BUNGAKU@モダン日本

100万アクセス達成⇒休眠⇒突如復活⇒平成が終わるまでのカウントダウン更新に失敗。。。(^N^)(^J^)

折々の雑記

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私の身のまわりのニュースやふと思いついたことなどを書いています。一部の記事は,ファン限定です。すみませんm(_ _)m。
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今日は体調不良で1日寝込んでいました。

体重を気にせずにたくさん食べ,布団乾燥機で温めた寝具に身を包み,ひたすら眠り,ようやく元気になってきました。

そして,オンデマンドで標記の番組を再度視聴しました。

おもしろかったです。オススメです。

シーズン1のときは,「シーズン1」とも言っていなかったですし,NHKオンデマンドでの配信もなかったのですが,たまたまチャンネルを合わせていることが多く,ちょいちょい見ていて面白いなぁ〜と思っていました。

文学系の学会がシンポジウムにAI研究者を招き,「やっぱりAIには人間の心がわかりませんし,東ロボくんは数学や世界史のような科目では高得点が可能ですが,国語の場合は不可能です」などと言わせて共感の波が広がる風景を見て,「なんだかな〜」と感じていた私にとって,この番組に出てくる松尾豊さんの話は,夢があるし,むしろリアルな感じがして好きです。

人間の脳がすごいと言っても,しょせんはメロンぐらいの大きさと重さの物体であり,物理的・化学的な法則に基づいて機能しているものです。同じような機能を持つ「モノ」を作ることができないと断定することは,少なくとも科学的な態度とは言えないわけです。

そんな話が,シーズン2の第1回「会話する」には出てきます。

そしてこの番組で紹介されていた女子高生AIタレントりんなとの会話をLINEで楽しみました。

まだテキストでやりとりしているだけですが,電話で話をすることもできるらしいので,明日,試してみようかと思っています。

この番組の「人間ってナンだ?」という問いかけは,たぶん「文学ってナンだ?」という問いかけにもつながるものです。

シーズン2の第2回以降にも期待しています。
湘南学園の中学3年生に授業

今日は,朝から湘南学園中学に行き,80分の授業を2コマやってきました。

動画を見せたり,QRコードで特設HPに誘導してGoogleフォームで感想を書いてもらったり。

書いてもらった感想もそのままHPで共有して,いくつかの意見を取り上げて話をふくらませたり。

タイトルは,なぜ大学に行くのか〜「学ぶ」「働く」「生きる」の未来〜

どんな話だったかを再現する時間的な余裕はありませんが,使ったスライドを公開します。(スライドだけではわかりにくいかもしれませんが…)

授業の最後は,Googleフォームの質問に答えながらN高校の話に。

大学に行かないという選択をする若者が増える近未来について語りました。

私が勤めている職場にとっては,うれしくない近未来なのですが,彼らにとっては知っておくべき近未来。

「学ぶ×働く×生きる」と言ってもいい,楽しい時間でした。
「愛にすべてを」で始まった朝

ゴキゲンな曲を聞くところから1日がスタートしました。




映画「ボヘミアン・ラプソディ」の本編が始まってすぐに,ブライアン・メイのギター音に似せた20世紀フォックスのオープニングファンファーレの後に流れた曲が,「Somebody To Love / 愛にすべてを」でした。

意表を突かれました。

まさか,この曲で始まるとは!

記憶は一気に高校時代にフラッシュバック。

1970年代後半,あれはたぶん1978年のことです。

合唱大会の自由曲を決めるHRで,スポーツ系が強かった我がクラスは,組曲「筑後川」の「第1楽章 みなかみ」とか,「十字架(クルス)の島」とか「巣立ちの歌」とか「大地讃頌」とか,ふつうの合唱曲を歌っても勝てそうもないという絶望感の中にありました。

そこで,どうせならイチかバチか,他のクラスが絶対にやらない曲でチャレンジしようと提案したのが,「Somebody To Love」でした。

結果は惨敗でしたが,アカペラでハーモニーを響かせるところからピアノの伴奏が入るあたりは,(気分的には)かなり原曲に近い感じでやれました。

(審査員からは「冒頭部のアレンジ良かった」と褒められました 涙)

エンディング近くのアカペラのところも,フレディー・マーキュリーのソロの部分を含め,がんばって歌いました。

おそらく日本の高校生の合唱大会史上,最も早くクイーンの楽曲を歌ったクラスだったのではないかと思います。

ただ,いま歌詞を見ると,「愛にすべてを」という日本語タイトルのイメージとは違う物語が,フレディーの人生を暗示するような物語が行間にあふれ出てくる感じで,ちょっと怖くなりました。

「Somebody To Love」は,エンディングのところでも再び使われていましたから,やはりちょっと特別な曲として位置づけられているのでしょう。

その曲が,今朝はラジオから流れてきました。

すると,高校時代の記憶のさらに下に隠れていた,クイーンがデビューしたばかりの中学時代の記憶がよみがえってきました。

不意を突かれる感じでよみがえったその記憶は・・・



平成が終わるとなると,どうしても古い記憶がよみがえってきて,話はついつい昭和になってしまいます 笑


 すっかりご無沙汰しております。

 まだ生きています。

 文学も捨てていません。

 このブログも,まだ捨てていません。

 やりたいことがいっぱいありすぎて,少し休んでおりました。

絲山秋子の「ベル・エポック」論を書きました!

 このブログで6年半ほど前につらつらと書き連ねた駄文を,Googleドキュメントにコピペし,全面的にリライトして「論文」にしてみました。

 どうぞご笑覧ください。


 本文を範囲指定して「コメント」をすることもできますし,この場所へのご意見・ご感想も大歓迎です。

 ただし,長いです。。。笑
近況報告

 今月中旬にフランスのストラスブール大学で開かれる国際シンポジウムに参加することになりました。

 このブログを始めた2005年春の段階では,村上春樹については単なる愛読者以上の何者でもなかったのですが、13年経ったらこういうことになっていました。

 ブログに記事を書き,コメント欄でやりとりをしながら発想を広げ,さらに記事を書いてはアップし続け,ときどきそれを文章にまとめて発表。

 そのうち村上春樹の論文集に執筆することになり,いつのまにやら国際シンポジウムに参加する「村上春樹研究者(笑)」になっていたわけです。

 公表されている発表概要を,英語版とともにここに転載し,ご報告といたしますm(_ _)m

発表概要

並行世界と生き残りの罪障感

 村上春樹の小説は、しばしば「喪失感」という言葉によって語られてきた。たとえば「ノルウェイの森」という小説の場合、最愛の恋人であるキズキに自殺されてしまった直子に「喪失感」があることは明らかだ。その直子に自殺されてしまったワタナベにも、もちろん「喪失感」を見いだすことは可能だ。しかし彼らが抱える負の感情は、「喪失感」ではなく「罪障感」と呼ぶべきである。さらに正確に言えばそれは、「もし〜だったら」という想像によって生成する「サバイバーズ・ギルト」である。
 たとえば、アジア太平洋戦争で兵士となった世代の「サバイバーズ・ギルト」を大きなモチーフとする作家として、三島由紀夫をあげることができる。一方、村上春樹は、反米と親米の間で揺れた第一次ベビーブーム世代における「サバイバーズ・ギルト」をモチーフとする作家である。そして二人の作家は、世代的には、ちょうど父と子に相当する。
 もちろん、東日本大震災をマスメディアを通して体験した2010年代の日本人にとっても、「サバイバーズ・ギルト」は生々しい現実の問題である。ただし、それは「災厄」に対する当事者性、あるいは「災厄」との距離に応じて、「ギルト」とは異なる感触のものに変容する。「ノルウェイの森」から感じ取ることができるのはギルトであると言えるが、「青が消える」に見いだせるのは、当事者としての切迫感を欠いた「ぼんやりとしたうしろめたさ」である。
 日本の国語教科書において特徴的である定番教材と呼ばれる教材群にも、同じように「サバイバーズ・ギルト」や「ぼんやりとしたうしろめたさ」が見いだせる。しかもこれらのモチーフは、テレビドラマやアニメーションなど、広範な日本の文化表象に見いだせる特徴でもある。
 並行世界を描いた村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は、現代日本のサブカルチャーに大きな影響を与えてきた。昨年公開されたアニメ映画「君の名は。」は、その代表的な事例の一つである。これは、「サバイバーズ・ギルト」が並行世界を作り出す想像力に刺激を与えるからだと考えられる。

発表概要・英訳

Abstract
Haruki Murakami and Parallel Worlds
Jun NONAKA

It is widely recognized that the predominant theme of Haruki Murakami’s novels is the feeling of loss. For example, in Norwegian Wood, Naoko has a feeling of loss, after the suicide of her beloved lover, Kizuki. Watanabe, the protagonist, who lost Naoko to suicide, has a feeling of loss in his turn. In other words, Watanabe, a survivor, has a feeling of guilt. To put it more precisely, the protagonist has a “survivor’s guilt,” which comes from the regret that he should have done such and such for his lover.
A feeling of guilt that survivors have helps create parallel worlds in imagination. For example, a feeling of guilt is observed not only in Murakami’s novels but also in preceding writers. We can observe a feeling of a survivor’s guilt in Yukio Mishima’s novels. Mishima belongs to the generation of people who were obliged to join the Asia-Pacific War. When many of the recruited people were killed, Mishima, who was not drafted, because of poor health, actually had a feeling of a survivor’s guilt.
Murakami, who was born one generation after Mishima, did not have the war experience, but he belonged to the generation in which many students joined the protest against the establishment. Some of the radical students were arrested and put on trial, but Murakami himself was free from the prosecution. He felt a survivor’s guilt. It may be safe to say Murakami and Mishima live in parallel worlds in imagination.
When the Great East Japan Earthquake and tsunami took place in 2011 and about 16,000 people were killed, many people lost their loved ones. As survivors , they not only had a sense of loss, but also had a sense of guilt. It can be said that their feeling and the feeling Watanabe, the protagonist in Norwegian Woods, were parallel in a sense. Even in Murakami’s Losing Blue, a vague sense of guilty conscience can be seen, though it lacks a sense of urgency.
The survivor’s feeling of guilt and at least a vague sense of guilty consciences are also observed in literary works included in the high-school Japanese textbooks and in a wide range of Japanese culture representations, such as TV dramas and anime movies in the present day Japan.
Murakami’s “Hard-Boiled Wonderland and the End of the World” has had a great influence on contemporary Japanese subculture. An anime movie,“Your Name,”published last year is one of the representative examples. This is because the feeling of a Survivor’s Guilt has given stimulus to writers’ imagination and helped create parallel worlds.

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