BUNGAKU@モダン日本

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全共闘世代の父母

 「団塊の世代」「全共闘世代」は,たぶん,ちょっと違います。

 どちらも敗戦後の1947年から1949年ぐらいまでのあいだに生まれた世代を指す言葉ですが,「全共闘」というのは基本的には大学生が作った運動組織なので,大学に入学しないで働いていた人たちは「全共闘世代」と言われても戸惑うのではないでしょうか。

 つまり,「全共闘世代」というのは,「団塊の世代」の部分集合です。

 そして,大学進学率が15%程度だったことを考えると,「全共闘運動」に参加することができた団塊の世代の人たちは,どちらかと言うと恵まれた階層の人たちが多かったのではないかという気がします。

 団塊の世代の親の世代というのは復員兵の世代であるわけですが,全共闘世代の親というのは,子どもを大学に進学させられるぐらいには,経済的に恵まれた階層であったということになるわけです。

 世代論だけに,かなり乱暴な概括になってしまっていますけど…。

 そんなことを考えると,漫画家かわぐちかいじの次のような発言は,全共闘世代の人たちの心理に伏在するネガティブな気分をうまく捉えたものだと言えそうです。

 これはわれわれ団塊の世代の悪い癖だ。世代としての親と敵対することはあっても、個としての親と向き合うことは避けてしまうのだ。それは不安な気持ちから、親たちの戦争体験をキチンと問わなかったことに起因している。自分の親が経験した「戦争」を聞くことから逃げてきたのだ。
 われわれは、親が何者であるのかを聞くことが怖かった。もしかしたら自分の父親が、大陸で人を殺してきたのかもしれない。その悲しい運命の上に、自分の「生」が約束されたのかもしれない。それを聞くことから逃げてきた。
 ―『回想 沈黙の団塊世代へ』(2005年10月・ちくま文庫)


村上春樹の両親

 全共闘世代の一員である村上春樹は,自分の両親のことをあまり語りません。

 『風の歌を聴け』の「僕」の両親がどのような人物であるのかはほとんど描かれていませんし,『ノルウェイの森』のワタナベについても,どんな両親に育てられたのか,まったくわかりません。

 エッセイを読んでいても,両親について言及することは滅多にありません。

 例外的に言及されている場合も,「父親は京都の坊主の息子で母親は船場の商家の娘」(「関西弁について」)という程度で,踏みこんだ書き方をしているものは皆無です。

 どうしてなのだろうか?ということを考えたときに,かわぐちかいじ的な問題が想像されます。

 喪失という言葉で語られることが多い村上春樹ですが,むしろ「罪障感」とか「うしろめたさ」という問題が読み取れるのではないかということです。

 つまり,アメリカ的な消費生活を享受できる境遇に恵まれていた村上春樹が,戦争の闇とかかわりながら敗戦後に生き残った両親によって育てられていたのかもしれないという事実に注目したいわけです。

 そういう問題を考える上で,決定的とも言える証言があります。

 あくまでも伝聞情報ということになりますが,『イアン・ブルマの日本探訪―村上春樹からヒロシマまで』(1998年12月・TBSブリタニカ刊/石井信平訳)で明らかにされた,村上春樹の次のような発言です。

 村上は自分の父親について話しはじめた。父親とは今では疎遠になっており、滅多に会うこともないということだった。父親は戦前は将来を期待された京都大学の学生だった。在学中に徴兵で陸軍に入り、中国へ渡った。村上は子供の頃に一度、父親がドキッとするような中国での経験を語ってくれたのを覚えている。その話がどういうものだったかは記憶にない。目撃談だったかも知れない。あるいは、自らが手を下したことかも知れない。ともかくひどく悲しかったのを覚えている。彼は、内証話を打ち明けると言った調子ではなく、さり気なく伝えるように抑揚のない声で言った。「ひょっとすると、それが原因でいまだに中華料理が食べられないのかも知れない」

 「中華料理が食べられない」というあたりの記述から,私などは『ねじまき鳥クロニクル』の間宮中尉が語る皮剥ぎの場面などを思い出してしまうのですが,村上春樹の父親がどういう話をしたのかについて正確なところはわかりません。

 ただ,イアン・ブルマによると,村上春樹はさらに次のようなことを語ったようです。

 父親に中国のことをもっと聞かないのか、と私は尋ねた。「聞きたくなかった」と彼は言った。「父にとっても心の傷であるに違いない。だから僕にとっても心の傷なのだ。父とはうまくいっていない。子供を作らないのはそのせいかも知れない」。
 私は黙っていた。彼はなおも続けた。「僕の血の中には彼の経験が入り込んでいると思う。そういう遺伝があり得ると僕は信じている」。

 間宮中尉の話だけではなく,『海辺のカフカ』のジョニー・ウォーカーによる猫殺しのことなども思い出してしまうわけですが,イアン・ブルマの証言を下敷きにして村上春樹の小説を読み直していくと,今まで気づかなかった問題がいろいろ見えてくるように思います。

 イアン・ブルマは,さらにこう書いています。

 村上は父親のことを語るつもりはなかったのだろう。口にしてしまって心配になったらしい。翌日電話をかけてきて、あのことは書きたてないでくれと言った。

 イアン・ブルマの証言によって見えてくる問題については,Yahoo!ブログ「浦澄彬の音楽批評」のakiraurazumiさんが出した『村上春樹を歩く』(彩流社・2000年)という本の序章にも,興味深い考察が展開されています。

 akiraurazumiさんについては,トラックバック先をご覧下さい。

 このあたりの問題については,『解釈と鑑賞』という雑誌の別冊特集『村上春樹 テーマ・装置・キャラクター』に収められた座談会「村上春樹の魅力」(川村湊・鈴村和成・藤井省三・柘植光彦)でも話題になっています。

 ちょっとワイドショー的な感じがしないでもありませんが,これから村上春樹を考える場合,このあたり,無視できない問題になりそうな気がします。

閉じる コメント(33)

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私はまさに団塊世代の1948年生まれです。「全共闘白書」なる本を読んで吐き気を催したことがあります。年収一千万という者たちが多くて回顧回顧で懐かしんでいました。私はまさにその時プロレタリアート兼学生でした。一生背負う問題は一人につき一つと考えれば、やはり私にとっては全共闘世代が闘ったその意味を問い続けるものであり、継続しうるものとして、アントニオ・ネグリを読んだりしています。

2008/8/23(土) 午後 5:02 [ tairiku ]

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世代論は乱暴ですから。でも全共闘世代の方で,自らを全共闘世代として語る方がすごく多いですよね。新書でもそういう類の本がたくさん出ていますし。

2008/8/24(日) 午前 8:11 NONAJUN

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僕は全共闘はやりっぱなし世代だと思っているので、彼らのいうこと自体聞く気がおきないし、勝手にしてくれという感じです。団塊の世代はそれはそれで高度成長期以降の労働状況を当たり前のように常識と考える人が多いので、まともに話は出来ません。あとは作家にせよ、一般人にせよ、世代というものはあると思います、それぞれの言い分も。だけれど、少なくとも僕は全共闘も団塊もその世代には心は許せないところがありますね(笑)。その人たちの仕事や作品は別ですが人間的におい、ちょっと待てよという所が多いし、和解できない溝を感じることは多いですね。

2008/8/24(日) 午後 2:23 [ bat**yu2*01 ]

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手厳しいですね(笑)。
小学生の頃,大学で騒いでいる学生たちがなんとなく格好良く見えて,ぼんやりとした憧れを抱いていました。悪をハッキリ見据えて闘っている感じとか,お祭りみたいな盛り上がりに,幼かった私は惹かれていたのだと思います。ですから,出来れば全共闘世代の人たちとも仲良くやりたいです。出来れば。

2008/8/24(日) 午後 2:40 NONAJUN

「ねじまき鳥」の中では、ノモンハンの描写がありましたよね。
なぜ、あんな残酷なことを書いたのか未だに理解できません。
それから、「カフカ」まで暫く読むのを止めたほどです。

戦争はあらゆる世代に影響を与えますね。もちろんネガティブな…。

2008/8/26(火) 午後 0:29 [ - ]

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間宮中尉の告白ですよね。記事にも書きましたが,村上春樹が中華料理を食べられない原因につながる挿話なのかも知れず,書き手の中にはあれを書く必然性があったのでしょうね。

2008/8/26(火) 午後 5:21 NONAJUN

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とても興味深く読ませて頂きました。

>「僕の地の中には彼の経験が入り込んでいると思う。そういう遺伝があり得ると僕は信じている」<

そして中華料理を食べずに、子供を作らない。子供を作らないのは「遺伝」、村上の中の「父」を拒絶しているのでしょうか。
このことと田村カフカの父親殺しは関係あるのでないでしょうか。カフカ少年にとって、「猫殺し」の「ジョニー・ウォーカー」で母と別れた罪深い父を乗り越える必要があったのでしょうか。

もう一度「海辺のカフカ」を読み直してみたくなりました。また村上作品「ねじまき鳥」などももっと読んでみたくなりました。

2008/11/17(月) 午前 11:42 kiyoi08

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kiyoi08さん,どうもありがとうございます。『海辺のカフカ』に村上春樹の生い立ちの反映を見ることは可能だと思います。それがどれだけ自覚的になされているものかどうかはわかりませんが,河合隼雄と対談している村上春樹が,そういうことをまったく意識していないはずはないような気がします。デタッチメントとコミットメントというのも,もしかしたらそういう脈絡の中で考えてもよいのかもしれません。

それから,コメントを読んでいて気づきました。「僕の地の中には…」は「僕の血の中には」の間違いでした。本文の方は直してしまいました。すみません<(_ _)>

2008/11/17(月) 午後 4:46 NONAJUN

はじめまして。履歴より訪問しました。春樹の両親については、私もずーっと引っかかっていたので、こうゆう文章ありがたいです(^^♪私も常々「春樹は傷を癒そうとして物語を書いているようだ」と思っていたので、なるほど、と思いました。

2009/8/18(火) 午後 5:08 [ ぴあん ]

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『1Q84』にも少しだけ父親が登場しますけど,ふり返れば『風の歌を聴け』の鼠の父親のこととか,少しずつ描かれているんですよね。

pia-nさん,古い記事へのコメント,とてもうれしいです。どうもありがとうございます。

2009/8/19(水) 午前 6:09 NONAJUN

確かにノモンハン事件や皮剥ぎボリスとかの描写はリアルで怖いイメージがありました。
お父さんからの聞き伝いで記憶の根底に流れているのかもしれませんね。
カフカのネコ殺しも残酷な描写がリアルに描かれていますね。
お父さんの影響だったのかしら。
勉強になりました。

2010/2/8(月) 午後 11:44 [ 玉ちゃん ]

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去年の「壁と卵」のスピーチでも,父親のことに言及していました。少しずつ語ってはいますけど,たぶん小説という形式を借りないと語り得ないことがたくさんあるんでしょうね。そもそも父親からどこまで聞いていたかもわかりませんし。

NHKの「証言記録 兵士たちの戦争」に出てくる村上春樹の父親世代の人たちを見ていても,当事者だからこそそうそう簡単に語れるものではないということが伝わってきます。家族にまったく語ったことがないと言いながら,人肉食の話とか,戦友を見殺しにした話とか,中国人の民衆を殺した話とか,苛酷な過去を重い口を開いて語るさまを見ていると,時間が経っても消えないものがあるんだなぁと暗澹たる気持ちになります。

2010/2/9(火) 午前 0:17 NONAJUN

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有名人は大変だなぁ、根掘り葉掘り。

2010/2/18(木) 午後 8:54 [ ぜんそうはら ]

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そうですね。たしかに有名人は大変ですね。

まあ,こういうのは,基本的にはゲスの勘ぐりです。体に悪いと分かっていても,カップラーメンって美味しいから食べちゃいますし,キズの直りが遅くなるかもしれないととわかっていても,カサブタは剥がしたくなっちゃいますし,小説を読んでいるとあれこれと詮索したくなってしまうわけで,困ったものです^^;

2010/2/18(木) 午後 10:53 NONAJUN

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作家によって、母が重い存在になる場合と、父が重い存在になる場合があるのがおもしろいですね。谷崎潤一郎や川端康成は「母恋い」をテーマとした作品を残しましたよね。永井荷風は父の存在が大きいですし……。親ではなくて、子が“重い”っていう作家もいるんでしょうね。

2010/8/1(日) 午後 1:28 ookini_neko

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子が重いって誰でしょうね。大江健三郎なんかは…違うかなぁ。

話は変わりますが,昨夜のハイビジョン特集「日本のいちばん長い夏」の出演者の一人(山本益博)が,予告編の中で衛生兵として中国大陸に引っ張られていった父親の話をしていて,「中華料理を食べられなかった」という話をしていました。中国大陸での嫌な記憶がよみがえるからだそうです。そういう父親って,やっぱりかなりたくさんいるみたいです。

2010/8/1(日) 午後 3:46 NONAJUN

ちょっと戦争の話からはずれるかもですが。

「ノルウェイの森」を読み返してみて、初めて気づいたのは、永沢君の出自に関するいらだちですね。・・・ハツミさんと「僕」を、麻布のレストランに連れてゆく時、「親父が東京に女がいて、それで使う店なんだ(だからロハなんだ)」と言うような意味の事を言ってる。
普通の人が聞いたら、単なる厭味か自慢にしか聞こえないでしょうが、しかしおそらく(私の読みでは)永沢は、それが嫌なんですよ。だから、わざとその店を偽悪的に使ってる。・・・永沢の度を越した女遊びも努力も、あるいは全てが「親父」「血統」を越えるため、と読めない事もないです。
だから、この物語で永沢は、全員に対するアンチ・テーゼと言うより、「父の影に脅える一人の青年」として、皆と(直子とそして緑と僕と)結びつくんです。おそらくは。

(続く)

2011/8/22(月) 午後 8:47 [ - ]

それが一層顕著になるのが「1Q84」ですよね。「大いなる父(それは、立派すぎる(?)NHKの集金員であったり、青豆の実家の「神」であったり、ふかえりの父であったり、あるいは環を惨殺するような夫に代表される男であったりするわけですが)」との、戦いにつぐ戦いのピカレスク・ロマンですから、これは。。。

だから、父の(あるいはだらしない母に対する)村上春樹のいら立ちは、相当に大きいと思います。・・・BOOK3ではついに、自分たち自身を全世界のアダムとイブにせねばならなかった程に。・・・作話的には「どうかな」と思いますけどね。たかが個人の一小説を、聖書のパロディにしちゃうのはちょっとやりすぎです(苦笑)。

2011/8/22(月) 午後 8:51 [ - ]

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「1Q84」の話もさることながら,テハヌーさん!永沢さんの話はまさに慧眼!!いや,それはすごく面白い話です。ブラックシャドーズ時代の花形満みたいな感じ…と言ってしまうとちょっと噛み砕きすぎかもしれませんけど,嫌味や自慢なるようなことをわざわざ偽悪的にしてしまうという永沢さんの心性は「父の影に脅える一人の青年」ということになりますね。そしてそういう青年がハツミさんを死に追いやってしまうという因果の巡り具合。。。

永沢さんについては,あんまり深く考えてこなかったんですけど,鼠につながるところもあるわけですし,とても重要な人物ですね。ふむふむ。

2011/8/23(火) 午前 1:10 NONAJUN

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で,「1Q84」ですが,だからこそBOOK3で終わっちゃいけないんですよね。あれで終わりでは,ちょっと「どうかな」と思います。私も。

2011/8/23(火) 午前 1:11 NONAJUN

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