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浮世離れの世迷言
主語はいつだって ワ タ シ です。

笹谷加奈子の人生

この日記が11月19日以来ということで、自身、驚いている。


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金曜日はちょっとだけ間が開いてしまったごく親しい友人との集まりだった。
気が付けば、一番若いくせに一番早く逝ってしまったいま一人の友を偲ぶのに相応しい日取りになったけれど、うち一人はこないだの手術が成功してまたお酒が飲めるようになり、もう一人は先の見えなかったリハビリの成果が、杖無しでスッと歩けるようになり目に見える成果が現れて、じつに愉快であった。
おかげで、ワタシも冷たいのの後に二合ばかり熱いのをいただき、これはさっきの二人には内緒にしてくれと頼んでいるので一人で冷や冷やしてこっちを眺めている友人の非難めいた視線を感じつつも、久し振りのほろ酔いに、たいそう好い気分で過ごした。

怒りの種は多々あるが、友人たちの笑顔が見られれば、少しは救われる。

滑舌の悪いクソ野郎や声柄の悪いクソ野郎や目付きの悪いクソ野郎が幅を利かすのには辟易するけれど、まあ、昨日から今日にかけてのところは悪態は引っ込めておく。


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そうそう、面白かったのは、この寄合は健康状態の都合で、いつも同じ店を梯子する。
そうして帰りはタクシーを呼んでもらい、一人の家に行き、それで残る三人はすぐ゛先の駅から電車で帰るのだけれど、前回来てくれたタクシーの運転手さんが、こないだと同じ行き先ですね、と言うので驚いたけれど、二か月以前に乗ったワタシどものことを憶えていてくれた。

ほぉ、それはそれは、また偶然があったらよろしく、なんて言ったのだけれど、四カ月後の今日、タクシーを呼んでもらったら、何と言うことでしょう、またその人だった。
あちらももしかしたらと思ったと言うが、こっちももしかしたらと思った。

ワタシどもを乗せても良いことなど一つもないけれど、ずいぶん喜んでもらえたのも、乗ったこちらとしては気持ちが良い。



Yahoo! の運勢だと金運が最低の一日だったけれど、金運以外は好い日だった。
そういうささやかな喜びの日が一日くらいあっても罰は当たらないと思うのである。

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裏技街路


この日記が11月17日以来ということで、自身、驚いている。


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毎月一度、浦和駅東口のパルコ前広場で、ウラワザストリートという歌の会がある。ストリートミュージシャンと言うのか、シンガーソングライターと言うのか、プロの人もいれば趣味の人もいて、その趣味の人の中にワタシのともだちがいて、ときどき歌う。

浦和という街がストリートミュージシャンに冷たいのか、ストリートミュージシャンの質が問題なのか、それは判らないが、川口駅のペデストリアンデッキで仕事帰りに聞こえるミュージシャンの周りに立つ人の数よりもご見物が少ないのが残念だけれど、義理ある仲なので、できるだけ聴きに行って枯れ木も山の賑わいになってご機嫌をうかがうことにしている。



このともだちは中学校の3年生の二学期と三学期の高校受験に躍起となるべき日々に、毎朝学校に早出して教室で平凡と明星の歌本をアカペラで歌いまくった仲で、もちろんワタシども二人だけでなく、あと数人そういう世間知らずがいたのだけれど、二人は歌が上手く、のこりは普通の中学生で、ワタシともう一人がジャイアンであった。
その二人の上手い男の一人が今日も歌い、いま一人がそれを聴き、ワタシはただのカメラマンに過ぎない。


ワタシも、世間で思われているほど馬鹿ではないのでほとんど人前で歌うことは無いのだが、歌と言うものは場合によったら上手くなるらしく、私ともう一人のジャイアンだった男は驚きの上達ぶりであるのだが、歌が上手くなったから万事うまくいくと言うわけではないらしく、猿自浄でワタシどもの寄合に顔を出さないことが増えたので、今日も来なかった。
家庭というものはたいへんなものだなあと、ワタシのように歌は相変わらず上手くならないのに家庭が崩壊した人間は、そういう辺りを傍から視て己の境涯をかえって喜んでいたりする。
代助のようなものかもしれないが、そう言っては漱石にはなはだ失礼である。


夕景、歌ったともだちがたいへん共感を覚えている別の歌い手さんを含めた、渇いた喉を湿らそうという会にほんの三十分ばかり尻を預けてヒューガルデンの一杯だけで我慢して、それで上野に向かった。
寒いけれど、ビールは美味しい。
ホットビールならもっとよかった。
ワインでもウィスキィでも、なんでも温かいものが好きになった。
若い者に足下を視られるに決まっているが、仕方ない。なにしろ、おっさんだからね。





そうして、林家きく麿のCD録音落語会で新作落語を三席楽しんだ。
大笑いだった。

まくらで、10月の新宿の新作ネタおろしが滑って、一昨日の中野の新作ネタおろしも滑って、でも今日はネタおろしじゃないから大丈夫です、なんと言っていたけれど、
新宿も中野も聴いていたけれど、面白かったけどね。



明日はたいへん気が重い仕事が待っている。
実にストレスで、これのせいで先週半ばから胃が痛いのだけれど、始まれば終わる、という座右の銘を奉じて乗り越えよう。





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川の向こうの向こう

この日記が11月14日以来ということで、自身、驚いている。


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最新の知見を遍く知っておく、なんてのは無理にしても、しかし新しい情報は得ておくに越したことがないわけだが、そのための努力をどれほど積み重ねることができるかどうかが、畢竟その人の仕事に対する誠意と言うことになるのだろう。

新しい知識が常識と食い違っている、なんということがあって、手を焼いた。

誠意が無いのかも。


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手を焼いたあとで、別の用件で川を渡った。
家から視れば、川の向こうの向こうだ。


仕事の成功は人相を変える。
栴檀に南縁草の謂いで、明るい手応えを感じた。
眉間に皺を寄せてばかりではいけない。
志ん朝の旦那が心に響く。


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ごく外輪だけ知らせるだけは知らせて、その結果ごくごく軽く一献。
久し振りとて、ほんの僅かでもけっこう苦しくなったのにはガッカリする。

実によく効くサプリメントを飲んでいてもこれなのだから、やはりもう酒とは縁を切るべきか。



でも、それじゃああんまりつまらないではないですか。

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南海電車

この日記が9月15日以来ということで、自身、驚いている。

この間少しばかり面白くないことが続いたものの、投げるほどではないつもりだったけれど、さらに面白くないことが出来したので諦めて投げだしたところで、掬われた。
救われた、が本来の謂いだけれど、掬われた、と書く方が気持ちに合っている。
投げ出したんだからね。


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電子ブックは偉い。
iPad mini でも iPhone でも、どちらでも続きが読める。
これからはあれば電子ブックにしようと、身辺整理も含めてそうしようと思ったけれど、なかなかそうはできないのだけれど、やはり紙に印刷されたもののありがたみには勝てないけれど、少なくとも電車の中とか病院の待合室ではたいへん重宝する。
なにしろ時間が細切れになるので、いちいちしおりなんか持たなくとも、呼び出せば最前の続きになってくれるうえに、コンタクトレンズが見えにくくなってきたり手許眼鏡がカバンの奥に入ったりしたときに、画面の文字の大きさを拡大すればなんとなく、読める。
おまけにページ繰りが速くなるので速読しているつもりになれて、なんだか頭が良くなった気持ちがしないでもない。

もう本なんか読まないし、時間もないからもう読めない、そう思った。
もう落語なんか聴かないし、時間もないからもう聴けない、そうも思った。
もう好きな服なんか買わないし、時間もないからもう買えない、と決めた。

だけれど、救いの手はもう一本あって、さっきのは明らかな人だけれど、こっちのは見えざる手で、オレは無神論者だからそれが神様の思し召しなどとは思わないけれど、も少しなんとかしろってことかな、しなけりゃいけないんだろうな、というところまでは思いが至った。
だからそれはそうしようと思う。


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電子ブックは、ガラス面の保護シートをマットにしないでおけば Newton のような極彩色の雑誌を読むのにも優れているので嬉しいけれど、それよりは、むかし読んですっかり忘れてしまったような本を読み返すのに都合がよいようだ。
漱石の小説は書棚に並んでいるばかりで重たいし、出先で突如気が向いて文庫を買ったりしたけれど、次の外出時には忘れていたりで、そのうちまあいいやと言うことになってしまう。
そうしていたら、無料でダウンロードできるので、買うより安いじゃんと言うことに先だって気付いた。それでたくさんダウンロードして読みなおしている。

行人と言うのは、読めば読むほどオレはやっぱり馬鹿なんだな、ということを畳みかけられて、ある種のサディスティックな快感を得ることができる小説であると今回は思った。
以前はどう思ったか憶えていないけれど、ともかく、あー、もういい歳になったけれど、オレは死ぬまで間抜けなんだな、ちっとも改善されなかったな、と思う。
というよりは、頭の好い人と間抜けな輩は生まれながらに違うのだろうと言うことを痛感した。

南海電車のパーラーのウェイトレスが出てくることもすっかり忘れていたので仰天した。
記憶力が悪いと言うことは、プレートがぶつかってできる場所よりもよほど深い悲しみであるのだった。
そういう深い悲しみを、記憶力に優れる友人たちは知らない。

そう言うものだと、昨日頓悟した。

だから11月13日は解脱記念日である。

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格納庫の扉

明日から三連休だからかな、と、西新宿ジャンクションの間抜けな渋滞の中で気付いたが、そもそも三連休があると知らなかった。
それで慌ててスケジュールを観ると、おやおや今月は三連休が二度も続くのか、と思ったがこれはワタシの勘違い、お彼岸の土日が赤かったので三連休に見えた。


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最近、昼過ぎに尋常ならざる眠気に襲われる。
尋常ならざるったって、オメエの尋常とはどんなだってんだ、と言うほどの尋常であり、ただ食後に眠くなるだけのような気がしないでもないし、もしかしたらタルんでるだけかもしれない。

頭が腐っていた頃、どうしても服薬による眠気が仕事に差し支えるのでと主治医に相談したところ、無水カフェインを処方されたことがあったけれど、あまり効果を感じなかった。
今ワタシがかかっている診療科目は高血圧とアレルギー疾患と頭皮のイボだけなので、無水カフェインを処方してもらう理由が捻出できない。
問題は、あの効果を自覚できなかった無水カフェインですら欲しいと思うほど眠いのであって、たいそう仕事に差し支えている。

もしかしたらナルコレプシーではないかといろいろ調べたが、あてはまるのは「眠」という漢字だけで、眠ってしまうと眠いではグリーンランドとカラハリ砂漠くらい意味が違うなと理解した。


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先週、友人が日本航空の格納庫見学ツアーを取ってくれたので一緒させてもらった。
仕事の寄合で去年の暮れに見学したけれど、何度観ても楽しい。

飛行機の整備も、カウルがはずれているターボシェットの機械も、飛行機の離陸風景も、どれも楽しいけれど、なんといっても格納庫それ自体の凄さこそが目玉だろう。
幅195メートルだったかしら、途中柱が無い格納庫。
高さは35メートルだったか、なにしろあまりに凄い建築物で、どうして天井のトラスはたわまないのだろうと、たぶんたわみを考慮した設計になっているからだろうとしたり顔で他人にはいうことはできるけれど、あれで溶接部分の応力はどう解消されるのかが大変興味深いけれど、そういうことは間抜けなワタシには解らない。

解ったことは、キヤノンのデジタル一眼レフで写した上の画像より、使いはじめて一週間の iPhone 7 で写した下の画像の方が臨場感がある、ということで、たぶんかなりフォトショップ的補正をしてくれているんだろうなと推量したけれど、写真としての表現というよりは目視認識に近い結果を出すよう設計されているんだろうな、ということは、つまり、どういう写真に目が行くか、というところが画像処理のコンセプトなのかな、と思ったりした。

それが好いか悪いかというのは好みの問題だろうが、技量が無いワタシにはできなかったことができるというのは凄いねえ、と感心した。


それもそうなのだが、写真を写したのに1秒ほどの動画になっているのは、前屈が15cmできたくらいの驚きで、もちろんワタシは前屈はマイナスなのである。

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