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【碧雲荘】 荻窪太宰治が、1936年11月から1937年6月まで暮らしていた、
アパート兼住居の「碧雲荘」が、老朽化により取り壊されるというところ、
九州の由布院に移築されることが決まったというニュースを聞いて、
その前に見ておこうと行ってきました。
正直なところこのニュースの前には、
そのような建物が残っていることすら知らなかったのですが、
あの《富嶽百景》にも登場するということで、ぜひ見ておきたいと思いました。
今月から解体が少しずつ始まっているということでしたが、
建物はまだかろうじて、その姿をとどめていました。
いろいろ調べてみると、ここに住んでいたのはわずか7カ月程度ですが、
かなりいろいろあった期間であったようです。
こちらの年表などをご参照ください。
昭和十一年(1936年)の最後に「碧雲荘」の名前が出てきます。
建物の2階がアパート、1階が家主の住居となっています。
これはその、アパートの便所になります。
この便所から見た富士山について、《富嶽百景》に登場しています。
「三年まへの冬、私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた。その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ。一睡もせず、酒のんだ。あかつき、小用に立つて、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。小さく、真白で、左のはうにちよつと傾いて、あの富士を忘れない。窓の下のアスファルト路を、さかなやの自転車が疾駆しつくし、おう、けさは、やけに富士がはつきり見えるぢやねえか、めつぽふ寒いや、など呟つぶやきのこして、私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網撫でながら、じめじめ泣いて、あんな思ひは、二度と繰りかへしたくない。」(青空文庫《富嶽百景》より)
「三年前」は若干計算に合わないような、あるいは発表時期を踏まえてかもしれませんが、
どうやら碧雲荘の便所がその舞台であったことは間違いないようです。
確かに西を向いていますので、当時は(今も?)富士がよく見えたでしょう。
由布院への移築が決まったことは、取り壊される運命を踏まえると本当に喜ばしいことですが、
この窓から富士がみえることはなくなります。 |
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