南三陸町志津川大久保地区避難所へ五右衛門風呂の搬入しました。
今回、モニョンゴロ村がある栃木の地元も震度6強の地震があり、
実家の瓦が落ちたり、母屋を避難所にしたりとバタバタしていたことや
トラックの燃料が手に入らないということで身動きがとれなかったのですが、
ようやく、軽油がスタンドに出回り、フル満タンで支援活動に参加できるようになりました。
また、ブログを通じて現地の情報を教えて戴く事ができて
本当にありがとうございました。
以下、第一回目の五右衛門風呂の搬入報告です。
昨日、4月1日は朝、モニョン村を出発しまして、
東北道を北上、登米市を経由して南三陸町に入りました。
峠を越えて、南三陸町に入ると風景が一変。
道路の脇に、元集落があったのかもしれませんが、
山のように残骸が積み重なっていました。
国道45号線で大久保地区に行くために、
自衛隊や各都道府県の緊急車両の間をぬって町の中心地があったであろう周辺に進むと、凄まじい津波の破壊力に言葉が出ません。
阪神や中越のときのように、崩れた家というものがないのです。
全てがバラバラであり、しかも膨大な海の泥に埋まっています。
なんで3週間も経つのに数え切れない行方不明者がいるのか、
異臭が漂う被災地で自分の非力さに悲しくなりました。
大久保地区に行くための45号線の橋は自衛隊が
緊急用の簡易橋を作ってくれたおかげで通れることができ、
すぐに大久保地区避難所に向かうことができました。
大久保避難所は集落で唯一残った民家に
近隣の人が共同で避難している高台の家です。
到着するとすぐに世話人の遠藤さんに挨拶をしました。
五右衛門風呂が到着することは、前もって連絡していたので、
遠藤さんをはじめ、みなさん、大喜びで迎え入れて下さいました。
3週間ぶりのお風呂だと言う人や、また、これまで自衛隊のお風呂に
一度だけ入浴できた話などを聞くと、今回の大震災の被害がいかに広範囲か
思い知らされました。中越の時は、川口町の避難所に五右衛門を持っていったのですが、公的な援助があり、すぐに自衛隊のお風呂もできたのですが、
今回の大震災は青森から千葉までとにかく人手が足りない状況なのでしょう。
小さな避難所には全くお風呂がなく、沢の水で顔を洗っている状態です。
避難所で話をしているうちに
トラックの軽油代や高速料金を佐藤さん一人の負担じゃ大変だと
世話人さんとは別の遠藤さんという方が、行政が出してくれるはず
いずれにせよ、ボランティアセンターに登録に行こうと案内してくれることになりました。
ボランティアなので辞退はしたのですが、南三陸町の人はこんな危機的状況でも
気づかいの人たちなのです。
案内して下さった遠藤さんご自身もご家族が行方不明とのことでした。
ボランティアセンターをはじめ、行政機関は役場や警察など
みんな山の高台の体育館のような建物に移動していまして、
そこに、避難されている方もたくさんいました。
みなさん、ダンボールで仕切りを作り、疲れきった表情でした。
役場用の簡易プレハブをのぞくとTVでおなじみの
古館一郎似の町長さんが、打ち合わせ中の様子でした。
職員さんもたくさんお亡くなりになって行政も大変なので、
経費はもちろん自分持ちにさせてもらい、
こっそり辞退してきました。
帰りに再び大久保避難所に寄り
皆さんに挨拶をしてきました。
みなさん、大変な状況なのに、
帰りの車で食べてくれとパンを差し入れてくれる始末。
南三陸町の人の優しさに涙が出てきました。
また、近いうちすぐに来ますからとお別れをしてきました。
毎日、家族や親戚など行方不明者を探す南三陸町の人たち、
そんな人たちにたとえ、ほんの一時でも、湯に浸かってほっとしてもらえ
つくづく今回の五右衛門風呂搬入は良かったと思いました。
帰りの車中、別の志津川田尻畑の世話人さんと話をしました。
田尻畑避難所もお風呂がなくて困っているとのこと。
早急に寄付やカンパを集め、購入して避難所に持っていくことを
伝えました。支援は迅速、スピードが大事です。
大事なことは、今、困っている人を助けることです。
とはいえ、五右衛門風呂は高額なので
至急、何人かの立て替えて購入して、
その後、広くカンパで穴埋めするしかない、と考えています。
記責 佐藤隆司 平成23年4月2日
写真1、2、3
南三陸町の現状 4月1日
大久保避難所のみなさん、中央右側が避難所世話人の遠藤さん