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拝啓 おばちゃんです
さぼりの光太郎、今回最終回となりました。 読んでいただき本当にありがとうございました。 次回作品が8月から始まります。引き続き宜しくお願い申し上げます。 (6) ところで、俺はその学期の終わりに通知表をもらって驚いた。 ちょうど休んでいた頃、提出予定になっていた美術の作品を遅れて出した、これが認めてもらえず『1』をもらった。かなりショックだった。 母ちゃんに、絶対このことは父ちゃんには内緒にして欲しいと頼み込んだ。 母ちゃんは笑って聞き入れて「光太郎よ、通知表は『5』をとる人がいるから『1』をとる人もいる、そのことを体験したって思えばよかろう。」 そう言ってまた笑った。 実は、担任の長田先生から、このことでひどく叱ってしまえば、光太郎の芽をつぶすことになるから、通知表のことは広い心で見ていてやってくださいと、終業式の前日に話があったそうだ。 母ちゃんは優しい顔で涙を浮かべて「頑張れ。元気で生きておればそれでいい。」と俺の肩を抱いた。 俺は気持ちが楽になった。 あの日もらった通知表の『1』は、それからずうっと俺の勲章になった。 何事も怠ければ『ビリ』にもなる、それを知った苦い経験。 俺は、それから部活を一生懸命やり、体力をつけて喘息に耐えられるようにしなければと思うようになった。及ばずながら卓球部に入部し友達と中体連出場に向けて頑張るようになった。その事は、母ちゃんが喜んでくれ、家族平和の切っ掛けにもなったと言ってくれた。なぜなら、不器用な父ちゃんも昔は卓球部で活躍した人で、その後、父ちゃんは卓球部の親の会の役員になり部活指導の為、学校に出没するようになった。父ちゃんを俺はうまく釣り上げたのかもしれない。母ちゃんが一番嬉しそうだった。 その後、俺は健康にも恵まれ、のびのびと学校を休むことはなくなった。 中学3年生になり苦しい受験勉強が始まり、藁の上で寝てしまった夢心地が妙に懐かしい。 そして、俺は今日も、勉強なんてわからんと言っている母ちゃんの『忍術』のような言葉に操られるように、なにかしら目標に向かって走らされている。 俺は、この気持ちを母ちゃんに沢山話した。 母ちゃんは笑いながらそれを日記に書いていた。 おわり |

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