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古生物学者が年代測定をするときに放射性同位元素の分析をあてにするのと同じぐらい,青空文庫の検索は,近代文学研究の世界では一般的な手法になっています。(・・・いや,もちろん,ウソですよ。。。) というわけで(?),青空文庫のトップページの右上にある検索窓に「ラーメン」と入力し,検索ボタンをクリックしてみました。 ヒットしたのはわずかに2件。太宰治の墓前で自殺したことでも知られる田中英光の「野狐」(1949)と,東大在学中に芥川龍之介や菊池寛と第3次『新思潮』を出して作家として出発した豊島与志雄の「庶民生活」(1952)です。 「な〜んだ,2編しかないのか」と早とちりしてしまってはいけません。 著作権が切れた古い小説を検索するわけですから,「ラーメン」という検索語だけでは不十分です。 そこで私は,「支那そば」「中華そば」でも検索をしてみました。 そうすると,「支那そば」で10件,「中華そば」で3件ヒットします。 さらに「そば」という文字の表記をカタカナの「ソバ」に変えてみると,「支那ソバ」で15件,「中華ソバ」で3件ヒットしました。 つまり,著作権の切れた近代文学の世界では,「支那ソバ」が最大派閥であるということになります。 検索結果から見る限りは,“ラーメンと近代文学”について考える前提として,“支那ソバと近代文学”について考えなくてはいけないのかも知れません。
福島県の喜多方でラーメン店のはしごをしました。 1軒目の阿部食堂では「中華ソバ」,2軒目の浜町食堂では「喜多方ラーメン」,最後の坂内食堂では「支那ソバ」を注文しました。 偶然ですが,「中華ソバ」「ラーメン」「支那ソバ」の3種類を食べたことになります。 値段はいずれも550円でした。 20年ほど前に初めて喜多方に行ったときは,今ほどたくさんラーメン店がなくて,当時のガイドブックでおすすめ店になっていた「まこと食堂」に入りました。たしか「支那ソバ」という呼び名を使っていたはずです。喜多方のラーメン店で「支那ソバ」という呼び名を使っているお店は,他の地域と比べていくらか多いのではないかという気がします。 ちなみに写真は,坂内食堂の「支那ソバ」です。
さて,気になるのは,「支那ソバ」という言葉です。 「支那」とはもちろん「中国」のことですが,差別語であると見なされる場合が多く,MS-IMEやATOKのような日本語変換システムではあらかじめ単語登録されていません。 「支那」というのは,中国最初の統一王朝の国号「秦」に由来していて,「支那(シナ)=China(チャイナ)」であるから差別語ではないという話もよく聞きます。 もともとは,サンスクリット語で書かれた仏教の経典を訳したときに,「中国人」が作った言葉であるとも言われています。文脈や使い手の意識の問題だという見方もあります。 「日本」という国号も,外国では「ジャパン」とか「ヤポン」と呼ばれているわけですから,「チャイナ」と同様に「支那(シナ)」という呼び名も認めたらどうかという意見もあります。 こうした一連の議論で見過ごされているのは,日本も中国も漢字文化圏に属しているということです。 ブログ検索してざっと「支那」に関する記事を読んでみたところ,この点を踏まえているのは,トラックバックをした考えるブタさんが書いた「支那ということば」という記事だけでした。 「支那」という漢字は,音だけではなくて意味をも示しています。 「支」というのは「支部」とか「支店」という言葉でもわかるように,「おおもとから分かれ出た小さいもの」という意味を持っています。 「那」というのはmasahito2117さんのおっしゃる通り「無意味な助辞」ですが,同時に「あれ」とか「あの」と同じで「遠くの方にあるもの」を指す言葉でもあります。 国語教師が国漢教師と呼ばれた時代に教育を受けた人々は,今よりもずっと漢文の素養があったでしょうから,漢字の意味にも敏感だったはずです。 ですから,夏目漱石や芥川龍之介,あるいは太宰治の時代の人々は,「支那」という漢字にどのような意味があるのかを今よりもずっと敏感に感じ取っていたと見なしてよいでしょう。 「支那」という漢字の意味は,あえて極端な訳し方をすれば,「世界の中心から遠く離れた場所にある小さくて取るに足りないもの」という意味になるのです。 だからこそ,「支那」という言葉は中国人を蔑視するときに好んで使われたのではないでしょうか。 もちろん,「中華思想」(自分たちが世界の中心であるとする選民思想のひとつ)に基づく国号を持つ中華人民共和国(中国)の人々にとっても,不愉快な文字面であることは確実です。 「中華思想」自体が自民族中心主義的で差別的ですが,漢字の意味がわかってしまう人にとっては,隣国の呼称として「支那」という漢字を使う日本人の意識にも,差別的な意識が透けて見えてしまうはずなのです。
「ジャパン」とか「ヤポン」とか「ジパング」などのように,外国人がなまって発音するのは許せても,「邪蛮」(ジャバン)とか「野蛮(ヤバン)」とか「痔犯苦(ジパンク)」などと呼ばれるのは嫌ですよね。なまっているだけではなくて,なにやら妙な漢字を当てられているわけですから,日本人としてはきわめて不愉快です。 「痔犯苦」ほど極端ではありませんが,「支那」もまあ似たようなものです。 その昔,日本のことを「倭」(背が曲がって背が低い小人)と表記した人たちと同じような悪意が,「支那」という文字づかいには感じられるのです。 「支那」という言葉には,明治維新によって近代化政策をとり,殖産興業と富国強兵によって日清戦争に勝利した日本人の,かつての先進国・中国に対する屈折した意識が投影されているような気がします。 それはちょうど,「支那ソバ」という食べ物が持っている屈折した性格とよく似ています。 【追記】
吉行エイスケの作品にも支那そばが出てくるらしいです。アフィリエイトを貼っておきます。(2009.12.22) Photograph by NJ |
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中華というのは世界の中心という意味らしく、江戸時代の漢学者の中には(多分闇斎学派の人だったような気がしますが)日本が中華であってもかなわないといっています。王朝が一つで滅びていないのだから、日本のほうが中華にふさわしいと言う言い分だったような気がします。そう考えると、昔の日本人の方が過激ですよね。西欧人を野蛮人だと思っているし、幕末の尊皇攘夷も元は中国の差別思想ですからね。
2007/8/1(水) 午後 3:31 [ bat**yu2*01 ]
傑作ポチ,ありがとうございます。続編はまた1週間ぐらいしたらアップします。モコモコさんに頂いたお題は,難しいんですけど,こういう与太話がこのブログの本道ですから,楽しみながら頑張ります!
2007/8/2(木) 午前 0:46
かえでさんのコメントを見て気づいたんですが,「しなちく」を逆さにすると「くちなし」なんですね。だから・・・どうってわけでもないんですけど。。。
2007/8/2(木) 午前 0:48
「中国」も「日本」(日出ずる国)というのも,まあ,自文化中心的ですけど,自分を中心に考えるのは,当たり前…というか,やむを得ないところがありますね。
2007/8/2(木) 午前 0:50
あ〜でも、うちの両親は支那ソバっていまだに言うよ〜今、78歳だけど。あの年代の人が言う麺と今のラーメンは違う気もするんだけど・・・
2007/8/4(土) 午前 1:49
なるほどね、「世界の中心から遠く離れた場所にある小さくて取るに足りないもの」・・・ 英吉利、仏蘭西、独逸にはそういう言葉が使われていないってことですよね? なるほど。 「痔犯苦」は傑作。
沼正三が書いていそう(笑)
2007/8/6(月) 午前 10:38 [ - ]
興味深く読ませていただきました。「支那」という言葉はべつに差別用語とは思っていませんでしたが、その感じの意味までは考えた事がなかったのでなるほどな〜と納得。「支那」というと「そば」もですが、昔の歌の「支那の夜」という曲を思い出します。^^;
2007/8/11(土) 午後 9:32
今のラーメンって,喜多方ラーメンみたいなちぢれた太麺が多くなっているような気がします。昔の麺はそれこそ「ソバ」っていう感じの細麺が基本だったんじゃないでしょうか。幼い頃は細麺しか食べたことありませんでした。>むにゅさん
2007/8/19(日) 午前 1:07
なるほどたしかに英吉利(イギリス)なんか,良い意味の漢字ばかり使われていますね。亜米利加(アメリカ)も「亜」はともかく,稲作国家の日本からすると,魅力的な文字遣いですよね。>akihitoさん
2007/8/19(日) 午前 1:10
「支那の夜」は“東京12チャンネル”でやっていた懐メロ番組やカラオケで何度か聴いたことがありますけど,いい曲ですよね。>Choroさん
2007/8/19(日) 午前 1:12
日本人発でこの様な差別だとかばかにしたと言う話しが諸外国に出回り過ぎた感じがしています。china−シナと言う言葉は現中国の創始者でもある国民党創始者−孫文(日本で見付けた”中山”の名前が、中国でも孫中山で有名です)自身が多用していた呼び名ですから、騒ぎ過ぎでしょう。捏造の朝日新聞記者−吉田清治や左翼弁護士−戸塚悦郎などに拠って、当時の韓国歴史家に完全に捏造と否定された民間慰安婦問題もいつの間にか軍隊国家主導の問題にまで話しが飛躍して来ました。人の事を気にし過ぎ大切に思いやる素晴らしい日本の国民性を実に悪用する困った国に成ってしまった感じがします。
2013/4/6(土) 午後 4:26 [ 遜悟空 ]
私がこの記事で書いたのは「china−シナ」という音の問題ではなく,あくまでも「支那」という漢字表記の問題です。
ただ,孫文は「支那」という文字を使ったことがあるようですから,日本人が使う場合のエクスキューズにはなるのかもしれませんね。孫文がどういう文脈で「支那」という文字を使ったのかはわかりませんし,そもそも中国語がわからないので何とも判断しかねるところはありますが…。
2013/4/14(日) 午後 9:35
それから,私は孫文みたいな偉人ではありませんが,欺瞞に満ちた現在のこの国に対して批判的な立場に立ち,裕福な華僑から資金援助を受けながら革命を志していたとしたら,事と次第によっては「邪蛮」という表記を使うこともあるかもしれません。
孫文の場合,そういう使い方に近かったのかどうかについても,判断する能力はないのですが…。
2013/4/14(日) 午後 9:37
孫文だって使っているという事実だけで「支那」の使用を正当化することはできないだろうというのが,この記事を書いた私の感覚です。
2013/4/14(日) 午後 9:40
「支那」って表記は孫文どころか、かの国では隋唐の時代から使ってますよ。もとは仏典を漢訳する際に、インドでの中国(「中国」は、中華人民共和国又は中華民国の国号だから当時は存在しませんが、便宜上、今の中国の支配地域を「中国」といいます)の名称を「支那」と表記しました。「至那」「脂那」と漢訳された例もあるそうです。このように「支那」の名称は、かの国でも、わが国でも1000年以上にわたって使用されてきていますから、これを「世界の中心から遠く離れた場所にある小さくて取るに足りないもの」というのは、言いがかりに等しい、無根の説でしょう。
2014/4/11(金) 午後 11:08 [ fwj*6*07 ]
fwj*6*07さん,ご教示ありがとうございました。専門的なことはわからないので,勉強になりました。
問題は,ヤマトという語がどの地域を指すのかということが時代によって,あるいは文脈によって異なるように,「支那」という語が何を指し,どういうニュアンスで使われているかなのでしょうね。
例えば中国残留孤児とか在日コリアンの二世三世が日本の国籍を持ち,日本人として日本語を操りつつ日本のことを「邪蛮」と表記したことを根拠に,数千年後の研究者が日本でもかつて「邪蛮」という表記が一般に使われていたと主張することはできないでしょうから。
お書きになっていることから判断すると,仏教において先進国だったインドを中心とする価値観が,「支那」という表記には含まれているのかもしれませんし,その文字を使ったのは「今の中国の支配地域」にやってきて漢字を使いこなすようになったインド出身の高僧かもしれません。また,「中国」という統一国家がない時代,国民国家成立以前の話ですから,漢字を使うからと言って「支那」と呼ぶ地域に帰属意識を持っている人物であるとは限りません。
そんなことを考えてしまいます
2014/4/13(日) 午前 11:21
そもそも私が問題にしたいのは,漢字文化圏に含まれ,漢字の意味を理解しうる日本人があえて「支那」という表記を選ぶ必要はないだろうということでした。悪意を込めて使いたいのなら別ですが。
2014/4/13(日) 午前 11:23
私が言いたいのは、歴史的な名称を、使用してはいけないというのはおかしいのではないかということです。例えば、日本は、古代「倭」と呼ばれていました。「倭」は、「背の曲がった背の低い人」という意味です。現代の感覚では、差別語です。しかし、私達は歴史を学ぶときに「倭人」「倭国大乱」などと、当時の事物や事象を表現するのに「倭」という言葉を使います。一方、中国や朝鮮・韓国のネット上では、日本の蔑称として「倭」が使用されることがあります。「支那」についても同じだと思うのです。「中国」は、中華民国、中華人民共和国の「国号」であって、地名でもありません。清朝以前の王朝やその支配地域をひっくるめて呼ぶときには、「支那」と呼ぶほかないのです。「中国」を呼称するのに「支那」を使用するのは差別的な響きがありますが、歴史的な用語として使用してはいけないというのは行き過ぎだと思います。現代の日本を「倭」と呼ぶのが差別的であっても、古代日本を「倭」と呼称するのは差別的でないのと同じだと思うのです。
2014/4/21(月) 午前 10:52 [ fwj*6*07 ]
いや,私も歴史用語として「支那」を使うことを否定するつもりはありません。現に,いま編集作業中の雑誌には「支那」という単語が出てきます。昭和10年代の小説を論じるには,テクストに出てくる「支那」という言葉を使わないわけにはいかないからです。
ただ,歴史的な名称だからと言って,「中国」と書けばよいものをわざわざ「支那」と書く必要はないし,石原慎太郎のように「シナと言って何が悪い?」とわざわざ挑発する必要もないと思うわけです。
2014/4/30(水) 午後 5:11
記事の中で「もともとは,サンスクリット語で書かれた仏教の経典を訳したときに,『中国人』が作った言葉であるとも言われています。」として「中国人」をカギ括弧つきで表記しているのも,当時は「中国人」などいなかったと考えたからです。
ちょっと議論がすれ違いになってしまいましたね。
2014/4/30(水) 午後 5:17