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丸山町3丁目バス停、スタート バスを降りた途端、雨が・・・ (ΩДΩ)/ 予報になかったことと荷物少な目が心情のため、当然 傘がなく・・・ 次第に増す雨の中の歩き旅になりました。 階段を下りて、コープの次の角のカフェを右へ入り、西丸山橋のそばに “丸山顕彰碑”:檜川町2丁目 【苅藻川にかかる檜川橋より下流の、西丸山橋の横に阪神大水害で殉職した警官の慰霊碑がひっそり
と建っています。
その死を悼み建立された慰霊碑で、水害の教訓を今に伝えています。】阪神大水害では、長田署(旧林田署)の駐在員だった故福田秀蔵巡査部長が、最後まで残って住民に 避難勧告を伝えていましたが、次男とともに土手の決壊に巻き込まれ亡くなられました。 【 】内 ながたすこやかマイロードより バス道に戻り南へ下って “丸山衝上断層”:明泉寺町 【1932(昭和7)年に京都大学の先生が発見したもので、学術上貴重な断層であることから、神戸市内
でただひとつ、国の天然記念物に指定されています。
この断層運動を示すものが丸山衝上(しょうじょう)断層で、今から一億九千年前の中世代初期に百万年前〜数十万年前にかけて、現在の兵庫県南部に断層運動が起こり、六甲山脈ができました。 マグマが地殻に貫入してできた六甲山塊が、その上に堆積してできた新世代第三紀層の上に衝き上げ、 新しい地層と古い地層とが上下逆になるという大規模な地殻変動が起きたことを示しています。 断層は六甲山塊北側に一大断層があって、その一部がこのあたりに露出して見られるものですが、 実は丸山衝上断層とは数カ所の露出部分を指して言う名称です。】 “明泉寺・平知章の墓”を過ぎて 滝見橋を渡り、 “水天宮”:長田天神町5丁目 【源平の合戦で亡くなった安徳天皇、建礼門院、二位ノ尼がまつられています。 この社は1914(大正3)年に建てられました。それまでは名倉小学校のあたりに名倉池という池が あり、その角に水天宮の祠があったといわれています。 ★天神山:天神山というのは、長田神社の神がもとこの山にまつられていたと言い伝えられている からの名だそうです。それは長田の神と同時に祀られたという西宮の広田神社が、御手洗川の上 の高隈山に、また生田神社の神が、はじめは苧(お)川の上の砂(いさご)山に、というように、 いずれもふもとに川のある独立した丘を選んでいることから、天神山にも西に小川があるので、 推察された説のようです。】 名倉小学校前のバス道を西へ “平盛俊塚” バス道を南へ進み、第一宮川橋を越えて 長田墓地 “福聚寺(ふくしゅうじ)〔長田の薬師〕”:西山町1丁目 【臨済宗、本尊は十一面観音。1376年(永和2)年の月菴(げつたん)禅師の開基で、永禄年間に兵火で 焼かれ、慶長年中に改修したといいます。別名「長田の薬師」と呼ばれるいわれは、神仏混交のとき には長田人神社の神は薬師如来の本地といい神社の境内に薬師堂がありましたが、明治初年の神仏 分離の際に、薬師如来を福聚寺に移したからです。 長田神社の行事で有名な鬼追いの儀式(追儺式)も、もとはこの薬師堂で行われていたもので、市内の 他の鬼追式はみな寺院で行われています。】 “長田神社”:長田町3丁目 【祭神は事代主尊(ことしろぬしのみこと)。 かつては旧神戸の西半分、須磨までの産土神(うぶすなかみ)でした。神域はヘサキを北に向けた 船の形をしています。これは神功皇后の朝鮮出兵のおり、事代主尊が軍船を守ったという言い伝え によるものです。 明治のころ、境内に氏子から奉納されたニワトリが多数放し飼いにされていたので、外国人はこの 神社を「チキンテンプル」と呼んでいたと言います。 節分の日の鬼追い(追儺式)、夏の夜を彩る薪能(たきぎのう)は有名です。】 駅へと向かって、銀行の角を曲がり “監物太郎の碑” 村野工業高のグランドフェンス沿いに ”源平勇士の碑” 西へ歩いて “蓮池跡”:蓮池町 【以前この辺りには「蓮の池」という大きな池がありました。 奈良時代に畿内を巡回していた行基が、農民が水不足で悩まされていつことを知って、この地方の 灌漑用水として築いたと言われています。 旧池田村と西代村に属し、実測面積では1万7400坪の大池だったとか。池の南の堤に沿って西国街道 が通じていてこの池は旅の目印にもなり、「平家物語」や「太平記」などにも登場する、古くから 有名な池でした。 大正末期から一部埋めたてが始まり、1931(昭和6)年に整地され、蓮池小学校やスポーツ施設が 建ち、池は一新されました。2007(平成19)年3月末完成の西代公園内に石碑が設置されています。】 蓮池小学校の先を右へ折れ “常福寺”:大谷町3丁目 【旧西代では唯一のお寺です。真言宗、本尊は延命地蔵菩薩。 境内には古刹ゆえの興味深さがあります。天平時代に僧行基が建立したと言われている蓮華寺に 祀られていた卒塔婆10基が保存されており、行基が造った蓮池の、水が枯れた時の雨乞い祈願 として池の樋の余材で刻んだと言われています。 山内には、西国三十三所霊場になぞらえた観音石像が安置され、「観音山」という名前の謂れと なっています。また、その勧進碑で「輪廻転生」石車輪のついたものは珍しい。南北朝時代の 宝筐院塔(ほうきょういんとう)が奉祀されています。寺墓地には明治・大正の大阪相撲のスター 力士の墓数基が存在しています。】 ”平盛俊の墓” 五位の池バス停、ゴールです。 【歩行時間105分 約11,100歩】 |
*神戸あちこち 長田区*
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