博士の日常

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

 いつもより帰りが遅くなり、けだるい体を引きずって自宅近くの寒駅の改札機を通り抜けると不意に肩を叩かれた。

 眉間のシワが印象的な、くたびれたサラリーマンが曖昧な笑顔をこちらに向けて立っていた。

 昔の呼び名が耳に懐かしく響き、くたびれたサラリーマンの瞳の光が記憶の淀みの奥底から慣れ親しんだ一つの顔を浮かび上がらせた。

 高校時代の同級生Kだった。

「ちょっと飲んで行くか」という話になったのだが、何でもガンで入院している奥さんを見舞った帰りだと言う。

 Kの奥さんはすでにステージ4の末期癌で、抗がん剤治療を続けながら、ここ数ヶ月は入退院を繰り返しているらしい。

 郊外の中高一貫校で教師をしているKは、奥さんが入院しているあいだは早めに仕事を切り上げて病院に通う毎日で、出口の見えない日々にさすがに疲労の色を隠せなかった。

 それでもビールで乾杯して簡単に近況を語り合うと、憑かれたように奥さんと自分のことを語り始めた。

 午後九時ごろから居酒屋が店じまいをし始めた午前一時すぎまで、おおよそ四時間にわたってKは自分と奥さんのことを語り続けた。

 事情が事情だけに簡単に切り上げる訳にもいかず、途中からは腹を据えて良い聞き手になることだけを考えていた。

 今のKに必要なのは誰かに自分の胸の内を洗いざらいぶちまけることなのだろうと感じたからだ。

 ただKの話は、私のそのようなカウンセリング・マインドなど不要なほど、話そのものからして既に興味をそそるものだった。

 Kにとっては、ここにこうして書き留められることが必ずしも望ましいこととは限らないだろうから、話の骨格を損なわない範囲で細部を改変し、語り直してみることにする。

 主として自己治癒のために。

〜つづく〜

目玉おやじを喰った! ケータイ投稿記事

イメージ 1

居酒屋に行ったら目玉おやじの煮付けが出てきた。

鬼太郎も力及ばず、あえく捕らわれ、あっけない最期を遂げたようだ。

驚くべきことは、目玉おやじはどうやら双子だったらしいということだ。

なにしろ目玉なんだから、そりゃそうだろうと納得した夜。

抗がん剤による副作用に苦しみながら一時退院と再入院を繰り返していた去年の今ごろ、初めて入った緩和ケア病棟の個室に若い女性のカウンセラーがやって来た。
「コンニチハ。オカゲンイカガデスカ?カウンセラーのサメジマデス」
話を聞くことを仕事にしているから何でも話して下さいと言いながら、「キョウハオツライヨウナノデ、マタライシュウノゲツヨウビニウカガイマスネ」と言って立ち去ったサメジマ嬢はおそらく研究目的で出入りしている大学院生か何かだろう。緩和ケア病棟の個室しか空いていないと言われてとりあえず入りこんだ千里が来週になれば間違いなく一般病棟に戻っているだろうということを彼女は把握していない。

だいいち抗がん剤の副作用に苦しむ患者にとって大事なことは「話す・聞く」ということよりもむしろ共感し「触れ合う」ことなのだ。それなのにペンとノートを持ってベッドサイドに立った彼女は、千里の手を握ろうともしなかった。

しかも終末期の患者にとってさえ、カウンセラーの「聞く」は無力である。痛みや倦怠感に苦しむ終末期の患者は、むしろ自分の胸に向けて語りかけてくるささやかな、でもあたたかい言葉を求めているのではないだろうか。

聞いて欲しいことがたくさんあったのは、最愛の妻が死ぬという運命を突きつけられて途方に暮れていたあの時の私だった。

サメジマさんはそんな私も置き去りにして、病室を出て行ったのだ。

井の頭公園の桜 ケータイ投稿記事

花に嵐のたとえの通りに天候が荒れて桜の季節がまた過ぎ去ってしまった。

2年前はまだ病気のきざしのまったくなかった千里と学生時代の思い出の場所である井の頭公園に10数年ぶりに出かけて、満開の桜と花見客を眺めながら池の周囲を結局1周半も歩いてしまったのが昨日のことのように思い出される。

あの時の千里はもういない。

去年の夏の出来事 ケータイ投稿記事

千里が死んだのは「風の歌を聞かせてよ」という曲がラジオから流れていた去年の夏のことだ。気がつくともう桜が散り始め、病室で花見をした日から1年以上の歳月が流れ去ってしまった。

あれでよかったのだろうか。私の胸の奥にはにぶく重い悔恨がいまだにくすぶり続けている。

自分の力だけで用便をすることにこだわり続けてベッドから自力で立ち上がれなくなるまでいっさいの介助を拒んだ千里は、私の手を借りてベッドサイドの簡易トイレに座るようになっても、看護士の介助を拒み続けた。
ベッドに座らせて脇の下に両手を入れて持ち上げたときの信じられない軽さと千里のあたたかな躯の感触は今でもありありと私の手に残っている。

千里の躯をこんなにも無惨に損なってしまったのは私ではなかったかという不安から身を引き離すのは私にとってはいまだに困難である。癌という病の残酷さを頭ではわかっていたつもりだったが、そこに身を置かなければ見えない風景というものがあるのだ。

4月の通勤電車に揺られながら見えている散り残った桜の花は、去年とはまったく異なる色を私の目に映している。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事