NOPUの部屋

止まってばかりじゃいけないと思い始めています。小さい一歩ですが・・・!

父さんの花見

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父さんの花見を最後まで読んでくださりありがとうございました。

父は、お話にも出てきましたように、小学校もろくに出ておりません。
でも、今の時代では、考えられない事でしょうが、仕事では
一人の頭となって、成功したと思います。

私達兄弟姉妹は、何不自由なく育ててもらいました。
大きな戦争が終わって直ぐの頃でしたが
決して贅沢な暮らしではなかったけれど、普通に、生活出来たのでした。

そんな父は、凄く賞状にこだわっておりました。
そうなんです。
大人になっても、1枚の賞状ももらったことが無かったのです。
そうでしょう・・・小学校の卒業証書さえ無いのですから。
戴くのは、何時でも感謝状だけでした。
一杯感謝状は戴きましたが、これは、寄付したから戴いたもので、
本当の賞状がほしいと私に何時も云っておりました。
父さんの中では感謝状は寄付の領収証ぐらいにしか
思っていなかったみたいです。

でも、戴けたのです、亡くなる、何年か前、初めての賞状を・・・!

それは、長年の仕事を(お話では、大工と言っておりましたが、
本当は、土木業でした。)評価してくれたのだと思いますが
黄綬褒章という大きな、大きな賞でした。
天皇陛下から、直に戴いた褒章は、誰にも負けない御褒美、賞状でした。
それまでの苦労が実った時でした。
日頃から、自慢をすることの無かった父でしたが
来る人来る人に見せびらかしておりました。
生涯で、たった一つの賞状を手にして、父も本当に嬉しかったと思います。

その時は、私も、東京に居りましたので、付き添いとして皇居に
入ることを許され、いい思い出になっています。

お話を書いた時、UPした時には、そんな気持は、無かったのですが、
父が亡くなって35年程になりますし、
父を思い出す意味もあって、このお話を書き始めました。
草葉の陰で喜こんでくれますように、生涯たった1枚の賞状を戴いた事を
皆さんにお知らせ致す事にしました。

父さん、よく頑張りましたね!
あの花見の時に誓ったえらい人に父さんはなれましたね。
父さんは、舞ちゃん同様、私の自慢の父さんです!

きっと皆さんにもご自分だけの心に秘めたお父さんが
自慢の自慢のお父さんが居られることと思います・・・!

父は、私が、何の親孝行もしないうちに亡くなりました。
今の私に出来る唯一の親孝行と思い、感謝を込めて、このお話を贈ります!

  
 最終回
 父さんは、今でも出稼ぎ時代の癖が直らず、3時間寝ると
目が覚めてしまうそうです。
ですから、誰よりも早く起きて、まずは仕事の現場を
自転車に乗って見に行きます。
そしてその日の仕事の段取りを取るのです。
そして帰って来ると、釜戸に火を入れ、美味しいご飯を炊くのです。
どうして、父さんが美味しいご飯を炊いたり、上手におにぎりが
握れるのか、不思議だった舞ちゃんでしたが、
こんな悲しいわけが有るとは、知りませんでした!

舞ちゃんは、優しくて力持ちの父さんが、大好きです。
あの父さんの嫌いだった、おじさんは、農業の仕事の合間には、
父さんの下で、働いています。何事も無かったように・・・!
でも父さんは「このおじさんの一言で頑張ろうと思ったんだよ。
だから、おじさんには、感謝しているし、いろんな人のお世話になって
今までやってこれたんだよ!」と、舞ちゃんにそっと教えてくれました!
ですから、舞ちゃんは、黙って記念写真に入れてくれた、
えらい裁判所のおじさんや、北海道でやさしくしてくれた大人の人たち、
父さんに頑張る力をくれた方々に心から感謝するのでした。
そして、今までよりもっともっと父さんが大好きになるのでした!

 ※ 最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!
   絵を描いてないので、チョッと物足りない気がします。
   いずれ描ける時もあると思います。
   
   徳ちゃんもきっと喜んでくれている居る事と思います!
   
                             

父さんの花見  12

12
大人になった、父さんは、こんな優しさも見せてくれました。

毎年雪が降る前に、東京の知り合いの方に、りんごを沢山送ります。
その方は、戦時中、疎開してきた時に知り合った方でした。
その方は大きなゴム会社の社長さんでした。
「戴いたりんごのお礼に何を送りましょうか?」といわれた時、父さんは、
「子供用の長靴をいろんなサイズで沢山送ってください!」とお願いしたのでした!
そして、「長靴のない子供達にあげてください!」とその長靴を近くの小学校に
持って行きました。
それは、雪国で長靴が無い苦労がどんな物か身に沁みて知っていたからでした。

「子供達には贅沢はさせるな、だけど食べ物だけは腹一杯食べさせなさい!」と、
母さんに口癖のように言っていました。
それは、子供時代に感じたひもじさがどんなに辛い物か知っていたからでしょう。

父さんの花見  11

11
一人だけ不釣合いな子供は、舞ちゃんの父さんでした。
父さんは、今では、何人もの従業員を抱える大工の棟梁です。
花見の宴会には、家族、従業員、お世話になった方々、そして髷を結った、
きれいな着物を着た芸者さんと、ご馳走も一杯持って、
花見に行けるまでになっていました。
舞ちゃんも、おぼえています。
あの花見の時に思った立派な人に徳ちゃんは、なれたのでした。

   

 10
その後、徳ちゃんの家に、一枚の記念写真が送られてきました。
立派な額に入れられたそのお花見の記念写真には、
申し訳なさそうにうつむき加減の徳ちゃんが写っています。
後に判った事ですが、それは、裁判所の方々の花見の席でした。
ですから裁判官やら、いろいろ偉い方々の記念写真に、
丁稚奉公姿の徳ちゃんが、端っこに申し訳なさそうに立って
写っていたのでした。

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