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密告社会の中であまりにも大量の人々が虐殺されたカンボジアにおいて、加害者を告発して裁くということの困難を、このニュースは伝えている。 カン・ケ・イウ被告は「拷問と人びとの処刑に対し、わたしには責任があると強調したい。あの時代を生き抜いた人びと、また残虐に殺害された人びとの遺族に、許されることなら謝罪させていただきたい。心から後悔している」と述べているが、彼自身も言わば被害者である。 というよりも、おそらく大虐殺を生き抜いたカンボジアの人々のほとんどは、多かれ少なかれ虐殺に加担することによって虐殺されることをまぬかれた人々なのだろう。 少なくとも、拷問や虐殺が行われているという現実を前にしても、抗議をせず、反対もせず、抵抗運動などまったくしなかった人間でなければ、虐殺される側に立つことを回避することはできなかっただろう。 「私は貝になりたい」に描かれたような、B級戦犯と同じような立場に立たされた人間をきわめてたくさん生み出してしまったところに、ポル・ポト派によるジェノサイドの本質はある。 カン・ケ・イウ被告は、こんな風に言っている。 当時は、S21に収容されていた人びとの命よりも自分の家族の命のほうが大事だと思っていた。わたしが下していた命令が罪であることは分かっていたが、党の幹部たちに盾をつくことは決してできなかった。
自分が加害者の側に立たなければ、家族もろとも被害者の側に立たされてしまうという状況の中で、いったい彼にどのような選択肢が残されていたのだろうか。 大虐殺を批判することは容易だが、裁きを与えることはきわめて困難であるということを、第三者としてニュースを読む立場の人間は肝に銘じておかねばなるまい。
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初めまして。
こういう話を見ると、現実の世界を裁判・司法の考え方で切り分けることが案外と難しいものだということを、思い知らされます。
司法という形式は、出来事を因果関係の連なりとして整理して「行為する者」と「行為される対象」とを定置した上で、この因果における第一原因としての「行為する者」の行為責任を問うというのが基本形だと思いますが、「行為する者」もまた因果が複雑に絡み合った現実の世界に生きている以上、もっぱら第一原因としてのみ存在しているわけではありません。でも司法の言葉は、この複雑怪奇な現実世界をある程度きれいにまとめられた因果関係に切り詰めることによってしか取り扱うことが出来ないために、現実の側ではそこから零れ落ちてしまうものが常に何かしら出てくるように思います。
2009/4/3(金) 午前 0:46 [ ReCTOL ]
副首相だったイエン・サリですら、逆らったら殺されると思ったというようなことを言って、自己弁護しているぐらいですから、第一原因としての「行為する者」の行為責任を問うとしたらポル・ポトしかいないわけです。でも、ポル・ポトという一人の人間に数百万とも言われる虐殺のすべてに対する第一原因としての責任を負わせられるのかというと、これまた大いに疑問が残ります。それでもやはり裁きが必要だとしたら、いったい人は何を裁こうとしているのか、物事を誠実に考えれば考えるほど、何かを行動に移す(実行する)ことは困難になります。それが現実というものなのでしょうね。
2009/4/3(金) 午前 9:36
ドイッチ、彼自身が中国系のエリートで、高校の先生をしていましたが、当時にあって、自身と家族を守るためにもポルポト主体に身を置き、主体に忠誠を誓わざるを得なかったんでしょうね。
2009/4/3(金) 午前 10:57 [ ciaocommodore ]
インテリ層が剿滅的な被害を受けたみたいで、虐殺されなかったインテリ層はポル・ポト派の幹部など、加害者だった人間ばかりで、そういう人間の存在なしには、政治や経済や教育を行っていくのは不可能だったとか。そういう状態になってしまったら、個人は無力です。オバマ夫人が言ったみたいに、個人の力で何でも出来るという話にはならないですよね。
2009/4/3(金) 午後 2:09
悪しき「恐怖政治」の典型例だと思います。
しかし、それでも(あえて反論を覚悟で言うなら)
「政府側」の人間における「政策の犠牲者」と、民衆側における
「政策の犠牲者」とは、明確に区別される性質のものではないでしょうか?
そうでなければ「統治」の意味がありません。
あ・・TB、感謝です。
2009/4/3(金) 午後 3:33
殺す側に立ちながら、そのあと殺された人もいるでしょうし、明確に区別するのは難しいでしょうね。それが可能だとしたら、殺されてこの世にいない人と、殺されずに生き残った人という区別しかないでしょう。
2009/4/3(金) 午後 7:58
ポルポトに対して、中国からの支援もあったようですね、そのあたりもきっちり総括しなくてななりませんね。
2009/4/5(日) 午前 6:51 [ nakayamagoro ]
総括の主体と対象がどうなるのか。どういう総括があり得るのか…というところが難題です。
2009/4/8(水) 午前 6:08