奈良の日々

『住み込み観光客』だった日々。2006年から2008年の記事が中心です。

下野薬師寺・宇佐神宮周辺

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大分県宇佐番外編

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すいません、宇佐の最終回になります。
宇佐神宮以外の番外編を。

宇佐といえば全国的に有名なところですし、
それなりに観光地化しているのかと思いきや、
駅前の旅館が閉まっていたり、
失礼ながらかなり閑散としている印象でした。
まあ、観光地化が進んで環境的にいいことは無いですからね。
上手く行けば財源としてはよいですが、
恒久的な軌道に乗せるのはタイヘンなことです。

それでも九州の親戚が言うことには、
初詣はたいへんな人出だそうです。

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宇佐をローマ字表記すると「USA」ですね。
そこでお土産物に「MADE IN USA」って書いて売り出して、
問題になったことがありました。
宇佐の人曰く「"U.S.A."は点が入ろうが。"USA"にゃ入らん」。
今回MADE IN USAグッズ入手を密かに目論んでいましたが、
残念ながらざっと見たところ、見当たりませんでした。

宇佐神宮へ行くのに、朝は旅館からバスの時間に出ましたが、
帰りは特急に丁度のバスが無く(2時間に1本)、
やむを得ずタクシーとなりました。
タクシー会社は宇佐神宮の前にあるんですねこれが。

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博多と大分を結ぶJR九州の特急「ソニック」。
行きは各駅停車だったのですが、
帰りは新幹線との乗り継ぎ割り引きもあるので、
このソニックに乗ってみることにしました。
近未来的でありつつどことなくクラシックでもあり、
ヨーロッパの特急を思わせるデザインだな、と感じました。
・・・そうそう、滞在中、別の話をしている時ですが、
従妹に「お兄ちゃんテツやね〜」と言われました。
違うんですけど、いやテツでもいいんですけれど、
こんな写真載せるとますます言われそうです。

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ソニックの床。
木なんですよ。いいですね。
30cmおきくらいに、この文字が焼き付けられています。
振り子式車両でカーブの連続もスムーズ。

"振り子式"は一般常識だと思っているのですが、違いますか。

流石に特急は早いですね。
小倉まであっという間(1時間くらい)で連れて行ってくれました。

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筑豊の山々。
異様にゴツゴツしているように見えます。
なんかこう、山の形って地方で大きく違うことに、
最近になってやっと気が付きました。
今までは行く先々で「ここの山は特徴的」と思っていたのですが、
それはつまり、地方によって個性があると言うことですよね。
面白いですね。

次回からは奈良の行事紹介に戻りたいと思います。
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大分の『宇佐神宮』を訪ねた記事第3回。
すいません、もう少しお付き合いください。

称徳天皇(孝謙天皇重祚)の時、『宇佐八幡神託事件』が起きます。
弓削道鏡を天皇にするかどうかというこの一件。
先月JNN系テレビで放送された唐招提寺を巡るドラマでも、
「きえ〜〜っ!!」とか叫ぶ巫女さんにカミナリが落ちて(苦笑〜)、
八幡神が憑依するという・・・なんだか・・・
どうだろうっていう描写で、この事件が取り上げられました。
この時宇佐八幡へ使いに出されたのが和気清麻呂でした。

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宇佐神宮の東側の山に「大尾(おお)神社」と、
和気清麻呂を祀った「護皇神社」があります。
私間抜けなことに、護皇神社の場所が分からず、
大尾神社にしか行きつけませんでした。
石段を登り切ったところに「和気公之碑」がありましたが、
ここから右へ行けば護皇神社だったのに・・・
左の大尾神社の道しるべにしか気がつきませんでした。

大尾神社は、この小さな山の頂にあります。
東大寺大仏殿建立を無事に終えた八幡神が帰ったとき、
しばらくこの山上に留まるという託宣があり、
ここに本殿を築いて15年間留まったそうです。

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その間に起こったのが、和気清麻呂が派遣された神託事件。
つまり清麻呂は、この場で神託を聞いたことになります。
ほ〜。
今は八幡神の分霊を祀っています。

この地では和気清麻呂は、道鏡の皇位のっとりの野望を阻止し、
天皇家の万世一系を護った英雄として、護皇神社に祀られています。
道鏡の人物像は地方や語る人によって様々です。
道鏡が晩年を生きた下野地方では、立派な人物として伝わります。
事件後、「穢麻呂(きたなまろ)」と名前を変えられ追放された清麻呂。
後に復帰して桓武天皇に仕えました。
仏教との距離が近すぎる奈良からの遷都は、
清麻呂の進言であったという説があるそうです。

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こちらは境内の逆である西側の、弥勒寺跡。
738年に神宮寺として、聖武天皇により建てられました。
薬師寺形式(東西塔も三重)の立派なお寺だったそうですが、
長い歴史の中で勢力を弱めていき、
明治の廃仏毀釈で完全に廃寺となりました。
今は礎石が残っているのみとなり、旧境内の一部は、
宝物館という展示室、一般の社務所にあたる
神宮庁などになっています。

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弥勒寺跡のすぐ西隣にある「呉橋」。
寄藻川に掛かる屋根付きの橋で、
勅使が通る時のみ開けて使用されるということです。
10年に一度執り行われる「勅使祭」の時には開放されます。

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2002年10月に行われた、
宇佐八幡神輿の東大寺大仏参拝再現イベントの
記念碑が、境内に建っていました。
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週間ブログランキングからもランク外になり、
平穏な(・・・)日々が戻ってきました。
大分県の『宇佐神宮』第2回です。

第1回で『本殿』としてご紹介したのは、『上宮』と呼ばれます。
それに対して同じ祭神を祀る『下宮』が、
200mほどやや下ったところに存在します。

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古くは上宮は皇族や位の高いもののため、
下宮は庶民のためということだったようですが、
かなり昔からそういった住み分けも無くなったようで、
宇佐八幡に参る時には下宮にも参らないと
「片参り」と言われるようになったそうです。
以前は神饌を炊く場所に建てられた下宮は、
庶民らしく、主に農業や漁業の神様として信仰されたようです。

上宮の開けた雰囲気とはまた違い、
自然に溶け込むような、味わいのある社です。

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横からみた下宮。
八幡造ではありませんでした。

八幡神は初めて仏教と融合した神様とされ、
ここ宇佐が神仏習合の始まりの地と言われます。
この地が根本にあたる国東半島では、
この影響で独特の仏教文化が花開き、
多くの石仏が残っているようです。
ぜひいつか、巡ってみたいと思います。

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御祓い所。
落ち葉でちょっと分かりづらいですが、
池の中に舞台のような御祓い所が作られています。
御祓い所の奥には、細い滝が見えます。

この近くには「放生池」という池もあります。
744年には初めての「放生会」が宇佐八幡で行われ、
それから全国に広まっていったと言うことです。

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摂社「八坂神社」。
後に触れますが、宇佐八幡境内にあった神宮寺、
「弥勒寺」の鬼門守護であったのがこの八坂神社。
毎年2月12日から15日まで、ここで「鎮疫祭」が行われます。
古くは夜中に行われ般若心経が唱えられたため、
別名「心経会」というのだそうです。(今は昼間)
期間中13日には、4メートルもある大御幣をこの鳥居越しに投げ込み、
それを参観者が奪い合うという、豪快な行事もあるそうです。
このお祭では、舞楽「陵王(りょうおう)」の奉納も行われます。
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大分県ではありますが、
奈良時代の出来事に大いに関係する『宇佐八幡』へ
行ってきましたので、ご報告いたします。
なお今回は弔事で九州へ行ったため、
一眼レフではなくコンパクトでの撮影です。

743年、聖武天皇は紫香楽宮にて「大仏建立の詔」を出すものの、
事故や天災が続き、なかなか実現できませんでした。
そんな中宇佐八幡から、「大仏建立に全面的に協力する」といった旨の
託宣が出され、天皇は奈良へ八幡神を招き、その神力によって、
無事大仏と大仏殿が建立されたとされています。

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本殿前の八幡鳥居と西大門。

奈良へ招かれた八幡神は、
お輿に乗って転害門から東大寺に入りました。
これが後の「お神輿」の最初と言われています。
また八幡神は東大寺の守り神として分祀され、
手向山八幡宮となりました。
これが現在全国に4万と伝えられる
「八幡神社」分霊の最初だとか。

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本殿の門。

この門の向こうにある本殿は、「八幡造」という造り。
切妻屋根の建物が前後に並んで付けられた形です。
2つの屋根の間に、金属製の立派な雨どいが付きます。
例えば「春日造」でも軒の間の雨どいは、
異様に大きいものが付けられていますね。
「雨どい」というものに、大きな意味があるのかも知れません。

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土曜日ということもあって、
境内では七五三や結婚式など、
いろいろな理由で多くの人がお参りに訪れていました。

本殿は「一ノ御殿」「二ノ御殿」「三ノ御殿」と三棟あり、
「八幡大神(応神天皇)」「比売大神」「神功皇后」が祀られます。
宇佐八幡のお参りの作法は特殊で、二拍手ではなく「二礼四拍手一礼」。
昔からこの作法となっており、理由は分からないそうです。

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横から見た本殿。
2つの切妻屋根が見えています。

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宇佐八幡神託事件の後、左遷された下野国で
庶民として亡くなったとされる道鏡。
そのお墓と伝えられる『道教塚』が下野市に残ります。
古墳のような塚の上に、「弓削道鏡禅師」とある
木製の小さな墓標が立てられています。
残念ながら墓標までは近づくことは出来ません。

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『道教塚』があるのは真言宗の「生雲山地蔵院 龍興寺」。
道鏡が別当として送られた「下野薬師寺」の別院です。
創建は680年の薬師寺創建とほぼ同じようで、
薬師寺(現安国寺)のすぐ近くに位置しています。
奈良時代の銅製誕生仏などを所有するそうです。
現在の本堂は江戸時代くらいのものでしょうか。
山門は近年建てられたばかりのようでした。

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山門を入って本堂の手前、すぐ左に『道教塚』があります。
道鏡については「女帝をたぶらかして権力を得ようとした悪僧」
というような評価が、わりと一般的なようですし、
江戸時代くらいからは下品なネタにもされてきました。
当地に立っていた説明板によりますと、
こちらのお寺ではそのような歴史観を払拭し、
正しい歴史を持って道鏡の名誉を回復しよう、
という運動をなさっているようでした。

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道教塚前に集められた奈良時代の礎石。

上記、道教塚の説明板にはこうあります。 

「従来の正史は、その時々の権力者の都合で記されたもので、
決してありのままでなかったことを遺憾に思います。」

道鏡が実際どうであったか、今の私達には知る由もありません。
(ハメられた・・・というところなのだろうと私は思いますが。)
しかし、今私達が正しいと思っている歴史の多くは、
誰かさんの都合のいいように記録されているということは、
しっかりと認識しておいたほうがよいと、常々思っています。
近代史でさえ、どんどん捻じ曲げられていますから。

主な参考資料:NHK「その時歴史は動いた」〜『道鏡事件』

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