おばちゃん繁盛記

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拝啓 おばちゃんです
さて、繁盛記どうなるでしょう〜
【おばちゃん繁盛記 第3章 9】
長崎行きのフェリーに乗り込んだタクヤだった。
それでも、こうして英太の仕事は順調に回転していくかのように思えた。
会社らしいスタイルも見た目には整った。

しかし、年の瀬に ついに
英太は嫁さんに逃げられてしまった。
農家の長男、父の病も承知で来てくれた嫁だった。
両親とも仲良く、田畑の手伝い共働きもやってのけていたが
橋渡しの役目の自分が留守がちで なれない生活の我慢も堪忍袋の緒かが切れたように
12月31日に、軽トラックに勉強机と着替えとわずかな食器を積んで
3人の子供を乗せて田舎の細道を走らせて家出してしまった。
そのとき 長女の愛5年生 長男の光太郎は2年生 
次女のトモは1歳の誕生日をむかえて間もないころだった。

英太は自分は何のために頑張って仕事をしていたのか、自問自答していた。
 思い起こせば 幸恵は
 3人目の子供を流産しそうになっていたとき
 誰も自分を救ってくれる人がいなかったともらし、そのころから人間不信になっていた。
 当時、小学校4年生の長女の愛と1年生の光太郎が
 つわりで何も食べられない母親の幸恵の 看護と食事の世話をしていた
 なんとかお腹の赤ん坊の状態は回復し、無事出産をはたしたが
 それ以来 幸恵はひねれ者の性格になったような気がした。

英太は親しいお寺の住職さんのところへ話しにでかけた
住職さんは
どんなに仕事がうまくいっても
子どもも、嫁さんも心えを育て損なえば、何にもならないと考え深げに英太に告げられ
英太は泣いてしまった。
自分は仕事を熱心にやることだけが幸せにつながると思っていた、何が不足なのか納得できなかった。
 そんなとき、PTA会長をしている知り合いのシンさんもやってきた
「エイちゃん、オレ、つい先日PTAの研修に行ってさ、少年鑑別所へ行って所長さんの話にね
子供のためには、どんな忙しいことでも、ほんの少しね、
ほんの少しでいいからさ、そのことをちょっと横において、その子の顔を見て話をきいてやることを
親がしてくれたらさ、事件をおこして、ここへくる子供はいないと思いますってさ、話されたんだ。」
シンさんはそう言うと英太に、嫁さんも同じといった目でうなずいた。

英太は夜空を見上げた。星が輝いていた。

 除夜の鐘が鳴り始めた。ゴーン ゴーン 腹にしみる音が聞こえた

そして

幸恵は家出をした長屋で、3人の子どもたちと布団にもぐりこんで 除夜の鐘を聞いていた。

新しい年明け、それはさらに迷路のような冒険のはじまりだった。

皆様 お読みいただきまことに有難うございます。
とりあえす、ここで一区切りさせていただきます。
次の章から、ますます奮戦する二人ですが
この続きの一部分が、読売新聞れいんぼうに連載されました「愛ちゃんは行く」につながっています

商工会会議所でいたしました2時間の講演ではこのころの生活から語ることになりましたが
会場から笑い、爆笑でした。今となっては苦労も笑い話になりました。
笑い話になるくらい、努力で乗り越えたと思います。

皆様の日常にもさまざまな、もっと大変なご苦労を体験されていると思いますが
明日に夢をもって 元気に生きてきましょう。

おばちゃんは頑張るばい♪〜熊本よかとこばい〜♪



 
拝啓 おばちゃんです
しばらくぶりの「おばちゃん繁盛記」〜〜よろしくお願いいたします
島原の普賢岳の仕事に燃える英太の会社
タクヤをはじめスタッフの人数も増えた。
そんな多忙中で久しぶりに家に帰ると、わが子は不思議そうに英太を見ていた
ともに風呂に入り馬鹿騒ぎをして親子のつながりや、家庭の楽しみを味わいに帰宅したが・・
【おばちゃん繁盛記3章(8)】
 英太は真夜中に
わが子の寝顔を見ては振り返り
抜き足差し足で玄関で靴を履き始めた。
そのとき
暗闇なか「ドロボウ!!」と大声で叫けばれた。
幸恵の顔が廊下に見えた
英太はあわてて「ばか!」と幸恵に叫び返し、言い聞かせるように
「ドロボウは、外から家に入る!!・・オレは、家から外に出ている!!」
と言い、玄関を開け振り返ると「勘違いすんな、ドロボウさんじゃなかばい」とぼやき
英太は外へ出ると暗闇で自動車のエンジンをふかし、すばやく出ていった。
 幸恵は英太を見送りながら、自分の夫の印象はいつも後ろ姿しか思い浮かばないほど
ともに向き合ったことがないような気がした。

翌朝、英太は島原に向かうフェリーに乗っていた
始発の船の中で持参した図面を、船の中で製本していた
時間不足でプリントするのが精一杯で、島原に到着するまでの時間も貴重なものだった。

そして、海の向こうに陸が見え始め船の汽笛がボッーと音がしたとき製本が仕上がった。
しかし、大変なものをひとつ忘れたことに気がついた。
英太は、すぐ事務所へ電話をかけた
事務所では、災害の仕事を早期に仕上げるために泊り込みで図面を仕上げたスタッフが
寝不足でフラフラ状態で待機していた
 英太が長崎島原へ行く姿を見送りほっとして一休みしようとした矢先の電話、それは
「あの1工区の図面を持って来い!!」だった。
「どこへですか?」尋ねるタクヤへ、英太は「島原にきまっとる!!」と怒鳴った。
   次回へつづく〜〜
拝啓 おばちゃんです
繁盛記・・・ますます盛り上がります。・・・(読んでいただきありがとうございます)
島原普賢岳噴火の災害 熊本にも火山灰がふり
学校の体育でプールが使用できない事態になりました。
車の上も真っ黒になっていました。家の雨樋も火山灰が詰まっていたり、当時を思い出すと
凄かったなと思います。
仕事をした後が、実際にどうなっているか見学に行ったことがあります。
立派な段々畑になり農産物ができるようになりました。
積み上げた石は、噴火の時に飛んできた石を利用しています。
当時、土砂に埋もれてしまった民家を見学地として残してありました。
自然災害の怖さをしみじみ感じました。
【おばちゃん繁盛記 3章(7)】
 英太の事業は、仕事も経営も一回り大きく動き出した。
そばで見ている家族の不安をよそに、英太は大きな賭をした。
人材を増やし機器の導入を積極的にしていった。
その反面
子育てや、家族のコミニケーションをはかれないのを理由に、
一匹オオカミになり独立したはずだったが
家庭には足を向けない英太に戻っていた。
家に帰ると、気がゆるみ仕事をしたくなくなるとこぼして
事務所で寝泊まりをして、仕事にこもった。
ところが、何日も頑張っていた英太も疲れがたまって家に帰りたくなった。
久しぶりに「ただいま」と呼びかけて家の玄関に立った。
きっと家族は嬉しそうに(おかえり)と自分を迎えてくれるだろうと思った。
ところが、家族は唖然として沈黙。言葉を失った状態で不思議そうに英太を見ていた。
幼い3人の子ども達も、何か珍しいものでも見たようにぽか〜んとして
夕食の箸をとめてやっと小学校5年の長女、愛が「どうしたの?おとうさん。」と言った。
小学2年生の光太郎は、大急ぎで婆ちゃんの所へ走っていくと
「タイヘンだ!お父さんか帰ってきた!」と伝えに行った。
婆ちゃんは「ほんにや〜〜」と光太郎と同じように驚いた顔をした。
英太は顔を赤くして、興奮気味に「俺の家に、俺が帰って来て何が可笑しい!ここは俺の家だぞ!」
と言うと、無造作にカバンを畳に置いた。
 とにかく英太が家の茶の間で家族と一緒に食事をするというのは、
お盆と正月が一緒に来たような珍しい出来事だった。
英太は誕生前の末っ子(次女)トモを抱き上げ、膝の上に乗せ食事をし
英太が「風呂に入るぞ」と言うと三人の子どもが後を追った。
風呂の中は水鉄砲が発射され、バカ騒ぎがはじまった。
その様子に、茶の間にいる婆ちゃんと爺ちゃんは
「息子が戦争から復員して帰てきたごたったい。」と話していた。
たしかに、英太は命を縮める勢いで毎日毎日仕事の終着点が見える日まで頑張っていた。
災害の仕事は時間が勝負。
一日も早く仕上げるのが鉄則、仕事が速く且つ正確にできる腕前は
大手企業から重宝され声がかかる。
英太は、戦場から帰ったのと似た気分のように解き放されて
子どもとバカ騒ぎをするのだったが、その時間は一瞬しか与えられなかった。〜〜〜つづく〜〜
拝啓 おばちゃんです
繁盛記・・英太の事務所は先輩の新築事務所へ移転しました。
新人青年タクヤを迎え、当時ではいち早くパソコンでの図面作業を導入したが・・経費に追われ・・
【おばちゃん繁盛記 3章(6)】

 英太の事務所は、新しい時代に遅れをとらず流れ出した。
自分中心に思い通りに花開く、そんな気分に浸った英太だった。

しかし、畑違いの勉強しかしていないタクヤに、仕事を理解させるには努力が要求された。
日常、ただでさえ自分一人で仕事を終わらせているにもかかわらず
説明する為の時間のロスは涙ぐましいものを感じた。

そんな内面の事情は、外の人達には見えないのだろう その頃の世間の評判に
ささやかであったにもかかわらず、新時代に向けて備える英太の所へ、
自分のほうから草鞋を脱ぎ、一緒に仕事をさせてもらいたいと申し出る者が現れ
次々やって来た。
給料なんかもらわなくてもいいですから、是非ここに置いて欲しいと言う人もあった。

そして、この年、大手から災害救援の依頼があり、
英太は、小さい規模の自分の会社の身の丈を考えると足がすくんだが、『世の為、人の為』
早期復興の手助けは損得抜きで頑張ってみたいと思った。
英太は、それを切っ掛けに彼等を受け入れた。

その仕事は 雲仙島原普賢岳噴火の災害復興。
1990年に起こった災害は焼失家屋820棟、死者44名、
その後の火砕流は水無川に沿って硫化し
火口から5.5キロに到達した。
そして、火山灰は土石流となり約1300棟あまりの家屋が損壊したと聞く。

 その後の復興の役割に英太は加わることになり
英太のスタッフは一挙に自分も含めて6名にふくれあがった。
ところが、
人数は増えても、仕事の道具が人数分無く、いかせない日々がつづいてしまった。
英太が一人忙しく、他の人材は手をこまねいて見ている始末だった。
とうとう、英太は、仕事代金に貰えるほとんどの金額をかけて
パソコンとソフトを買いそろえることになった。
 
 家庭にいてその様子を見守る幸恵は、毎晩のように悪夢にうなされていた。
                                  〜〜つづく〜〜




 

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拝啓 おばちゃんです。
美味しそうな鍋ですね〜〜。
ウフフ〜〜♪
【おばちゃん繁盛記 3章(5)】
 タクヤが来る前の日のこと
英太の恩師から電話があった タクヤは恩師の息子だった。
「息子がね、東京から帰ってきてね・・・」
恩師は、英太夫婦の仲人でもあり、英太は緊張して聞いた。
恩師の話は、タクヤはコンピューターのソフト会社に勤務していたが、
地元で就職をして落ち着きたいと帰省したので、役立てるかどうかわからないが、
経験させてみてはどうか・・という話だった。
 英太は考えた。全くの畑違いの彼だが・・
 時代の流れは、何でもこの先コンピューターになっていくのではないか。
 英太が、幸恵を困らせ、パソコンを最初購入したのは、1986年(昭和61年のこと)
ドス版の一太郎、花子、マルチプラン表計算ソフト・・電卓をたたくより早く便利な程度だったが
英太は先日、高校教師をしている弟の寛太の話を思い出した。
寛太の話では、高校の教科改変で『そろばん』と『パソコン』のどちらを、生徒の授業に
取り入れるかという職員会議があり、ほとんどが『そろばん』を取り入れる意見が強かった。
しかし、寛太だけは、パソコンを進めるべきと提案を強固な姿勢で発言したそうだ。
多数決になり、パソコン賛成は、寛太がたった一人だった。
それを、ごり押しで『パソコン』導入へ意見し説得し、寛太の提案が通過し
寛太の勤務する高校は『パソコン』導入になったらしい。
英太は、弟の寛太を、あっぱれ!と言って大いに励ました。
つまり、英太のパソコン導入は、弟の寛太の影響が大きく、技能を誰よりも先に身につけることが
できたのは環境にも恵まれていたからだった。
当時、、図面台の上で鉛筆による設計図書きが主流のとき、
英太は、いち早く時代を切り替える構えを心がけていた。
そこで、英太は、畑違いの技術のタクヤを受け入れた。
土木建設技術は知らなくても、パソコン技術を当てはめることでは重宝するだろうと考えた。
アサちゃんや、夕子ちゃん、若い彼女らの腕ももっといかせる。
英太自身は、『脳』を技術に働かせて、その道筋を若い者へ指示し、パソコンでの作業に生かした。
 英太は、熊本弁でいえば『よかもん好き』、
つまり、何でも興味をもったものには、人より先に飛びついてしまう。
そんな英太の性格は、ある意味、時代の変化の波にうまく乗ったと言える。
ただ、その反面、スタッフは増え、ソフト、パソコン機器の更新といった具合に、
我が身に残る生活費は無いにひとしく、苦労も続いた。〜〜〜つづく〜〜〜

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