“神様が 一円玉に がっかりし”
7月6日の仲畑流万能川柳
第18句
“神様が 一円玉に がっかりし” 静岡 石垣いちごさん
神社へお参りに行くのは、普段だと、お正月くらいしかありませんね。
地域によっては、季節ごとにまつりがあったり、農事などに神に祈る風習も残っているでしょう
しかし、現代は、そのような風習や村の行事等も薄れて行って、神社に行くのは、年末・年始くらいになってしまったでしょう
私は、退職してこの十数年、「街の歴史探訪」「江戸・東京歴史散策」でたくさんの神社仏閣を歩きました。
でも、信心をしてお参りに行ったけではありませんので、御賽銭はあげずにお参りをし、写真に納めるだけでした。
年末や年始にしても、神社で御賽銭を入れるのに、いくら入れたらいいのか、ちょっと迷います
「御縁がありますように」と言って、五円玉入れるのか
「二重に御縁がありますように」と、二十五円を入れるのか
「始終、御縁がありますように」と、四十五円をいれるのか。
されではけち臭いから、ワンコインで「百円玉」にするのか、五百円玉にするのか
私のような、乏しい年金暮らしでは、お札では、見得の張りすぎか
迷うところですね。
神社としても、維持費などを捻出するのでしょうから、御賽銭が多いほうがいいわけですが
だからといって、お賽銭の額で神様が一喜一憂するわけではないでしょう
“お守りも お札も所詮 人の作”
7月4日の仲畑流万能川柳
第2句
“お守りも お札も所詮 人の作” 越谷 小藤正明さん
こんな句もありました。神社へ行っては、お守りやお札をありがたがっていただいてきます。
神前で祝詞を上げてもらったからと言って、所詮は神社関係の人間の作ったもの
まあ、心の問題なんですけれども。
私も、以前は、神社に行くたびに、交通安全のお札をいただいてきて、車にぶらさげておきました
でも、たくさんぶらさげても、事故にはあいました。
「たくさんの神社に頼みすぎだよ」
「そんなに頼んでは、神様同士が遠慮してしまって、守っちゃくれないぞ」
なんて、言われたものでした。
要は、信心する人の心の問題なんですね。
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