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<ご祭神> 天穂日命 厄除、国家安穏、家内安全、五穀豊穣の神 <鎮座地> 神戸市兵庫区五宮町22−10 ご祭神である天穂日命は、天照大御神と素戔嗚尊が剣玉を交換して誓約(うけい)をした際に 天忍穂耳神に次いで天照大御神の勾玉から生まれたといわれています。 古事記や日本書紀によると、 天穂命姫は高天原から葦原つ中国平定の交渉のために出雲の国の王・大国主命のもとに遣わされますが、大国主命に心服して その家中に留まり、娘の下照姫を妻に迎えて 3年間 高天原に戻らなかったといいます。 国譲りの交渉役を放棄したということで 記紀では否定的に扱われています。 一方、天穂日命の末裔といわれてる出雲氏によって記されたという 「出雲国造神賀詞(いずものくにのみやっこのかむよごと)」では、 天照大御神より葦原中つ国の悪神を鎮圧し乱れを糺すために遣わされます。 天穂日命は 息子である天夷鳥神(あめのひなどりのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)を 地上に派遣するなどして任務を遂行、天孫降臨の露払い役を見事に果たした偉大な神さまとして 扱われています。 境内からは、東はポートアイランド、南は神戸港、西は高取山や淡路島まで眺めることが出来るほど 眺望に優れ、また 北の背後のうっそうと茂る緑の山々からは風が流れてきます。 この地に創祀された年代は不詳ですが、 出雲国能美郡天穂日神社よりこの地に観請され、神功皇后が 三韓へ行かれた帰りに巡拝された一社です。 出雲国能美郡天穂日神社と関係があり、古来より 平野一帯の氏神として祀られています。 八社の中では 最も高い場所に立地している。 社殿の上は 平地となっている。 本殿が鎮座しているようではない。 その昔は、この神社の東側を通る道が北に抜ける動脈のうちの一本の役割を果たしていました。 真北にある鍋蓋山を経由して 再度山大龍寺へ参拝したり 有馬へと向かう人々で賑わいを見せ、 そういった人々にために境内に茶店が設けられた時期もあったそうです。 また 花隈の花街が盛んだった頃には 四宮神社と並んで芸妓たちの厚い崇拝も受け、 その当時に奉納されたという絵馬も若松稲荷社に残されています。 1872(明治5)年に 湊川神社が創建された際には 湊川神社の氏子社に指定されましたが、 古くからの生田神社との深い繋がりを訴え、地元・奥平野村の庄屋や年寄りなどの代表者たちが連名で 嘆願書を出した結果 認められということもあったそうです。 これは 稚日女尊の神託「吾は活田長狭国に居らむと 海上五十狭茅(うなかみのいそさち)の 子孫の家があったからといわれています。 若松稲荷には花隈芸者の絵馬も残されています。 境内に祠が三社鎮座、
祭神は 猿田彦神、大国主神、倉稲魂神の三柱である。 |
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