奈良の日々

『住み込み観光客』だった日々。2006年から2008年の記事が中心です。

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毎年10月5日には、東大寺の鎮守『手向山(たむけやま)八幡宮』の
『転害会(てがいえ)』が行われます。
まず朝9時半より、『手向山八幡宮』にて神事がありました。




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『手向山八幡宮』にあった貼り紙。
5日の行事は知っていましたが、3日4日にも行事があったのですね。
3日の行事はぷうさまから教えていただくまで知りませんでした。
ネットの情報を過信してはいけませんね。
やはり情報は、自分の足で稼ぐものだと反省しました。




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三月堂のすぐ南にある『手向山八幡宮』は、749年、
聖武天皇が大仏建立の守り神として『宇佐神宮』から八幡神を勧請、
その後東大寺の鎮守となりました。
大分県にある『宇佐神宮』は全国の八幡宮の総本社ですが、
『手向山八幡宮』はその分社第一号だそうです。
勧請されて東大寺へ入る折『転害門』を通ったといわれ、
これが『転害門』を御旅所として行われる『転害会』の由来となっています。




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神事は5人の神官、3人の楽師、9人の稚児によって行われました。




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祝詞奏上などがあったあと、神饌が供えられる前に、
簾が下げられた3つの神殿それぞれの中へ
「ヲーーーーー、ヲーーーーー、ヲーーーーー」
と、長く三回呼びかけられます。
あとで神饌が下げられたのちにも行われました。
これは春日若宮『おん祭』の『遷幸の儀』でも聞かれた呼び声です。
共通するのは『御旅所』があることですから、
おそらく「神様を移す」ことに関係のある呼び声なのだと思います。



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そして神様の前に、お神酒、野菜、鯛などの神饌が供えられ、神事が続けられました。







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神事の内容は省略させていただきますが、舞などは特にありませんでした。
この後11時半より、場所を東大寺『転害門』へ移して神事が行われます。
この様子は「その2」にて・・・





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毎年10月5日の『転害会』に合わせ、東大寺『勧進所』の「八幡殿」と「阿弥陀堂」にて、
「僧形八幡神坐像」と「五刧思惟阿弥陀如来坐像」の特別開扉が行われます。無料です。

「八幡殿」に納められた「僧形八幡神坐像」は、元は『手向山八幡宮』にあったもの。
1180年平重衡の南都焼討ちにより被害を受けた『手向山八幡宮』が、
消失した御神体の代わりに、名仏師快慶に製作を依頼したものということです。
八幡神でありながら、右手に錫杖を持ち、左手は数珠を繰っているという、
神仏習合の見本を形に現したような姿をしています。
写実性に優れた名品だと思います。
この見た目が災いして、明治維新後の廃仏毀釈で東大寺へ移されたようです。
詳しい説明と画像をこちらでごらんいただけます。(東大寺のホームページ)

「阿弥陀堂」に納められた「五刧思惟阿弥陀如来坐像」は、非常にユニークです。
「五刧」とは、永遠に等しい長い時間ということだそうですが、
この間考え続けた阿弥陀如来の頭髪が、伸び放題伸びてしまったという姿です。
こういう表現は怒られてしまうかも知れませんが・・・
これがどういう状況かというと、アフロ、もしくはドレッドになってしまっています!
またお顔も、平面的ですがとてもかわいらしいのです・・・。
詳しい説明と画像はこちらです。(同上)

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転害門と言えばその名の通り創建来現存しとる重衡ビックリの佐保路門。なんたって宇佐から造営の強力な助っ人として勧請された八幡大神が通られた御旅所だけに守護されとる。「僧形八幡神坐像」は神像として重源に感謝かなぁ。五刧阿弥陀は坐像ですか。金戒光明寺のは石像なんやけど立像やったような。どっちが凄いかなぁ。 削除

2007/10/8(月) 午前 6:38 [ たかにぃ ] 返信する

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たかにぃさま。
佐保路門とか、景清門とか呼ばれるそうですね。この八幡勧請で転害門を通った神輿が、今の神輿の始まりと考えられていることも今回知りました。五刧阿弥陀像は十輪院などにもあるそうですが、石造の、しかも立像があるのですね。想像つきません、ぜひ見てみたいです!

2007/10/9(火) 午前 1:37 のんべえ 返信する

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