて生還はなかなか期待できないと考えられてたようです。まあ当時既に始まっていたヨーロッパの戦争に於いて海軍先進国のイギリスですら空母はありましたが、その搭載機は雷撃機に至っては複葉機のソードフィッシュがバリバリの第一線機でした。ドイツの浮沈戦艦ビスマルクの舵を破壊して撃沈に一役買ったのは有名な話です。でもとどめを刺したのはキングジョージ、ロドネーらイギリス戦艦の砲撃と巡洋艦らの魚雷です。
 
 それに真珠湾以降アメリカは空母を増産したと言われてますが、肝心な事が意外と知られてないと思います。それは真珠湾攻撃を受けたアメリカが再軍備を急ぐにあたって最重要艦艇としたのが実は戦艦なのです。空母ではありません。真珠湾を飛行機で壊滅させられた当事者のアメリカでさえです。

 アメリカが急いで戦艦を建造してる時、実は日本は既に戦艦の建造をやめてました。大和型3番艦信濃は空母に改造され50センチ砲搭載を計画していた紀伊、尾張と言った超大和型は中止になりました。
 列強で戦艦建造を一番最初にやめたのは日本らしいです。これは恐ろしい決断でしょうね、有事に備えるのが軍備ですし、戦艦は建造に何年もかかります。やめた後にやはり必要だったとしても、もう戦争に間に合いません。間に合わないイコール敗戦です。まさに勇断です。

 大和は先にレイテ湾で魚雷21本爆弾18発を受けて沈んだ姉妹艦武蔵の後を追って東シナ海に沈みます。片道燃料の特攻と言われていますが、これも実は違います。呉だったか、燃料省?が「これから突っ込むって言うのに腹一杯喰わさんとはなっとらん!」と言って燃料タンクの底に残る所謂帳簿外の重油をかき集めて沖縄往復には十分の燃料を積み込んだそうです。

 制空権のない海を沖縄まで無事に辿り着ける筈ありません。元々赤煉瓦勤務のエリートである伊藤整一第二艦隊司令長官も馬鹿げているとこの作戦を拒否したそうですが、一億特攻の先駆けになって頂きたい。と言われ、「それなら分かった」と了承したようです。まあその前に天皇陛下に「海軍にはもう船はないのか」との御下問があった事がこの作戦の発端になっています。飛行機による自殺攻撃の特攻一点張りの悲惨な作戦に心を痛めた天皇陛下のお言葉だったようです。海軍としてはまだ動ける艦艇があるとまずい訳です。実はまだ榛名、長門、伊勢、日向などの戦艦は健在でしたが、燃料不足で動けません。しかし、なんと言っても海軍の象徴であり連合艦隊旗艦大和と言う巨大戦艦を残して敗戦を受け入れる訳にはいかないのです。文字通り最後の連合艦隊の作戦でした。軽巡一隻と駆逐艦数隻と共に大和は海中に姿を没しました。大和一隻の戦死者が3千人をほ超えていたのは乗組員の他に陸戦隊を乗せていたからです。
 蛇足ですが、米軍攻撃機の被害は撃墜されたのが、たったの10機に過ぎません。

 大和に限らず、なくなられた方のご冥福をお祈り致します。

 

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