今回は日曜日の午後に出発しました。
また、出発前に横浜からの新規営農された有機農家のOさんから
野菜をまとめて購入して、南三陸町の支援してきた避難所3ヶ所に
届けてから陸前高田に行こうと考えていたのですが、
野菜が端境期ということでまとめて購入が難しかったことと、
今回は時間もあまりとれないということもあり
潔く陸前高田一本で行くことにしました。
ということで、午後に出発、いつものようにお金がないのでひたすら国道4号線を北上、仮眠しながら
気仙沼を通過して朝の6時頃に陸前高田に入りました。
最初の印象は、南三陸町に被害状況が似ているな。と思いました。
町の規模はやはり市ですから大きいなあ、とも思いましたが。
いずれにせよ、壊滅的に流されてしまっています。
で朝早く陸前高田ボランティアセンターに着いたのですが、
当然誰もいないので、先に今回の宿泊予定の住田基地に向かいました。
住田基地というのは、陸前高田や大船渡でボランティア活動をする人が
困らないように住田町が宿泊所として貸し出してくれた
住田町の大股地区にある元小学校です。
私のように栃木のド田舎に住んでいても懐かしい感じの小学校でした。
住田町というのは陸前高田から20キロ位内陸の山合いの小さな隣町です。
で、住田基地の責任者の南さんという方に、宿泊をお願いしました。
一般の方は、男女に分かれた大部屋で寝るようになっていますが、
私はグランドにてトラックで寝ることにしました。イビキかいて迷惑かけても申し訳ないし。笑
グランドにはテントをはって寝ている人も何人もいました。
そうこうしているうちに住田基地より、ボランティア参加の人たちがボランティアセンターに向かいだしたので
私も車列に続いてボラセンに再度入りました。
このときは8時を過ぎていましたので、ボラセンのスタッフさんや
ボランティア参加者さんがたくさんいらっしゃいました。
で、何気に周辺を見ていたら、どこかで見覚えのお顔。
NICEというNPOの井口さんがいらっしゃるではありませんか。
井口さんもヲッサンたかしがいることにびっくり。
世の中狭いもんですね。お話を伺うと、NICEは20人位の大部隊で半分は
ボラセンの長期運営スタッフで残りが実働部隊などらしいです。
井口さんはNICE部隊の責任者のようでした。
いずれにせよ知っている若者たちが最前線で頑張っている姿は頼もしく
この上なく嬉しいことです。早速、いわき市で泥かきをやっている井口さんの
先輩のたつやさんやヨッシーに電話したことはいうまでもないことです。
お二人ともとても喜んでいました。
お二人はお二人で、いわき市で泥かきをやっているのですが。
ボラセンでは、ボランティア初めての人は初期登録をしなければなりません。
私は南三陸町でお風呂の設置ボラの経験はありましたが、
佐藤個人の単独活動ですから、ここで初めての正式登録をしました。
一度、登録すると約1年位は全国どこでもボランティアができるらしいです。
で、そのあと、マッチングといいまして、
欲しいニーズに自分を合わせることを行います。
瓦礫片付けをやりたい人、避難所で子ども達の支援とか
配給物質の整理とか、それぞれのニーズを調整するわけです。
私は瓦礫片付けを希望していたので、マッチングに参加しようと思っていたのですが、クレーン付きのトラックやクローラー運搬車が目立ったのか、
すぐに他の片付けグループの人たちからお誘いを受けて
一緒の現場で片付けをやらせてもらうことになりました。
で、すでに何日か経験をしている徳島からの先輩グループについていくと
割と海に近い高田地区のSさんという方の被災家屋現場に着きました。
Sさんのお宅は集落の一番山際にあり住宅裏は竹やぶと杉林になっていましたが
津波によりご自宅は全壊、跡形もなく基礎だけになっていました。
基礎だけ見てもかなり大きな農家だったことは、素人でも分かります。
ご家族の無念は本当に言葉にならないと思いました。
瓦礫はご自宅分だけでなく他のあらゆる物も津波と共に押し寄せてきて
立木の杉林も根っこを付けたまま倒してしまうほどの破壊力でした。
初日は、ひたすらクローラーで運んでいたら
S家のお母さんが望むのは、家の裏、山から海岸に出ている水路のの側溝に
詰まっている瓦礫を取り除いて欲しいとのこと。
梅雨や台風で鉄砲水が押し寄せてきたら大変なので優先して片付けて欲しいとのことでした。
しかし、私が失敗したのは、クローラーは持ってきても
チェーンソーを持ってこなかったことです。
でも、この家のお父さんが1台シンダイワを所持していたので、
それを借りて杉の丸太や瓦礫をの木材の長物を切断して運び出しました。
でも、さんざん釘などを切ったらしく、全く切れません。
ヤスリを借りて研ぎ出し修正してあげましたが、なんとか切れる様になったら
刃の大きさも限界に達して三角になってしまいましたので、S家のお父さんに
刃の購入をお願いしました。陸前高田にはお店が流れて買えませんが
住田町で購入できるとのことでした。
初日は徳島のおじさんたちグループが頑張っていました。
おじさんのたちのリーダー役の太田さんという方は、
ご自分で山も持っているとのことで
ハスクや木回しまで持って片付けに参加されていました。
また、私のように単独参加の青年も頑張っておりました。
青年は本業は画家とのことで、群馬の太田市でお父さんと
「ヒノデカニ商店」というカフェ兼雑貨屋さんをやっているとことで、
とても面白い青年でした。私は群馬にはよく行きますので是非お店にも行ってみたいと思いました。
午後は15時までがボランティアの活動時間でまたボラセンに戻り、
ボランティアワッペンシールを破棄しました。
これは必ずここでその度、捨てることになっているようです。
そのあと、住田のキャンプ場にある200円のお風呂に向かいました。
初日は栃木から移動してきたこともあり住田のローソンで弁当食べてダウンしました。
2日は昨日、徳島の太田さんたちグループが遣り残した杉の残材処理から始めました。
太田さんたちが枝をもんでおいたので、玉切りが早くて済みました。
たくさんのボランティアさんたちがやってきて、こうしてバトンタッチしていくのですね。
しかし、台風の風倒木もそうですが、折り重なって根こそぎ倒れた木を玉伐るのはとても危ないのです。
いいかげんに切ると、起き上がりこぶしの原理でアッパーカットです。
私も森林組合で働いた経験があって良かったと思いました。
要領も分かり、2日目はかなり仕事が進みました。
本日は多摩からやってきた、メッセンジャーの仕事をしているという青年達とお別れです。
青年達も借りてきた軽トラにスコップ持参で本当に頑張っておりました。
同じ瓦礫を片付けた仲間がいなくなるのは淋しいですが、こんな清々しい青年達と
出会えたことは私も本当に嬉しいものです。夕方、彼らも疲れているであろう身体で
笑顔で東京に向けて帰っていきました。
3日目は
私一人になってしまいましたので、別の道路の土砂片付けを
していたグループにSOSをお願いしました。
私がチェーンソーで木材などを伐っている間にクローラーに積み込んでくれる人がいれば瓦礫処理が少しでも進むからです。
4人の方が手伝ってくれることになり大助かりでした。
このグループは須藤元気さんというプロの格闘技家の方たちの1部隊でした。
この中にはランク入りしているプロボクサーの方もいらっしゃいました。
本当に強い人は、みんな優しい笑顔をされていると聞いていましたが、
ああ、本当にそうなんだなあ、と思いましたね。ジョーや力石を思い出しましたね。
3日目は半日だけのつもりが、週末の予定が変更して余裕ができたので
午後もやりました。S家のご家族と元気さん部隊にお別れをして
私も栃木に戻るため出発しました。
竹や杉などが流された瓦礫ともにゴチャゴチャになっています。
津波が最後に到達した山際です。
瓦礫の上に重なっている杉や松を玉切して運び出します。
他のグループの青年達も一生懸命手伝ってくれました。
彼らのような若者こそが日本の宝です。
栃木に戻る途中、西を望む夕日、明日も必ず浜には朝日が上がります。
東北は不滅です。