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【 六宮神社 】 <御祭神> 天津彦根命 応神天皇 厄除の神 旧 坂本村の氏神 <鎮座地> 神戸市中央区楠町3丁目4−13 六宮神社は 八宮神社に合祀しています。 拝殿正前に その旨を記した板が掛けられています。 六宮神社は現在の楠寺の前に鎮座されていましたが、 明治42年12月に 楠高等小学校の新設により 八宮神社の御社殿に合祀されました。 厄除の守護として 古くから厄年の人の参詣が絶えません。 坂本村に皇別坂本臣紀朝臣が御住みになっておられましたので、 坂本臣紀朝臣は 武内宿禰の御仕えさせられていました応神天皇を御祀りせられたものと伝えられています。 出雲系の神ですから 御一緒に祀られたものと思います。 旧 矢田部坂本村鎮座として奉斎。 六宮神社は 大和国高市郡の御県神社の祭神の天津彦根命と同じで、 これは 武内社の高市御縣神のことのようです。 紀朝臣は 中央で活躍して紀氏の一族をさしていますが、その氏族の祖先は武内宿禰とされています。 紀の国の紀氏は紀直であったが、後に 朝臣となっています。 また 紀直の祖神を素戔嗚尊とする秘密系図が日前国縣神宮の紀氏に伝わっていると言われています。 【 八宮神社 】 <御祭神> 素戔嗚尊 熊野杼樟日命 厄除の神 旧 坂本村と 旧 宇治野村の氏神 <鎮座地> 六宮神社と同じ 八宮神社の御祭神は、天照大御神と素戔嗚尊とが 剣玉を交換して誓約された際に生まれ給いし 五男神の一柱で、神公皇后 三韓征討の際に巡拝を賜った一社である。 当社は 橘通の旧・県警庁舎の所に鎮座されていたのですが、 明治42年に神戸市役所を当社鎮座地に新築されるにより、現在の楠3丁目 大倉南東の地に移転されました。 素戔嗚尊を御奉祀せられましたのは 紀朝臣でありまして、 紀朝臣は後 紀伊国造となり素戔嗚尊を御祀りせられたものと伝えられております。 旧 矢田部郡坂本村鎮座として奉斎されている厄除守護神として 名高い神です。 八宮神社の祭神は 遠江国周智郡の横須賀神社と同じである旨のことが 昭和11年発行の「兵庫県神社誌」 に記されています。 現在 横須賀神社の名前は 湖西市横須賀に見出されますが 祭神は大国主命となっています。 横須賀神社は式内社ではありません。 今の楠町の辺りは、昔は 坂本村と呼ばれており、六宮神社と八宮神社は 坂本村の鎮守社として 厚い崇敬を集めていました。 この辺りのは 坂本臣と呼ばれる一族が住んでいたそうです。 坂本臣(さかもとのおみ)は 平安初期の815(引仁6)年に編纂された氏族名鑑である新撰姓氏禄の 「第八巻摂津国皇別」の件に 「紀朝臣(きのあそみ)と同じき祖。彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)の孫、 武内宿禰命(たけしうちすくねのみこと)の後なり。」 と記されているように 大和朝廷の初期に景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇に仕えて活躍したとされる武内宿禰の子孫と されています。 武内宿禰ゆかりの応神天皇をともに祀ったのは この坂本臣と考えられています。 白蛇稲荷大社 |
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