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第23回被災地支援
平成24年2月18、19日
北上町に益子焼、陸前高田に大谷石、 釜石に漁船修理費カンパのお届け。
今回もバタバタ忙しく午前中に仕事を片付けて
午後に出発しました。ひたすら東北道と三陸道を北上、最初に石巻に寄って漁網店さんから久保田利伸さんがご提供下さいました協力金で
万丈篭を40ヶと照聖さんたちの浮玉を積み込みました。とは言え、
石巻に到着したのが20時と遅れてしまい
会社はすでに閉まっていたので、闇夜の薄明かりの中怪しげにゴソゴソと積み込みました。
大谷石と漁具が混載の怪しいトラックです。
もちろん、すでに連絡はしてあるのですが、防寒対策ヤッケにマスクで益々怪しき雰囲気なので
交差点の赤信号待ちのドライバーが警察に通報しないか心配しながら積み込みました。
今回は最終目的地のはやとさんのお父さんが釜石なので、
再び石巻には戻らずに東北道で一挙に南下したいので
最初に積み込んだ訳ですね。
で、お隣の河北町に出発しました。
が、着いたらすでに21時になってしまい、被災者の人たちに配ってくれるブロ友のすいかさんに申し訳ないので、こっそりと玄関前に置いてきました。すいかさんもお仕事でお疲れかもしれませんし、お会いするとお土産を持たされるので恐縮してしまうのです。
被災者の人たちに気を使ってもらっては何をしにいったのか、分からなくなってしまうのです。
でもご近所のワン公に吠えられて慌てて、トラックに逃げてきました。
まあ、ヤッケにマスクで、マスクを外してもデンスケ劇場のデンスケさんみたいに無精ひげなのでいかにも怪しいヲッサンではありますが、、。笑
今回は設楽さんのカラフルな作品やかおるさんの笑顔のお茶碗など
明るくなるような色彩のものでとても喜んでもらえると確信していたので
楽しみに置いてきました。
で、今度は陸前高田に向かいました。
とは言え、登米までしか三陸道はできていないので、途中からいつものように志津川に向かいました。
入谷地区に向かう途中のトンネル手前のチェーン用の駐車場の所が、
仮眠する場所です。前に、遠藤美希さんのお父さんに初めて会う時も、
ここで寝たなあ、、としみじみ考えながら疲れていたのですぐに爆睡しました。
明け方の3時に寒くて目を覚まして、再び出発。今度は海沿いの45号線をひたすら北上、気仙沼を越えて、陸前高田に入りました。早過ぎたのでここでも少し仮眠しましたが、明るくなるにつれ、
瓦礫すらない淋しい風景がはっきりしてきて、
昔、瓦礫片付けに高田に来た頃から何も変わっていないなあ、
本当に被災地支援はこれからが本番だなあ、、。と悲しくなりました。
途中で道を聞こうと思い、新聞屋のおじさんに声を掛けたら、
バイクがパンクして困っているとのことで、急遽、家まで送ってあげました。
で、陸前高田の仮設にようやく到着しました。
釜石に行ってすぐに栃木に帰らないといけないので、朝の7時と大変早くて恐縮ですが、区長さんに降ろす場所を聞いて、早速クレーンで大谷石を降ろしました。
今回の陸前高田への大谷石の搬入は九州の大学の徳田先生と
お友達の岡田さんからご依頼なのですが、なんでもこの大谷石で
仮設の人たちや子ども達がピザを焼くのだそうです。
美味しいピザが焼ければいいなあ、、。みんなの想い出になってくれればいいなあ、、と思いながら作業をしました。
区長さんには再び来る旨、ご挨拶後、釜石に向けて出発しました。
私はもう1年近く被災地に来ていますが、
陸前高田より北には来たことがなかったので、
途中の大船渡を初めて見た時は大きな町でびっくりしました。
大きな船が渡るという字のごとく、大きな貨物船のようなものや
大きな煙突なども峠から見えました。
煙突からは煙も見えて、普段なら嫌な感じのものでしょうが、
活気があってほっとするのですから311は本当に
私にもトラウマになっているのでしょう。
それから再びクネクネと海沿いを眺めながら北上しました。
三陸は津波さえ来なかったら、リアス式の美しい町が続く
まさに日本を代表するような風光明媚な景勝地です。
早く旅人がまた行き交う街に復活して欲しいですね。
釜石に着いて、はやとさんとコンビニで待ち合わせをして、
それから、はやとさんのご実家があった佐須地区に向かいました。
佐須ははやとさんのブログでは不便な陸との孤島というイメージ
があったのですが、やはりS字の続く山間の杉林を抜ける
奥にある小さな漁村でした。
大雪があると、道路の除雪もなかなか来てもらえないというのは
本当なんだと思いました。だから元々佐須地区の人たちは
食料品は常備しておく習慣があり、それが反対に震災時に役に立ったとのことでした。なるほど、むしろ交通が不便ゆえに一軒だけでなく集落本来で食料危機に対処できる訳なんですね。
そういえば、311の時はうちでも東電の計画停電で井戸のポンプが使えなくなり、通電しても水が28M下がってしまい本当に大変でした。ポンプに入れる呼び水がないので役場に行ったら、
役場でも給水をしていなかったのです。
日頃から、何がどれだけ必要か、栃木とは言え、
来るべき首都圏直下型地震や
北茨城内陸型地震に備えたいと思いました。
佐須のはやとさんのお父さんに
元のご実家の跡地でお会いできました。
お父さんは、いかにも漁師さんという感じの人で
握手をして戴いたところ、とても大きなグローブのような
大きな手でした。
この手で三陸の荒波の中、はやとさんたちを育てあげて、
海の幸を、日本中の消費者に届けてきたんだ、、と思うと
なにかこみ上げるものがありました。
お父さんはようやく船を修理したのですが、肝心の岸壁がないので、
本当に困っていらっしゃいます。
早急に国には動いてもらわないと本当に困ると実感しました。
お父さんやはやとさんにご挨拶をして、
今回は遠野経由で東北道に戻り、一挙に南下して栃木に戻りました。
出発前日に積み込みました。岡田さんもお疲れさまでした。
大谷石は1本80キロもあるらしいのですが、うちのトラックにはクレーンが付いていてボランティア活動には本当に大活躍です。
無事に陸前高田の気仙今泉区長の菅野さんにお届けできました。
文字通り肩の荷がおりました。
美味しいピザが焼ければ良いですね。
区長さんのお話では目の前にも大谷石の塀があったのだそうですが、
跡形もありませんでした。
お父さんは根っからの漁師さんで、仕事一筋の本物の海の男でした。
なんとか早く船着き場ができないか、行政には本当に頑張ってもらいたいです
第23回被災地支援のご協力者さん
河北町へ益子焼
設楽洋子さん、かおるさん
陸前高田へ大谷石搬入
(大谷石提供)真岡市産業環境部環境課さん
(軽油代)九州工科大学 徳田先生(情報)岡田さん
はやとさんのお父さんの漁船修理代カンパ
メタルさん、yowamushikuuさん、もとじさん、madreさん、佐藤隆司
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