|
たとえば,夏目漱石の「坊っちゃん」(『ホトトギス』1906)を読んでいると,「ダーク一座」(九章)などという表現に出くわします。 『人造人間キカイダー』に出てきた謎の犯罪組織ダーク 一味ではないですし,『仮面ライダーX』の劇場版に出てきたキングダーク一味とも関係ありません。 私はコーヒーに関してはブラック党ですが,これもまったく無関係です。 「ダーク一座の操り人形よりよっぽど上手だ」とあることからもわかるのですが,じつは人形芝居の劇団です。当時は浅草の花屋敷で公演をしていたそうです。文化史的には重要な劇団であるらしく,児童文化学の溝手恵里さんが書いた「ダーク一 座とその継承日本人形劇史の一つの試み」(ミネルヴァ書房『児童文化の伝統と現在』所収,1986)なんていう論文があります。溝手さんによると,糸操り人形を使った「ダーク一座」の来日公演は,どうやら我が国の人形劇史の嚆矢として位置づけられるようです。 ただし,「ダーク一座の操り人形よりよっぽど上手だ」という坊っちゃんの発言を見る限り,人形浄瑠璃を見慣れた日本人にとっては,ダーク一座の糸操り人形の動きは,どうやらちょっとぎこちなく見えたようです。 このあたりは,おそらく『ホトトギス』の読者ならば,「なるほど,ダーク一座ね(笑)」という感じで合点が行くものだったのでしょうが,21世紀の日本人にとっては注釈抜きでは意味不明の文字列です。 校長はこの時会議の引き続きだと号してこんな事を云った。生徒の風儀は、教師の感化で正していかなくてはならん、その一着手として、教師はなるべく飲食店などに出入しない事にしたい。もっとも送別会などの節は特別であるが、単独にあまり上等でない場所へ行くのはよしたい―たとえば蕎麦屋だの、団子屋だの―と云いかけたらまた一同が笑った。(六章)食いしん坊の坊っちゃんが蕎麦屋や団子屋に行くのを禁じられて困っている場面です。ずいぶん前に初めて読んだときの私は,食いしん坊の坊っちゃんが笑われている場面として,別になんと言うこともなく読み過ごしていました。 でも,今回は思わずページをめくる手をとめてしまいました。「そば屋の二階という空間」という記事に書いたように,「蕎麦屋だの団子屋だの」がかつての同伴喫茶のように男女がむつみあう空間として使われていたのだとすれば,ちょっと違った解釈ができるかもしれないと思ったからです。 「蕎麦屋だの団子屋だの」が話題になる部分では,「精神的娯楽」と「物質的娯楽」についての議論が展開されるわけですが,坊っちゃんがあくまでも食べ物という「物質的娯楽」を求めていたのに対して,赤シャツたちは別の「物質的娯楽」を念頭においていたかもしれないわけです。 もしもそう解釈したとすれば,「一同が笑った」というあたりには,かなり下卑た雰囲気が感じられてきます。 蕎麦屋や団子屋についての描写はまだあって,たとえば次のような描かれ方もしています。 「あいつは、ふた言目には品性だの、精神的娯楽だのと云う癖に、裏へまわって、芸者と関係なんかつけとる、怪しからん奴だ。それもほかの人が遊ぶのを寛容するならいいが、君が蕎麦屋へ行ったり、団子屋へはいるのさえ取締上害になると云って、校長の口を通して注意を加えたじゃないか」(十章)食いしん坊でうぶな坊っちゃんが性愛空間としての使い方を知らないまま蕎麦屋や団子屋に出入りしているというところに“笑い”があったのか,なかったのか。『ホトトギス』の読者は,このあたりをどのように解釈していたのでしょうか。彼らのデータベースをのぞいてみたい気がします。 |
全体表示
[ リスト ]




(今手元に本がないので確かだといえませんが、確か坊ちゃんの夢のなかで、きよがおいしそうに何か食べるというゆうシーンがあったときます。 さすが、文豪というか、こっちまで食べたくなっちゃいますが。
2007/12/3(月) 午前 8:06
面白いですね。校長の発言はもしかしたら一般論というより、一部教員に対する訓戒を込めていたかもしれませんね。今でこそ教員の品性下劣な事件がときどき報道されますが、当時からあったとしても不思議ではありません。赤シャツあたりは、ひやりと苦笑したのではないでしょうか?
2007/12/3(月) 午後 11:11
松山に赴任して最初の夜に「清が越後の笹飴を笹ぐるみ」で「むしゃむしゃ食っている」夢を見てますね。なんなんでしょうね。夢判断してみたい感じです。
2007/12/6(木) 午前 4:38
あきらかに「一部教員に対する訓戒」だったでしょうね。しかも「自衛隊員倫理規程」を守らせるために,イエローカードみたいな「倫理カード」を作ったり,ゴルフ接待はいけないよというビデオまで作ったりしていたという防衛省の偉い方みたいに,じつは最も訓戒すべきは自分だったりするのかもしれません。100年ぐらいじゃ,人間ってそうそう進歩しないものなんですねぇ。
2007/12/6(木) 午前 4:46
ここまで読みが深いと鋭いとしか言えません。
坊ちゃんっていうのは、昔からある言葉で、ボンボンという意味でしかないのでしょうか、好意的にも感じられるからカッコいいと思いますが。
2007/12/6(木) 午後 3:29 [ - ]
深いとか鋭いとかではなくて,ひょんなことから「ラーメンと近代文学」というシリーズを書くことになって,蕎麦屋の2階について考えたばかりのタイミングで「坊っちゃん」を読んだので,避けようもなく蕎麦屋と団子屋に目がとまってしまっただけなんですが,そう言っていただけると,とてもうれしいです。どうもありがとうございます。
2007/12/7(金) 午前 5:45
僕はこの一節に子供の頃から惹かれています。おかげで汁の黒く無い天麩羅蕎麦は誠に物足りない。その時の風俗を知らなくとも 欲望のコードに関するメッセージは経験を超えてダイレクトに届くのではと思いを巡らしたブログでした。傑作です
2007/12/16(日) 午前 11:08 [ pan71655 ]
風俗について、理解できない子供のころと、成人Wした今では、読み方が違ってきますね。坊ちゃんって何が面白いのか、子供のころはまったくわかりませんでした。(漱石全般についてもいえますが)
2008/1/30(水) 午前 1:54
天ぷらそばは,私も大好物です。関東の生まれなので,私もやっぱり濃い色のそば汁でないと,気分が出ません。
亀レスになってしまいましたが,pan71655さん,コメント,どうもありがとうございました。
2008/1/30(水) 午後 5:49
「坊っちゃん」って,小学生用の名作シリーズなんかにも入ってるんですよね。面白いんでしょうか。ついでに言えば,「こころ」が毎年たくさんの高校生によって読まれているんですが,「先生と遺書」を教科書で肝心の部分を読んでしまってから原作を読んだので,すごくつまらなかったという話を最近聞きました。たしかにネタバレ状態で,しかも夏休みの宿題とかで読まされて,感想文までついてきた日には,漱石嫌いになることうけあいですよね。
2008/1/30(水) 午後 5:52
とても面白く読みました。最近「坊ちゃん」を再読しましたが、ここまで気がつかなかったです。昔は、蕎麦やさんの二階がそういう場に使われていたのですか〜。こんなことを知っていたら、文学が何倍も楽しくなりますね♪
2008/1/31(木) 午後 6:14
もちろんそう言う場所として‘も’ということなので,「坊っちゃん」の場合にそういう読みをしてよいかどうかは議論が分かれるところかもしれません。
2008/1/31(木) 午後 9:12
井上章一さんの『愛の空間』(角川選書)を読むまでは,こういうことはまったくわからずにいました。『愛の空間』は,まさに快著と言っていい本で,おすすめです。同書で何よりも驚いたのは,敗戦後の皇居前広場が性愛空間だったという事実を明らかにしていく最初の部分です。当時,東京にいた人にとっては当たり前のことなのかもしれませんが,戦争を知らない子どもたちよりもさらに下の世代である私にとっては,唖然茫然の事実でした。
2008/1/31(木) 午後 9:15