「支那ソバ」とか「中華そば」とか「ラーメン」が登場する“ラーメンの近代文学”を書いた作家たちとして,豊島与志雄,牧野信一,夢野久作,宮本百合子,林芙美子,太宰治などの名前をあげることができます。 なかなかユニークな顔ぶれなんですが,青空文庫に収録されている“ラーメンの近代文学”の中から,私なりにベスト3を選んでご紹介します。
第3位は,田中英光の「野狐」(1949)です。 三鷹の禅林寺にある太宰治の墓前で自殺したことでも有名な田中英光の代表作と言えば,長編小説の「オリンポスの果実」で,これ以外の作品はあまり知られていませんが,短編小説「野狐」は知る人ぞ知る名編です。 「野狐」は,妻と愛人のあいだを行ったり来たりする自堕落な生活ぶりを赤裸々に描いていて,いかにも無頼派らしい小説です。 ひとくちに「行ったり来たり」と言いますが,まさに「行ったり来たり」と言うしかないほど,性懲りもなく何度も女と女のあいだを行き来している様子を読んでいると,心の中に奇妙なビートが生まれてくることを感じます。無頼派の自堕落な生活は,とっても“グルーヴィー”なんです。 こういう小説を読むと,ロックンロールのビートを小説言語に持ち込んだ(?)町田康が,“無頼派作家の正統な継承者”であることが納得できます。 田中英光は,こんな感じでラーメンを登場させています。 彼女の家に帰る途中に、支那ソバ屋がある。桂子は勤めに出ていた頃、時々お腹がへるとここに寄ったという。ある時は、送ってくれた酒場のボーイを連れて。それはお客かもしれぬと一瞬、邪推したが、その時、私はまだ過去の恥ずかしいことでも、隠さずに語ってくれると思う桂子を信じていた。そして桂子は玉子を入れたラーメンを二杯も食べる。昨夜のリリーに見た時のような恐るべき食欲。桂子というのが愛人で,リリーというのは桂子の友人です。 「支那ソバ屋」に寄るという行為が,他の男性との関係を疑わせる行為として受け止められています。 「そば屋の二階」が男女の密会に使われたり,場合によっては「そば屋」自体が売春を行う場所として機能していたりしたということとの関係を考えないわけにはいきません。 「支那ソバ屋」は,「そば屋」と同じように,性的なイメージに彩られた空間として受け止められかねない場所だったのでしょう。(「そば屋の二階という空間」参照) ところで,桂子は「ラーメンを二杯も」食べています。たしかに「恐るべき食欲」です。 「私」は,桂子やリリーのことを,「愛情にも、金銭にも、食欲にも、あらゆるものに飢えている」と述べているのですが,「野狐」において食欲は,どうやら肉欲を連想させる欲望として描かれています。 ですから,「玉子を入れたラーメンを二杯も食べる」という描写も,桂子の食欲の強さだけを表現したものではないのでしょう。 こういう女と自堕落な生活を続ける「私」が,いったいどんな末路をたどることになるのか,ならないのか…,小説の内容についてはネタバレになるので詳しく書きませんが,シリアスで悲劇的な話であるはずなのに読み手としては笑うしかない,ほとんど喜劇のような小説です。 言ってみれば,布袋寅泰に殴られて訴訟を起こした町田康的な“悲喜劇”の世界であり,こういう世界に「ラーメン」はぴったりなのです。《青空文庫の「野狐」へ》 ちなみに写真は,あっさり味の喜多方ラーメンで評判の浜町食堂にある,今は使われていない古い入り口です。 かつての浜町食堂にも,「階上座敷」があったことがわかります。
第2位は,坂口安吾の「遺恨」(1948)です。 青空文庫で読んだ範囲で言うと,ラーメン文学のチャンピオンは,坂口安吾なんですが,その中でも「遺恨」は出色の作品です。 書き出しは,こんな感じです。 梅木先生は六十円のオツリをつかんで中華料理店をとび出した。支那ソバを二つ食ったのである。うまかったような気がする。しかし、味覚の問題ではない。先生は自殺したくなっていた。梅木先生は,「終戦以来」はじめて「裏口営業」の料理店に入りました。 この日,梅木先生はひとかたならぬ決心をして,「どうしても、食う」という「悲愴な覚悟」で中華料理店に入ったのです。 ここで言う「悲愴な覚悟」というのがくせものです。 梅木先生はいったい何を期待して「支那ソバ」を食べに来たのでしょう。 戸口をくぐる時から、梅木先生の覚悟はただ事ではなかった。逆上、それから、混乱だ。 けれども、店内は、意外や、あたりまえの店内の風景であった。つまり、昔、先生も記憶にある支那ソバ屋の風景だ。はっきりとは書かれていませんが,“ソバ屋の二階”問題がここにも顔を出しています。 梅木先生は,「特殊な支那ソバ屋」であるかも知れぬとい期待に胸をおののかせて店内に入ったののの,「普通の支那ソバ屋」と同じような風景があったので,「意外」に感じているのです。 「支那ソバ屋」に何かを期待していた梅木先生は,店内に入って注文をし,支那ソバを待ち,食べるあいだ,女給たちの一挙手一投足に敏感に反応しながら時を過ごします。 そして結局,支那ソバを二杯も食べてしまうのです。 もちろん,女給たちと梅木先生のあいだには何も起こりません。 冒頭部分の引用にあるように,支那ソバを二杯食べた梅木先生は「自殺したくなっていた」というわけです。 中華料理店を出た後,梅木先生がいったいどんな体験をして,どんな結末を迎えるのかは,読んでのお楽しみですが,「さすが坂口安吾!」という面白さであることは保証します。 ひとつだけ言っておけば,「梅木(=うめき=呻き)先生」という名づけの中に,坂口安吾一流のほのめかしが見てとれます。《青空文庫の「遺恨」へ》 関連記事○「支那ソバ」は差別語か?―ラーメンと近代文学(その1)○「探偵小説十戒」の“怪しげな中国人”―ラーメンと近代文学(その2) ○そば屋の二階という空間―ラーメンと近代文学(その3) Photograph by NJ |
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「食べる」ということは生への欲求、性への欲求。象徴的に用いられるのかもしれませんね。
でも、なぜ支那ソバなのか。卑近な感じと「夜」を感じさせるところだからでしょうか。続編、楽しみです。
2007/8/26(日) 午前 7:04
食は性と深く結びつくゆえに、食にたずさわる職業に就く者は差別されたし(ゆえに神道的演出を強調する)、食の神様は日本神話では残酷に殺されています。性をタブー視する世間の建前と、実は性にオープンな庶民たち。興味深いテーマですね。
2007/8/26(日) 午後 6:57
すごい、『ラーメンバトン』からこんな文章がうまれるなんて。 ラーメン2杯・・・。今ちょうど、深夜=ラーメン時間で、ラーメンがとっても食べたくなりました。 チキンラーメン2杯食べれそう。
2007/8/28(火) 午前 2:46
二つとも記憶のそこにぼんやりある作品です。話はラーメンではないのですが、今はもう無い新宿の焼肉屋でこれから仕事に行くらしい水商売風の若い女性が一人で黙々を肉を食べているのを見て、いいな、と思いました。たくましい感じがして。
2007/8/28(火) 午前 5:49 [ bat**yu2*01 ]
二つとも読んでみます。
それにしても冒頭の写真ですけど、どこの国かと思うたです。
2007/8/28(火) 午後 1:39
敗戦後に日本人が支那そばにどういうイメージを持っていたのかについては,まだちょっとわからないところがあります。「支那そば→屋台→夜」というような連想も面白いですね。>リリカさん
2007/8/28(火) 午後 10:18
なるほど,名著「夜這いの民俗学」を思い出しました。>にこにこくん
2007/8/28(火) 午後 10:19
寝る前3時間はメタボリックにならないように食べない方がいいと言いますし,アルコールで荒れた胃にラーメンは毒なんですけど,どうして深夜のラーメンってあんなにおいしいんでしょう。チキンラーメン2杯っていう気分,わかります。>モコモコさん
2007/8/28(火) 午後 11:21
肉を喰う女っていうのも,ブンガクっぽくていいですねぇ。>bataiyu2001さん
2007/8/28(火) 午後 11:22
さんずいが消えていて「羊食」に見えるところとか,「盛皿肉鍋」っていうあたりの文字面は,「皿」が「血」に似ているせいもあって,なんかグッときますね。>低人さん
2007/8/28(火) 午後 11:23
ラーメンを二杯食う女…玉子を入れた、っていうのミソがなんだと思います。本来、女は玉子を生まなければならないはずなのですが、玉子を二個食べたっていうのがあれなんだと思います。玉が二個でぇー、なんかもう喰ってますよねぇ………(キャッ!)
2007/8/29(水) 午後 3:20 [ かえで ]
かえで節,炸裂! まいりました・・・orz
2007/8/29(水) 午後 10:48