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浮世離れの世迷言
主語はいつだって ワ タ シ です。

夕方都電

京浜東北線が停まったしまったので、王子駅の周りで時間を潰した。
まだ飛鳥山は花があるので花見を少々楽しんだ。

東十条大宮間折り返し運行はしていたので、そういう珍しい形態の電車に乗ってみたいようにも思ったが、それではまるで「鉄の男」になってしまうじゃないか、と言う内なる声を尊重し、東十条まで歩いて東十条駅始発の北行電車に乗るのはやめた。

それで、そのまま山を下りて都電の写真を撮った。


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都電は新しい形式の車両が増えたけれど、古い車両の色を塗り替えた車両が多かった。
塗り替えたのではなく、デコラフィルムを貼ったのだろう。

その結果、車体色が増えたのはとても嬉しい。
ワタシはいったい明るい華やかな色が好きで、ついでに多種多色も好きで、だからいろいろな色が走っているのはとても好もしい。
統一してあることを好む、と言う人もいるけれど、ワタシは、広電や土電のように、昔の塗色で出ています、みたいな小林旭的多様性がある方が好きだ。

お芝居だって、いろいろな屋号が掛けられる一座が好きで、二十くらいの屋号が入り乱れる芝居を見たいなあと常々思っている。
車両だって、ぜんぶE233系とE231系でデコラだけ違うなんてのは、じつにツマンネ。

だから、東武伊勢崎線とか東上線とか西武池袋線とか、楽しい。
楽しいけれど、このところ会社が違ってもデコラが違うだけみたいな感じになりつつあるので要注意である。

注意しても何も変わらないけど。


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夕方だから色に赤味がかかって、ちょっとだけいい感じに見える。
それにしても、いつだって都電に乗るたびに思うのだけれど、混みすぎ。
たった1両で走っているのだから仕方ないのだけれど、連接車が走ったら良いのにと思う。
でも、これもたぶん無理な話なのだろう。
お金がかかる。

豊洲とかね、あれだけ大盤振る舞いした金の一部をホーム延長に使ってくれれば、連接車が走れるのになあと。

都電ファーストなんて政党はできないもんかね?


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王子駅前から赤羽までの電車を復活させて、できれば三ノ輪橋から延長して京成電車の白髭廃線に乗りこんで京成曳舟駅に乗り入れれば、向島百花園に花を観に行くのが大変便利になるのだけれど。

豊洲にかけた金さえあればねえ。


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やっぱり色は大事だ。

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ものすごい以前のこと、戦争中パイロットだったという、ワタシどもが関わりのある業界の大先輩に陪席したおりの、
失速するとね、あれは焦るから桿を引いてスロットルを絞っちゃうんだけど、反対なんだよ、失速してんだから速度を上げなきゃいけないんだよ、解るだろ、
という会話をよく憶えている。その時のその人の表情まで思い出せるほどだ。

関わりがあるといっても同じ業界ではないし、むろんその人が卒業した会社でもないわけで、特段含むところのある話ではない。
ただ、昔の話をしている相手が、まだ若い、なんでも話を聞いてくれるひよっこだったから、つい口が軽くなってあれこれ喋ってくれたのだろう。

ゼロ戦はやとや紫電改のタカの読者だったワタシにはとても驚きの話だったけれど、愛読者にとっては当たり前の話だろうし、飛行機が飛ぶ原理を知っている人にとっても常識中の常識の話のはずだ。


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シジュウカラがその原理を知っていてこのあとすぐに頭を上に向けたのではないだろう。
シジュウカラが流体力学を知っているとはとても思えない。
知らなくても飛べる、というそのことの方が大切なことである。


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まるで新緑の森のようだけれど、れっきとした都心である。
もうこんな色になっているのだから季節の移り変わりというのはたいしたものであるね。

シジュウカラだから、軽井沢とか八ヶ岳という雰囲気ではない。
いることはいるだろうが、どちらかと言えば、うちの庭にも来る鳥である。


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ツグミだって飛ぶのだから枝に停まってもちっともおかしいことはないのだが、たいてい地面でエサをついばんでいるか、サササッと走っているところばかり見る。


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上のと下のと、顔の色がだいぶ違う。
性差なのか、単なる個体差のブレの内なのか、埼玉のツグミと東京都心のツグミの違いなのか、よくわからない。

県ツグミと区ツグミの違い、かしら。

そうそう、失速と言えば、ということなのだけれど、
スズメの仲間はたいていヒヨドリみたいに、バタバタバタッ、ぶーん、バタバタバタッ、て具合に、羽ばたいて飛んで次は羽を閉じて弾丸みたいに慣性で突き進
また羽ばたくのだけれど、カラスの仲間はやっぱりスズメの仲間ではあるけれど、そんな風には飛ばない。身体が大きいからだろう。
しかしながら、立派な容姿だけれど身体はさほど大きくないオナガもカラス科で、やはり実に美しい飛び方なのはスズメとは一線を画する。

燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんやと憶えさせられて、結局鴻鵠の志はちっとも解らないのだけれど、スズメもヒヨドリもカラスもツバメもオナガも燕雀だろうが、ツバメとオナガは飛び方が立派で、たいへん結構である。


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なにしろオナガは、さらさらさらっ、と飛ぶ。
擬態語にカタカナではなく平仮名を使いたくなる妙なる飛び方で、容姿とともに実に感心するのだけれど、啼けば幻滅する。

もし原節子がブヒヒヒヒヒと笑ったら幻滅だったろうが、もちろんそんなことはあり得ない。
吉永小百合がドヒャヒャヒャヒャと笑ったら残念だろうが、もちろんそんなこともあり得ない。
それが鳥の世界ではある。

こちょこちょこちょ、って、腋の下をくすぐりたくなった。

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東武伊勢崎線に乗って浅草に行く車窓は楽しい。

東向島駅の上りホームで、下りホームを通過する下り電車は東急の車両。
半蔵門線から来た列車だということは、あまり詳しくないワタシ程度の鉄道知識でもわかる。


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東向島駅と言うより、むかしの玉ノ井駅の方が良かったのに、と改名以来30年が過ぎたというのにいつまでもしつこく言うのは良いことではない。
そういうのを年寄りの繰り言と言う。

でもね。地名は大切だからね。
ワタシもね、浦和市ならむかしを懐かしむけれど、さいたま市なんてばかばかしくて。

とは言いながら、玉ノ井駅になるそのまた以前の白髭駅の方が良かった、とはさすがに言わない。



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この電車に乗って浅草駅に行く。
これは東武の車両。
行き先表示がきれいに写って、とてもすっきりする。

明朝体みたいな雰囲気の書体。


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10日の墨堤は、11日の間抜けな冷たい雨を控えた満開。

ひどい春だった。
花散らしの雨だなんて、いつごろから誰もが口にするようになったのか知らないが、少なくともワタシが子供から学生の頃にはそんな言葉は使わなかった。
少なくとも関東では言わない。

言葉なんて世につれて変わるものだと嘯く奴も多いけれど、それは言葉は結果として変わってきたけれど、今みたいなマスメディアだのネットだのが幅を利かして商売に絡んで無理やり広めた言葉ではなく、じわじわと世の中に浸透していった、その浸透する言葉の力や浸透させた使う人たちの思いを褒めたものだろう。
そんな力とは反対の安っぽいマヌーバーに与する気持ちは無いので、だからその手の言葉づかいを気持ち悪いと思うし使わないし使う人を軽蔑するだけの話で。


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同じ墨堤の向島側の墨堤通りを、あれはいつだったろう、もうだいぶ以前のことだけれど通ったときのこと、とても好い天気で満開の桜が青空に映える、そこに風邪がサッと吹いて枝も少しは揺れたのだろう、どの木の花も一斉にはらはらひらひらと流れ落ちて、本当に花びらが滝のようだった。
今まであれほど美しく、たっぷりな花吹雪を見たことが無い。

あれいらいいつだってあの様をもう一度観たいと思って桜の場所に行くのだけれど、観られない。
ハードルを高くしているのは間違いないけれど、それよりも今年のような酷い天気でこれほどの桜を台無しにされると、持って行きようのない怒りが澱になって、いつかおくびになって飛び出すんじゃないかと心配する。

おくびになった何が飛び出すか、それは現代を生きる知性を否定するようなものに決まっているから、さすがに自分を恥じるので書かない。


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ついうっかり墨堤を見ていたので、信号待ちして停まっている電車に向かってり特急ょうもう号が走ってきたところを見逃した。

そのちょっと前まで、こんな風に橋を眺めていたのに間の抜けたはなしであって、まったくいつものことである。


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そうして走り出して、浅草駅では後ろの二両がドアが開かないという放送があったけれど、へへん、オレは先頭車だから大丈夫だね、なんと思いながらスペーシアと出会えて嬉しいので写真を撮るのはおやくそく。
この色が一番好いようである。


そうして地下鉄銀座線に乗り換えて上野広小路駅で降りた。

このあと人と会うので新橋に行くのだからそのまま乗っていればいいものを、わざわざ降りたのは、あんまり寒いのでアウトドアパーカーを買って着るためで、広小路には手頃なお店が二つある。

それで丸めても嵩張らないパーカーを買ったのだけれど、それでは充分な暖かさが確保できなくて、やっぱり寒い思いをしたのだが、それもこれもみんな季節外れの寒気のせいなのである。


まあ、いいです。


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曇り空で残念の3乗な向島百花園。
ここは大名庭園ではない、ワタシのような下々にとってはホッとする、目や心に優しい公園だ。

花も好いけれど、鳥が来る。
もちろん街に棲む鳥ばかりだけれど、なかなか好いものだ。


シジュウカラ。

連中、垂直の枝に停まるのがへっちゃらだからねえ。
忙しない忙しない。



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ずいぶん久しぶりに、オナガをゆっくりと見ることができた。

オナガと言うのは、啼きさえしなければ、鳥の世界の小結くらいには間違いなくなれるだろう。なにしろ上品な容姿である。それに、飛びようが美しい。
同じような大きさのムクドリやヒヨドリ、あるいはキジバトなんぞと較べて、音を立てずに柔らかに飛ぶ姿は格の違いを感じる。長い尾も好もしい。

が、啼く。
ものすごくうるさい。

鳴き声は下品だ。
下品上生くらいとしとこうか。
ワタシという人間は下品中生くらい。政治家よりは間違いなくマシだからね。
してみると、ワタシより、あのうるさいオナガの方が立派なのだろう。


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これは雨中の花祭り、増上寺のヒヨドリ。
サクラの花びらをおなかに貼り付けていた。粋なヒヨドリもあったもんだ。


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つくづく、もっと好いカメラがほしくなった。

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八角と幣辛夷

八角と幣辛夷、と文字でみればなんだか相撲の気配がある。

友人が大相撲五月場所の入場券をインターネットで買おうとしたらなかなか繋がらず、ようよう繋がって一枚確保でき、他の日も、と思ったらまた繋がらず、再び繋がったら完売だったそうな。

インターネットの利用によってたいへん便利な生活を享受してはいるけれど、そのかわり、足を運んで汗を流して初めて得ることができたものが、そうしたある種の無駄を厭わなかった者だけが得られたほんのちょっとした果実を、今は横取りされてしまう。
仕方のないことだけれど、ときどきは

フ ザ ケ ン ジ ャ ネ ー ヨ

と叫びたくなるね。

うん、本文とは関係ない話だった。


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鎌倉の浄光明寺と言う、知ってみれば立派な由緒のあるお寺に参詣したら、ちょうど八角の盛りだった。
八角と言えば東坡肉で、たぶん店によっては麻婆豆腐でも使っている。

しかし、その花がこんなだとは知らなかった。

トウシキミ(唐樒)というのがこの樹木の名前だそうで、あのシキミの近縁種だろそうである。

シキミは香りの強い葉なので葬儀に使われるのだろう。
元来宗派に関わらず供えられた、と書いてある。

ふうん。
エンガチョしないで良かった。


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シデコブシの花。
幤辛夷と書くけれど、本当は紙垂辛夷または四手辛夷らしい。
日本国憲法には幣原喜重郎男爵が副署している、そのシデハラと読む幣の字だから幣辛夷で正しいと思っていた。

でも、シデコブシのシデは本当は四手または紙垂で、そのシデとは、稀勢の里が腰に巻いている横綱からぶる下がっている折った白い紙、出雲大社や氷川神社の注連縄にぶる下がっている白い折った紙、神主の吉田さんがワタシドモの頭に向かって振ってくれる祓櫛にいっぱいぶる下がっている折った白い紙のことなのだそうだ。

んでは幣原の幣は何かと言えば、その紙垂を挟んだ木や竹の棒の、その状態を指すらしい。御幣に四手を挟むから幣がシデとも読まれるようになったのだろうが、たしかに音訓としてはヘイとかぬさの方が目にする耳にすることが多いかな。

しかし。
紙幣、と言い、貨幣、と言う。
どう考えても幣が紙そのものの何事かを表しているのではなかろうか。

あーー、なーるほど。
幣の字はもとは貢物やお金そのものを意味し、字源は布なのだな。
租庸調雑徭の調であったのか。
つまり、調布市だね。

してみると、シデコブシは調布市の花であっても苦しゅうない、ということになるが、調布市の花は百日紅と書いてある。

うむ。
弘法も筆の誤り。
猿も木から落ちる。
河童の川流れ。
脳抜のギャグは百回全部すべる、という駄洒落か。

まあ、いいです。

ともかく、要するにそういう四手に似たりというのがシデコブシの花弁と言うわけなのだった。


そういうわけで、たいへんよく似た花なのであった。

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