お盆休みも無く、相変わらず何の変化もない毎日でしたが、先週金曜日から飛び石休日(?)に突入しています。
その中でも今日明日は連休。
溜まった家事をしなかったらいけないのに、朝からPCに張り付いています。^^;
飛び石で入ってる仕事が一個無くなれば、3連休以上になってどこかに旅行に行けるのに。
まぁ、ダンナは毎日クラブ指導や試合で飛び回ってるから、仕方ないですけど。
先月「韓流ぴあ」に掲載されていた 連載『トンイ』の時代 の続報です。
[第2回] 粛宗(スクチョン)[人物解剖編]
前回は「トンイ」についてだったから、今回は絶対に「粛宗」と思っていました。
でも、1ぺージだけ。
劇中カットの画像が数枚入ってるけど、超カッコイー王さまではないので、今回も本屋に立ち寄った時にちら見程度で良いと思います。(笑)
粛宗について
・・・国王だけに粛宗についての記述についてはたくさん残されているが、政治的に成した事柄以外ではやはりチャン・ヒビンにまつわる話が多く、淑嬪(スッピン)チェ氏との記録はほとんどない。
チャン・ヒビンを寵愛するあまり仁顯(イニョン)王妃を廃位したかと思えば、その後はチャン・ヒビンから次第に心が離れて行き淑嬪チェ氏を寵愛。
「愛情の偏向が著しく、それがために政局にまで影響を及ぼして党派争いを激化させる誤りを犯した」と書かれている歴史書もある。・・・
背景史実
1661年8月15日に第18代国王・顕宗と明聖王妃との間に生まれる。
1667年には王世子となり1674年に13歳で即位する。
世子となった4年後の1671年3月に世子嬪となったキム・マンギの娘と婚礼。
粛宗と同い年の世子嬪は粛宗の即位と共に仁敬王妃となる。
だが、1680年10月に天然痘を発症し8日後に死去。
ふたりの間には二女があったが息子は生まれなかった。
翌年、仁顯王妃を継妃として迎えるが二人の間には子供が生まれず、その後入宮したチャン・ヒビンが娘に続いて息子を産んだことで、粛宗はますますチャン・ヒビンへの寵愛の度を深めていく。
それがやがては劇中描かれる仁顯王妃の廃位につながる。
王妃の廃位は1689年のことなので、トンイが宮中に入り成長後に監察府(カムチャルブ)の女官となったのはこの頃という設定。
その5年後には、少論派(ソロン)の王妃復権の動きが功を奏して仁顕王妃は復位する。
粛宗には他に淑嬪チェ氏との間に1男(後の英祖)2女、側室パク氏との間に1男が生まれ、合わせて8人の子に恵まれた。
「韓流ぴあ 9/30号」より抜粋
えっ・・・、皆さん気付かれました?
粛宗の子どもの数、8人。
「韓流ぴあ」によると、3男、5女。
私が先月ネットで調べた「側室と子供の数」によると6男、2女。
同じ8人でも内容が全く違う。
でも確か、ドラマではトンイ(淑嬪チェ氏)は3人の王子を産んだはず。(長男は生後間もなく死亡、二男がヨニン君、三男はドラマには出てこないけどもう一人男子を産んだって、どこかで見かけたことがある)
計算が合わない。
・・・王さまだけに粛宗に記録はたくさん残されているはず、なのよねぇ。
正しい情報が知りたいです。

ま、ドラマ「トンイ」はフィクションの部分がかなりあるから、楽しむだけならどーでもいい事なんだけど。
「『トンイ』の時代」の次のページから3ページに渡って、ペ・スビンさん(「トンイ」ではチョンスオラボニですね♪)の特集がありました。
7月末に「衛星劇場」の番組収録で来日されていたようです。
放送情報 衛星劇場 8月29日(月) 前11:30〜後1:30
9月2日(金) 後1:15〜1:30
日本映画「白磁の人」の出演も決まったそうです。
10月にはヒョジュちゃんのファンイベントもあるし、皆さん大活躍ですね。