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浮世離れの世迷言
主語はいつだって ワ タ シ です。

雨の憂鬱

まただいぶ間が空いたのは10年くらい前と同じような状態になりかけていたからで、どこまで突き進むのかちょっと不安に思っている。

まあ、なってしまったものは仕方ないのだから、一病息災でも三病息災でも同じようなもんだ。その点ははっきりしてるし覚悟もあるが、因果がはっきりしているものの因をにわかには取り除けないのが残念である。



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どうせ取り除けないなら因より淫が望むところだけれど、残念ながら淫はとっくに取り除かれているのがますますガッカリで、つまんない人生だ。

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安土の城跡

ワタシは自他ともに認める運転下手で、だいたい中長距離を運転するとすぐ眠くなるのだが、ふとしたはずみで近江は安土まで足を延ばすことになった。
青天の霹靂だが、実際は曇天の突風だった。


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安土城跡は曽遊の地で、なにしろ高校の修学旅行で見物した記憶がある。
見学と書くべきだろうが、ワタシはいったい戦国時代には興味が無く、幕末にも興味はなく、鎌倉時代にも興味はなく、だから見物というほどの訪問だったはずだ。

あの当時、ワタシの記憶にある安土城跡は、たぶん秋だったはずだけれど、全体が茶色で土埃っぽくて、脇を東海道線の111系だか113系だかの電車が走っているのがよく見えて、なんだかとりとめのない場所としか思えなかった。
こんなところに本当に城なんかあったのかしら、楽市楽座なんて嘘でしょ、って思ったのだから日本史の史跡見学としては失敗だったろう。

テレビでしきりに安土城の絢爛たる姿を視たものだから、ついそれがCGなのか現実なのか判らなくなっていたので、現地に着くまでは復元された天守があるものだと思っていた。
もちろん無かったけれどガッカリはしなかった。

ガッカリはしなかったけれど、昔は登ることができなかった天守跡まで登ったので汗でビッショリ、脚はグッタリした。


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盛夏だからまだ茶色い世界ではないのは当然だけれど、周りの田んぼの風景はさておき、山自体もこんなに緑が濃かったかしらと驚いたし、なにより見下ろすとこれほど人が住んでいる場所だったかと更に驚いた。

そのことを以て考えるに、ワタシがこうして書くことごとのうち、数日以前のことはまずたいてい本当であろうけれど、数か月以前のことに言及するときや、いわんや数十年以前のことなどはほとんど嘘八百に違いない。
頭が悪いから仕方ないけれど、生来の嘘つきなのであろうと、この期に及んでようやく理解した。


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それにしても、秀吉邸跡とか利家邸跡とか信忠邸跡とか、どれも当たり前だけれど大手道たる山道に沿って示されていて、いやいや、これ毎日登るの嫌でしょう、って、そんなことは言えなかったろうが、たいへんだなあと思った。

でも、天守のあった頂上の平に立って見下ろすと、西の湖という琵琶湖残存湖の周りの町家など好もしい景色で、そんな家々があったかどうか知らないけれど、結構な景色の中で家臣団を含めて暮らしたのだと言うことは解った。


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帰りの道で、大中と書いてダイナカと読む交叉点が気になったので後で調べたら、どうやら干拓地らしい。ということはその先だか脇だかに東の湖があってもおかしくは無かろうと思うが、それは判らない。
判らないけれど、この辺りが琵琶湖の入り江であったろうことは想像できた。そういえば米原駅の脇の干拓地を観たことも憶えている。
そのまま懐かしい湖岸道路に入ると橋や沼地の気配があって、湖が人間に敗ける前の昔を思った。

安土や佐和山や彦根の城から見た湖岸はどんなだったのだろう。
もっと広々と開けていたのだろうか。
葦原が広がっていたのだろうか。
田畑はどこまで来ていたのだろうか。
人の往来はどんなだったのだろう。

そんなことを想像しながら一宮の渋滞に向かって走った。
想像しても何も思い浮かばないまま渋滞を通り抜けた。

遠い場所にいてもワタシの間抜けな日常は同じことだった。

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さきごろ、ある場所で、係員の前で住所を書類に記入した。

と、その係員が、
 川口からいらっしゃったのですか!
と、さも感に堪えたような声で言うので、ワタシが、
 おや、何か縁がありましたか?
と返したところ、
 ええ、仲の好い友達が川口から来てまして、外国人が多いんですって?
と言われたので、
 よく御存知で、駅に行くと半分は外国語ですよ、
と期待に応えようと二割弱くらい盛って答えたら、
 犯罪都市なんですって?
と回転シュートをど真ん中に蹴られたので、もう嬉しくなって、
 おやおや、これはお詳しい、いつでも隣の足立区には負けないように頑張ってるんですよ、
とパンチングで返したら、たいへんウケた。

その人の友人に心から感謝して辞した。


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その帰り際、
 もう川口にお帰りですか?
と言われたので、ここでゴールマウスを外しては先のネイマールみたいになっちゃうと思ったから、
 ええ、犯罪がワタシを待ってますから、
とダメ押ししたら、さらにウケた。

ムバッペの豪快なシュート並みだな。

通報されないで良かった。

川口バンザイ。


まあ、いいです。

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大阪に向かって新幹線が名古屋駅を出発すると、じきに右手に目を惹きつけられる車窓がある。

ナ鉄の西枇杷島だ。

ナ鉄と言うのはもちろん名古屋鉄道のことで、普通は名鉄と縮めてメイテツと読ませるが、そういう所業が通じるのであれば、近鉄だってチカテツと読まないと、壁一枚で通じている関係である名鉄名古屋駅と近鉄名古屋駅で抗争が勃発しやしないかと心配するのあまり、ナ鉄と呼んでみるのであった。

西枇杷島駅は手前どもの方では有名な三角線の一部で、三角線と言えばJR九州の三角線と誰でも思うだろうがそれはミスミ線、アタクシどもの方ではサンカク線で、デルタ線と言うハイカラな呼称もある。

品川駅から山手貨物線で大崎駅に、大崎駅からスイッチバックして大崎支線で蛇窪信号場に、蛇窪信号場からスイッチバックして品鶴線で品川駅に戻ってみると、列車の先頭の向きが変わっている手品のような線路があることは、日本人の八割が知っている。

大阪駅の脇にもそう言うのがあって、宮原から塚本に行って折り返し、尼崎まで進んでまた折り返して宮原に戻ると、あら不思議、頭の向きが変わっている、という線路があることは、日本人の三割ていどが知っているはずだ。

他の街にもこういう線路があるけれど、上の二つだけが別格で偉いのはそこを昔の特別急行つばめとはとが走って毎日向きを変えていたからであって、そう言う必要が無い列車ばかりになった今は、ただの三角形の線路であるというだけで、世間で言うほど嬉しいことではない。

それでも、たとえば大宮(ほとんど北浦和だけれど)から西浦和から南浦和にある三角線をぐるぐる走る電車があれば、ワタシは乗る。
世間とはそういうものだろう。


東海道線の東と西にそういう立派な三角線があるのは当然だが、何でもそうだが、あっちとこっちにあるのだから名古屋にも、というわけで、三角線がやっぱりある。
それがナ鉄の西枇杷島の三角線だ。
他にもあるだろうが、調べるほどでもない。


名鉄名古屋駅の一つ岐阜寄りの栄生駅を出た列車はじきに東海道本線・新幹線と分かれて右方面にカーブする。するとそこが東枇杷島駅で、その先で左に頭を振って庄内川を鉄橋で渡る。
鉄橋の終わりで線路が左右にY字に分かれるその右が犬山線で左が本線岐阜方面。
複線同士が分かれるので、本線の名古屋方面と犬山線の犬山方面が平面交差している。
これはたいへんだろうと素人目にも解った。


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Wikipediaから


そうしてまた左に曲がって先頭が向きを変えると駅に着く。これが西枇杷島駅で、その直前に、本線から見ると右の脇から迫ってくる線路があって、と言うことは本線の岐阜の方から来れば名古屋に向かって左に逸れていく線路があって、それがつまり三角線のもう一辺だ。
でもこれはあまり使われていないようで、ネットで読むと、留置線として使われているとある。でも、ということは、西枇杷島駅か、あるいは犬山線の下小田井駅でスイッチバックするなりして進入するのだろうと理解している。


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Wikipediaから


さて。
この立派な三角線そのものもたいしたものだけれど、それはそれとして、ワタシがこの駅に心を奪われ続けたのは、新幹線から観たその瞬間の絵面だ。
なにしろほとんど新幹線に直交しているように見える線路配置のうえ、その西枇杷島駅のホームは2面4線、それもまるで半月が向かい合っているように見えるからだ。


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Wikipediaより

こうしてみると半月と言うよりは、剃ったところに眉墨で描いた眉って感じたけど、新幹線から見るとより円く見えた。
だから、まるで満月の真ん中と両脇を線路が通っているように感じたのも仕方ない。

じつに細いホームだなあ。
今度は下車してホームを踏みしめよう。




いつかは駅前も歩いてみよう。
そういう誘惑が溢れる駅なのは間違いない。

たぶん。



まあ、いいです。

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造影剤が体内に注入されると内側から火照るようだ。
年末は上の方だけだったので造影剤の量が少なかったのだろうか、股間が熱くなって驚きはしたが、胃がムカムカしたりということは無かったのだが、今回は撮影範囲が広かったので量が増えたのだろう、もちろん股間は熱くなったけれど、それよりも胃がむかむかして何も入っていないのにあげそうになるし、喉が詰まる感じでたいそう気持ち悪かった。


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なにしろ午後遅い撮影と言うのは剣呑で、朝ごはんのあとに何も食べられない。
水は飲むけれど、久し振りに目が回るほどの空腹感で泣きたくはならなかったけれど、切なかった。
こんなにお腹がすくんだから、ちゃんと機能してるんだから、もういいんじゃない?
って思うけれど、まあ、世間には世間の事情があるから仕方ない。

案外サササッと終わって、もうご飯食べられますから、水をたっぷり飲んで食べてくださいね、って言われたときは心底嬉しかった。
そんなときに、

オヒルゴハンニコメハタベナイデパンヲタベマス、

なんて痴れっと言えるのは東大出の大臣くらいのもんだろうよ。


それで丑の日にちなんで鰻を食べればいいのだろうが、鰻はこないだ食べたばかりなのでそんな贅沢はできない。松屋の山形だし牛丼にした。

やっぱり歳不相応に情けない人生である。まちがいない。

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