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浮世離れの世迷言
主語はいつだって ワ タ シ です。

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呆れけえった

がっかりしたこと。

熊本市議会の議員がのど飴をなめながら発言したことに対する懲罰動議のこと。

全会一致、でしたか
へえぇ。


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まあ、いいです、なわけがない。

呆れけえったわ。

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秋のバラ

秋のバラを観た帰り、駅からバスに乗ってまもなく後ろから救急車のサイレンが聞こえた。
バスの運転手と言うのはさすがにプロで、駅に続く、交叉点ごとに信号のある混む通りの、ほどよき場所で路肩にバスを寄せ救急車を行かせた。こちらの車線も対向車線も交差する道から折れてくる車も、いずれも障害とならないところで救急車を遮るものがなくアッと言う間にサイレンの音が遠ざかり、明るい昼間のざわめきが残った。

そうしてわずか三つ目の停留所でワタシは降りると、ワタシの住むマンションの玄関に件の救急車が停まっていたのでたいへん仰天した。サイレンの音が遠く消え去ったなどと迂闊なことを言っている場合じゃない、うちの前に停まってサイレンを止めたから音が聞こえないだけじゃないか。

こういう時ワタシはたいてい悪く考える。
このたびもそれで、ワタシの母に何かあって救急車を呼んだのに違いない、よくもまあ自分で電話する気力があったものだ、と感心もし、不安な気持ちになったのだけれど、ちょうどエレベーターに救急士の人たちが乗り込んだところだったが、なんとそのご当人の母が一緒にエレベーターに乗るところだった。
はて、これは面妖な、まさかお隣さんが倒れて母が救急車を呼んだのか?
それにしてはなぜ今玄関ホールにいるのか?

母がワタシを見つけて、あんたも一緒に乗ったらどう、と言う。
そんなことができるものかと思い、救急士に次で行きますから上がってくださいと言った。
母をよく視ると、買い物袋をぶる提げている。
なんだ。買い物帰りだったのか。驚かせやがる。

やっぱり乗らずに待っている下の階のずっと先輩な人が、いやあオレが役員のとき孤独死があってたいへんな目に遭ってさ、って話しかけてきた。
つまり、この建物の中ですよね。
そうそう、警察もやたらとドアを開けてはいけないんで困ったんだよね、と言う。
エレベーターの中でもその話が続いたけれど、ああ、オレは間違いなく孤独死だな、と、それはもう、今の病気ですぐに死なない限りそうなることは決まっているので、仕方ないなと思った。

まあ、いいです。


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この連休は閉じ籠もろうとしていたのだけれど、久し振りに夜中にトイレに行かないで済んだのだけれどやっぱり寝が足りず、布団から這い出したのは曇っていたはずの朝がすっかり明るくなってしまってからのことだった。
さあそうなると欲が出る。
なにしろカメラをひと月半もカメラバッグから出していない。カメラに悪いばかりでなく、ワタシだって写真くらい撮りたい。

それで、あれこれ始末してから旧古河庭園に出掛けた。そろそろ秋のバラの季節だろう。


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門に、秋のバラフェスティバル 10月6日から、と書いた看板があった。
太陽時計と言うのが人体には備わっているらしいが、ワタシはついでにバラカレンダーが頭に入っているのかもしれない。

空いているし、年間入場券も持っているので並ばずに済んで入ったら、法被を着たお兄さんがただいま三曲目の演奏中ですと言うので、あら、今日は音楽会だったのかと気付いた。春秋にこうしてカルテットの会を催している。

ワタシはジブリの映画はほとんど知らないので、ジブリ映画の主題歌と言われてもピンとこなかったけれど、最後の曲がレスピーギのリュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲のイタリアーナとシチリアーナだったので、いかにもオレはレスピーギが好きだぜ風に知ったかぶりをして聴いた。

ワタシはレスピーギと言う名前を聞くとカラスが思い浮かぶのだけれど、その理由は全く解らない。
カササギとかマグパイとか、レスピーギとカササギは最終音がギで似ているし、シチリアーナってなんだかお菓子みたいだからマグパイもなんだかお菓子みたいでもあるし、それで思い浮かぶのだろうか。
たとえそうだったとしても、いくら同じ科でも、カササギにしてみればカラスみたいな黒一色の野暮な野郎と一緒にするなんて法はねえやな、おとつい来やがれ、くらい言いそうだ。
人生とは不思議なものであることよ。


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アンコールまで楽しんで、それで花壇に回ったけれど、まだまだこれからだ。
だいたい秋のバラってのは花の勢いが弱い。
まだ咲き始めだからますますひ弱だ。
それに、どういうものか秋の花は虫が食ってるようなところがある。

とはいえ、今度の週末、いやその次くらいかしら、盛は。
もう一度は観に行こう。


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まだ紅葉には早い。
でも、崖下の日本庭園のわきの道を歩くとしきりにぱちぱちカツカツ音がする。
どんぐりが、たぶんマテバシイとかコナラとか、そういう細いのがいっぱい落ちてきて、まるで大粒の雨が降ってきたようであった。

紅葉には早いが、やっぱり秋なのだった。

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浦和の図書館

久し振りに浦和に行ったら、県立図書館が無くなっていて、しかも整地されてしまっていたことにたいへいたいへん驚いた。
ワタシどもの子供の頃は、まだ浦和市立の図書館と言うものがあったかなかったか定かでないほど記憶に薄く、図書館と言えば県立図書館と学校の図書室くらいしか知らなかった。

それが、さいたま市立図書館が充実したので、この際閉館する、などと書いてあって、そうそう、たしか高校生の頃だった、北浦和に浦和市立図書館ができて早速行ったら、図書館というより図書と触れ合う空間という、今思えばたいへんソフィスティケイトされた立派な施設だったと思うけれど、当時は何だか当てが外れたような思いがしたことまで思い出して、そうか、政令指定都市になるってのはそういうことなのかな、などとちょっとベクターがずれた感想まで抱いた。


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今のさいたま市の中央図書館はなるほど立派な蔵書の選定基準で、ははあさすがだな、と、ふだん川口市立図書館のお世話になっているワタシは思うのだけれど、こと図書館のアメニティと言う点では、川口の中央図書館が、本の探し易さと言い本の背中の見易さといい本の読み易さといい館内の明るさと言い開放感と言い動線の爽快さと言い、あの設計に判を捺した権限者に心から頭が下がる思いで、つまりそのくらいさいたま市中央図書館を凌駕していると思うのだけれど、まあそれは措いて。

ワタシが県立図書館に通ったのは小学校の3456年と予備校時代で、その後は浦和から転出したこともあるし、そもそも本なんか嫌いだから図書館なんてあんまり行かなくなったし、そういえば大学の図書館も指を折ることができるくらいしか入ったことが無いし、だからまったく室内の様子を思い出せないのだけれど、県立図書館は今でもまぶたの裏に残像が浮かび上がっていると勘違いするほどに憶えている。
そればかりじゃない、とりわけ子供の頃、児童図書室のドアを開けて入ったすぐ右手のカウンターの向こうにいた司書の小母さん、もちろん小学生が視てそう思ったのだけれども、その小母さんの顔すら思い浮かべることができるような、そんな感じなのだ。


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たいていは門を入って自転車を停めてドアを開けたようだけれど、ときどきは歩いて行き埼玉会館の2階に相当するテラスから図書館に渡り外の階段を下りてドアを開けたようでもある。

大きくなってからは当たり前に2階の玄関から入館し、カードを探して、あるいはテーブルを確保して、とか、まあそんなありきたりの記憶が多くなって、わざわざ図書館で待ち合わせて一緒に勉強した別の学校の女の子と記憶とか、もともとそんなことがあるはずがない妄想なのでもちろん記憶なんか無いわけで、予備校をさぼって図書館に潜り込んでも、結局は面白そうな地図とか図版とかそんなものばかり眺めて時間を潰していたような、情けない受験生の記憶しか浮かばない。

もうその時点で已に人生が闇ですね。


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つまるところ、勉強するのが大嫌いだったからその結果は情けないものだったわけだし、いま友人たちと話をしていると相手の言うことがよく解らずに困ることが多いのだけれど、それは五分の一くらいは学生時代に身に着いてしまった関東東部方言と、彼らも含めてワタシどもが本来は日常的にあやつっている関東西部方言の意思疎通の難しさなのかもしれないが、ともかく漢字の音訓の読み間違いも含めて日本語があるていど読めるのは、たぶんこのころに図書館に足繁く通ったおかげだろうと思わないでもない。

そう考えると、野卑そのもののワタシを涵養した場であったのかもしれないが、ただいまテレビに登場されている本庶先生や山中先生のような人たちが涵養と言う言葉を遣うと、含蓄のある、しかも字義に適った使い方と思えるけれど、オレなどがそう遣えばたちまち失笑を買うだけの話で、まあ、そうなれば無くなった図書館に迷惑が掛かろうと言うもの、思い出は自分だけのものにして、せいぜい先の台風で鉢が倒れた観葉植物の床を土寄せしてやろう。

思い出よりも、また来るらしい台風への備えが肝要ということなんだろう。


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雨の憂鬱

まただいぶ間が空いたのは10年くらい前と同じような状態になりかけていたからで、どこまで突き進むのかちょっと不安に思っている。

まあ、なってしまったものは仕方ないのだから、一病息災でも三病息災でも同じようなもんだ。その点ははっきりしてるし覚悟もあるが、因果がはっきりしているものの因をにわかには取り除けないのが残念である。



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どうせ取り除けないなら因より淫が望むところだけれど、残念ながら淫はとっくに取り除かれているのがますますガッカリで、つまんない人生だ。

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安土の城跡

ワタシは自他ともに認める運転下手で、だいたい中長距離を運転するとすぐ眠くなるのだが、ふとしたはずみで近江は安土まで足を延ばすことになった。
青天の霹靂だが、実際は曇天の突風だった。


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安土城跡は曽遊の地で、なにしろ高校の修学旅行で見物した記憶がある。
見学と書くべきだろうが、ワタシはいったい戦国時代には興味が無く、幕末にも興味はなく、鎌倉時代にも興味はなく、だから見物というほどの訪問だったはずだ。

あの当時、ワタシの記憶にある安土城跡は、たぶん秋だったはずだけれど、全体が茶色で土埃っぽくて、脇を東海道線の111系だか113系だかの電車が走っているのがよく見えて、なんだかとりとめのない場所としか思えなかった。
こんなところに本当に城なんかあったのかしら、楽市楽座なんて嘘でしょ、って思ったのだから日本史の史跡見学としては失敗だったろう。

テレビでしきりに安土城の絢爛たる姿を視たものだから、ついそれがCGなのか現実なのか判らなくなっていたので、現地に着くまでは復元された天守があるものだと思っていた。
もちろん無かったけれどガッカリはしなかった。

ガッカリはしなかったけれど、昔は登ることができなかった天守跡まで登ったので汗でビッショリ、脚はグッタリした。


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盛夏だからまだ茶色い世界ではないのは当然だけれど、周りの田んぼの風景はさておき、山自体もこんなに緑が濃かったかしらと驚いたし、なにより見下ろすとこれほど人が住んでいる場所だったかと更に驚いた。

そのことを以て考えるに、ワタシがこうして書くことごとのうち、数日以前のことはまずたいてい本当であろうけれど、数か月以前のことに言及するときや、いわんや数十年以前のことなどはほとんど嘘八百に違いない。
頭が悪いから仕方ないけれど、生来の嘘つきなのであろうと、この期に及んでようやく理解した。


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それにしても、秀吉邸跡とか利家邸跡とか信忠邸跡とか、どれも当たり前だけれど大手道たる山道に沿って示されていて、いやいや、これ毎日登るの嫌でしょう、って、そんなことは言えなかったろうが、たいへんだなあと思った。

でも、天守のあった頂上の平に立って見下ろすと、西の湖という琵琶湖残存湖の周りの町家など好もしい景色で、そんな家々があったかどうか知らないけれど、結構な景色の中で家臣団を含めて暮らしたのだと言うことは解った。


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帰りの道で、大中と書いてダイナカと読む交叉点が気になったので後で調べたら、どうやら干拓地らしい。ということはその先だか脇だかに東の湖があってもおかしくは無かろうと思うが、それは判らない。
判らないけれど、この辺りが琵琶湖の入り江であったろうことは想像できた。そういえば米原駅の脇の干拓地を観たことも憶えている。
そのまま懐かしい湖岸道路に入ると橋や沼地の気配があって、湖が人間に敗ける前の昔を思った。

安土や佐和山や彦根の城から見た湖岸はどんなだったのだろう。
もっと広々と開けていたのだろうか。
葦原が広がっていたのだろうか。
田畑はどこまで来ていたのだろうか。
人の往来はどんなだったのだろう。

そんなことを想像しながら一宮の渋滞に向かって走った。
想像しても何も思い浮かばないまま渋滞を通り抜けた。

遠い場所にいてもワタシの間抜けな日常は同じことだった。

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