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過日('09.4.8〜)、古代史をテーマにしたツアーに参加し、百済(現在の韓国南西部)に旅行
しました。旅行全般の感想は、さすがに歴史テーマ専門の旅行会社の企画らしく内容の濃いものでした。
結論から言うと、やはり朝鮮半島と我が国(倭国→大和政権)との関係の深さに納得でした。
今更私がブログなどで書くまでもないことですが、稲作・仏教・鉄・住居、みな中国〜朝鮮からの
流れで日本列島に入って来ていることは確実でした。中でも私が一番興味を持ったのは弥生時代初期
の住居の様式についてでした。和歌山県の御坊で弥生時代の環濠住居の遺跡が発掘され、炉の近くに
柱が2本あることが確認され、何故かと言う疑問が提起されたそうですが、そのルーツとも言える
弥生初期の環濠集落遺跡が韓国の松菊里で発見されているとのことで、ツアーは特別に発掘現場を
見学させてもらいました。そこでは間違いなく炉の近くに2本の柱がある竪穴住居跡が発掘されて
いました。従って御坊の竪穴住居も松菊里式竪穴住居と名付けられることになったそうです。
その他、遼寧式銅剣や百済仏、博山炉に代表される道教・仏教文様は技術的にも素晴らしいとしか
言いようがありませんでした。
余談ですが、女王卑弥呼のいた邪馬台国について次のようなことを思いつきました。
それは日本語とも卑弥呼の政治形態とも絡むのですが、渡来弥生人と倭国に居た縄文人との関係が
一般に論じられているように稲作による人口増加率、交雑その他による弥生人による一方的な縄文人
の駆逐のみが行われたのであろうかと言うことです。イギリスでケルト人以前の種族のことが妖精
或いは魔法使いとして記憶されているのと異なり、倭の縄文人は同様な扱いは認められませんし、
卑弥呼の”鬼道”は渡来系の道教の類と必ずしも同一とは思えず、縄文人的な要素を感じるのです。
もっと言えば、朝鮮語は朝鮮半島独自の言語として古来存在し、「訓民正音」により母音子音が統一
されていますが日本列島には渡来人によっても定着せず、日本語は「万葉集」でほぼ日本語の標準
となるまで公式の言語ではなく縄文系を含む人々の共通言語だったのではと思われるのです。
あらためて邪馬台国の場所を推測するに、野性的な縄文人系が弥生人系を武力で圧倒し文化を吸収
して国家形成に至ったと仮定すれば、やはり紀伊半島以東の縄文人が大挙して海岸線沿いに西進し
、大阪湾の南側(現泉大津市あたり)から上陸して邪馬台国を築いたのではないだろうか。
だとすれば、池上曽根遺跡にこそ邪馬台国が存在したのではないだろうか。
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久ぶりにブログを拝見しました。
旅行から邪馬台国のルーツを推測されたのですね・・・でも多くの説があり限定は難しいようです。
農耕民族にこそ大きな国家形成の必然性があり、狩猟民族では族長位で充分だと思います、と云って説を否定するものではありませんが縄文人が弥生人より武力に優っていたとは限らないと思います。
池上曽根遺跡のルーツが気にかかりますね(笑い)。
2009/9/20(日) 午後 11:30 [ 乱歩 ]