空とぶモニョンゴロ村・被災地支援活動

いつまでも生きられると錯覚するのが、諸悪の根源です。未来そのものであるチビッコたちのために良き踏み台になりましょう!

福島わんぱくチビッコ支援隊

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第32回で南相馬市のよつば保育園さんに搬入したカニさんプールが
テレビに映っていますよ。近藤先生のインタビューも。
川俣町のプールの次のニュースです。
ご協力戴いている皆さん!
そらまめ保育園さんの関係者さん?のブログで
写真付きでご紹介戴きましたよ〜
子ども達の遊んでいる写真を見たら、
泣き虫おじやんもジーンとしました。


小さな子どもたちのために迅速に動きましょう!
言うだけは簡単です。
机上口承のきれい事は、無関心より悪質です。
大事な事は全ての福島の子ども達と実際につながることです。


つぎまりが出発! ケータイ投稿記事

イメージ 1

八戸のてつままさんのつぎまりが福島市のS保育園さんに向けて再び旅立ちました。子どもたちが手作りの鞠で遊んでくれたら嬉しいですね。ちなみに化粧箱は会津若松の箱屋さんの桐屋さんのものです。つぎまり1個は残っていますので、後で本物をみたい方はどうぞ手に取ってみて下さい。
第32回被災地支援報告書
               平成24年6月4日
ご協力戴いている皆さん、
いつもありがとうございます。
今回のご報告です。
4日は、朝6時に出発しました。9時にとちぎVネットのAさんと白河市の職員さんのMさんと待ち合わせ致しました。
Aさんは電話にてお声を拝聴していましたが、やはりお人柄も
優しそうな方でした。昨年からずっと白河の仮設を中心に
ボランティアをされていたそうです。
こういう地道な活動をされているAさんはじめVネットのメンバーさんのおかげで、いきなり突拍子も無い話をもってきた怪しげな私も職員さんのMさんや課長さんにお会いできました。
本当にAさんには感謝の念が絶えません。

市役所で自己紹介と福島花の香プロジェクトの概要を
説明させて戴きまして、すぐに今回の畑を貸して下さる地主の
Iさんのお宅に向かいました。Iさんも優しそうな方で
なんとなくもうプロジェクトは成功したような気がしました。
やはりこういう活動は人が全てです。
良い人に巡り会えれば、多少の紆余曲折はあるせよ成功するものです。そのあたりは良い協力者のブロガーさんに出会えた自分が
一番良く理解しています。ブロガーさんたちがいなかったら
漁師さん応援プロジェクトも続かなかったこと
は間違いなかったことですから、。
で、畑はお宅の近くの田んぼに囲まれたのどかな所にありました。
土質はモニョン村周辺の関東ローム層とは違い、
白っぽい色の土でした。皆さんと話し込んでしまい肝心の写真を忘れてしまったので、次回、ラベンダーの苗の定植時に写したいと思います。この畑がラベンダーで一杯になり、仮設の人たちに喜んでもらえればこんなに良いことはありません。みんなも農作業できるし、
なんと言ってもラベンダーの香り成分はハーブの中でも癒し
最高です。また、中世のヨーロッパでペストとか流行ったときには
消毒液にもなったようで、そのあたりがラテン語の「洗う」という語源から来ているらしいです。香りがする度に気持ちを洗って前向きになってもらえればと思うのです。

白河の皆さんにお礼を述べてご挨拶後、
福島市に向けて出発しました。思っていたよりも時間が掛かっていたので、止むをえず東北道に乗りました。
S保育園は、福島市の西の方にあります。
先導車の園長先生の後をついて見えて来た保育園は
大きな農家さんような大家さんの敷地にある小さな
平屋でした。私のように子どもがいないおじさんにとっては
保育園の中に入る事はありませんから、なにもかもが小さくてビックリしました。椅子も冗談のように小さくて、小さくて、
本当なら、沢山の子ども達が賑やかにここで
過ごしていたんだろうと思うと悲しくてなりませんでした。
S保育園は元々は福島市の東の方にあったのですが、
建物の構造上、除染しても線量が下がらず、
ここに引っ越しをされたそうです。
一時は園をお休みされたらしいですが、4名の子ども達が
残られたので再開されました。
と言ってもたったの4人ですから
日本一小さな保育園かもしれません。
園長先生はこれまでの経緯をお話して下さいましたが、
途中で涙声になられました。
本当に辛い心細い事の連続だったのだろうと思います。
福島の幼児教育関係者の辛さは大変なことで、
311の後、何が変わったのかと思うとやるせなくなってきます。
人はいとも簡単に子どもは避難させるべきだと言います。
しかし、どんな理由があるせよ、。
そこには残っている子ども達がいるのです。
だから子ども達を支えてくれる先生方の心も
支えなくてはならないのです。
これは現実の話なのです。

その後、園長先生とトラックから砂とカニプールを降ろしました。
砂遊びはS保育園では砂遊びはとても大事にされていたので
本当に喜んでもらえました。園長先生が沢山の砂やカニプールに恐縮されていたので、大丈夫です!先生を応援している仲間は全国にいますよ、。カニプールの協力者さんの名前を見て下さい。ひとりぼっちじゃありませんから、。と励ましてきました。
小さな小さな保育園の優しい園長先生にお別れして
再び出発しました。

その後、川俣村、飯館村を経由して南相馬市に入りまして、
これまでにみかんやイチゴをお届けしたY保育園さんに
初めて砂とカニプールをお届け致しました。
副園長先生もいつものようにお元気そのもので
やはり若いということは凄いパワーだなあ、と思いました。
特にこういう時は頼もしいです。
現在、神奈川から職人さんがいらっしゃって
砂遊び小屋を建築されていました。
普通の家の形でなくて、三角のトラスを組み上げたドームハウスでした。今回、持ち込んだカニプールと砂もその中で使って下さるそうです。次回の訪問時が楽しみですね、。
ご挨拶後、すぐお隣のS保育園に向かいました。

S保育園さんでも園長先生がお元気でなによりでした。
以前に持ち込んだ砂は子ども達が使っているうちに
少しずつこぼれたりして無くなっていたので、
とても喜んで戴きました。なんせ砂がないことにはどうしようもありません。子どもたちにはどんどん砂遊びをしてもらわないといけません。
園庭の隅に、やはりガラス温室のような砂遊び小屋を作りたいということで、その前に東京からボランティアチームがいらっしゃって
草取りや除染を行っていました。なんとか予算が集まって
そんな小屋ができれば良いのですが
道程はなかなか厳しいようです。砂が大量に必要になれば、
トラックで北陸などに行って採ってきますよ、。とお話をさせて戴きました。とりあえず、小屋ができるまでは時々S保育園にも砂の補充が必要だなあ、と思いながら、園長先生にご挨拶して出発しました。

帰路は往路と共に、
飯館村を抜けて帰りました。
道中は延々と草茫々の田んぼの風景です。
前回よりも草丈が伸びてしまい
より田んぼや畑の荒れ方が目立ちました。
何十年もあたり前のように米作りに専念していた人たち、、。
本当にこれからのことを考えると
どうして励ましたら良いか途方に暮れてしまいます。
人間は賠償金だけでは生きていけません。
先が見えない事がどんなにか辛いことか。

とにかく東北の支援、福島の支援は長い事になりそうだな、、と
思いながら帰宅に向けて車を走らせました。

イメージ 1













出発前のカニプールです。
協力者さんたちの想いが背中に沢山!!
カニよ!頑張ってくれよ〜
イメージ 2













イメージ 3













福島市のS保育園に搬入しました!
カニよ!後は頼むぜ!!
イメージ 4













南相馬のY保育園に砂も搬入しました!

イメージ 5













南相馬市のY保育園の副園長先生です。
まだお若くとても元気な副園長先生です。
先生も子ども達のために頑張って下さっていますよ〜
イメージ 6













三カ所目は以前に砂プールを搬入しました
南相馬市のS保育園さんに砂の補充です。

イメージ 7













走っても走っても飯舘村の田畑は草ぼうぼうの
荒れ放題でした。これが原発事故の現実なのです。

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