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「雄山荘」全焼す・・・

12月26日のTVニュースで、太宰治の愛人太田静子が住んでいた
小田原市下曽我の「雄山荘」全焼を知り胸がきゅんと縮みました。

2月、下曽我梅林の梅を見に行く度に、宗我神社近くにひっそり建つ、
無住の「雄山荘」の門の隙間から、お洒落な木造の家や庭のたたずまいを拝見。
作家太宰の存在を身近に感じ、文学なかほりを楽しんでいました。

毎年のように訪れていましたが、年々荒廃が進み、
痛ましいなぁ勿体ないな、市で保存出来ないものかと思えど、
所有者に売却の意志無しのまま今回の火事に遭遇。


■関連記事追記-------------------------------




  今春 2009年2月21日撮った「雄山荘」の門です
イメージ 1


 太宰治の小説は、本の蟲だった若い頃いろいろ読んで
 青森下北半島の旅の帰りに、友人達と別れて一人
 憧れの「斜陽館」へお泊りに。
 
 予約無しでいきなり飛び込んだので、
 西日の射す4畳半でした。真夏8月まさに斜陽の部屋?!
 (当時は、記念館兼旅館として宿泊可能でした)

 その翌日、小説の舞台に憧れて、土埃のでこぼこ道をバスで十三湖へ。
 家家に風除けの細い板を立てた柵がひょろと立つ寒村でした。
※斜陽館
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%9C%E9%99%BD%E9%A4%A8




上記よりコピー

「雄山荘」(ゆうざんそう)は、神奈川県小田原市下曽我にある別荘。
 太宰治の小説「斜陽」の舞台となった。

概要
昭和初期、東京の印刷会社社長の別荘として建築され、親類のつてで太宰治の愛人であった太田静子が太平洋戦争中に疎開してきた。

「斜陽」のもととなったのが、静子が実母と暮らしたこの別荘での日々の日記である。

1947年2月太宰が来訪し6日間滞在。この間、静子が後の太田治子を身ごもる。 1951年静子が去り、1993年頃、最後の借主が去り、以来、現在まで無人である。

太宰ファンらが4000名の署名を集め小田原市に別荘の買取りと保存を要望したが、現所有者に売却の意志がなく、現在、老朽化が激しかった。

2009年12月26日早朝(JST)に全焼した。





  さても文学な乙女nora、十三湖見学の次は、秋田からご招待のあった
 俳句仲間の家へと。

 途中鯵ヶ沢駅下車、海の幸を求めて海岸をぶらぶら。
 食いシンボnoraは、とある素朴な食堂にて、
 氷の浮いた塩水できゅっと締まった
 あわびの水貝をいただきましたのであります。

 水貝を堪能したあと、鯵ヶ沢から乗った列車に、若い母が大事にしっかりと
 胸に抱いて見つめている生まれたばかりの赤ちゃんと、その祖母さまと同席。
 生粋の東北弁の会話は、まるで異国の言葉を聞くようで・・・

 noraより少し若い母の真っ当な生き様とくらべて、俳句にのめりこんで
 ヤクザな人生を歩むであろう自分の未来が思われる・・・
 そんな事をひしと感じる東北の旅ではありました。
 

 秋田では俳句仲間の家に連泊。連日句会あり、男鹿半島めぐりあり、
 沢山の秋田の俳人達、佐藤誠二さん、今は亡き手代木唖々子さん、
 論客故・野呂田稔さん、などにお逢いできて楽しい旅でした。

 夏の朝食に出た「ジュンサイのお味噌汁」は絶品で、 
 すご〜く気に入り、

 秋田では、八百屋で生のジュンサイを買うのだと。
 お料理を作ってくださったS夫人にお願いして、
 お土産に生のジュンサイを買っていただきました。

 帰りに秋田駅で瓶詰めを見つけ、またとない機会だとばかりに
 追加購入、満足でした。
 

 その後秋田へは一度も行くチャンス無し!
 されど、食いシンボnoraはしょっつる鍋、ハタハタ寿司にも嵌まってます。

 今は、秋田にブログ友2人在り、うらやましいグルメ暮らしの情報に
 よだれを垂らしてますです。
 
 

ブログは嘆きの壁か?

愚息2号、わがPCのサービスセンターがお正月に来て、
「ブログは嘆きの壁よ」と呟いてました。

うん、そうだわ!noraの日記に関してはぴったりです。
好き勝手なことを書いて、
一般的にはいはゆるグロい芋虫写真を撮ってにこにこ、
特に好きな猫はしつこくネタに。

ボケボケ写真をUP、
その日暮らしでうろちょろしているのですから・・・・・・・・・

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今日もnoraの嘆きの壁へ、ようこそm(__)m



   2009/1/16 ・17時20 分 嘆きの壁・エルサレムにて(R氏撮影)
イメージ 1
 



   2009/1/16 嘆きの壁の向かい側
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  2009/1/16 ・16時30分撮影 ・ 冬の死海・・・塩でも舐めてしゃきっとしなさいと誰かが呟いていそう・・・                 
イメージ 3
 
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俳句会の裏方仲間で、山好きな女性が集まり、たっぷりの山歩きと、
袋回し各自8句製造。充実した濃い一日でした。

予定は矢倉岳でしたが、どんより曇っていたので、
第二候補の、明神ヶ岳登山道コースの「大雄山裏山」に変更です。

セキヤノアキチョウジが満開で、
予想以上の色鮮やかな群生が数箇所あり、

「わ〜きれい〜!」「すごい!」「初めて見ました!」

の、感嘆符も満開でした。


 
   セキヤノアキチョウジ(シソ科・ヤマハッカ属)
イメージ 1



  ●袋回し句会・席題「セキヤノアキチョウジ」nora出題分

     天空の高しセキヤノアキチョウジ  kimi

     かれんなるセキヤノアキチョウジ見(まみ)ゆ  teruko

     紫は好きとセキヤノアキチョウジ  takako

     靴ぱっくり割れた日セキヤノアキチョウジ  nora




  イメージ 2

    イメージ 3



  ○その他の席題・線香のけむり、道、霊気、石、最乗寺、沢蟹、天狗の下駄
       
  ●袋回し句会作品から抄出

 
     林中のでこぼこ道や臭木の実    

     秋高し天狗の下駄を履いてみる   

     秋の山天狗の下駄の赤錆て    

     うす紅葉線香のけむり足に浴び 
                      
     山中の霊気ぴしぴし小鳥来る     

     雨後の道足をとられて草の実はね   

     吾亦紅のように四人が咲いた道 nora   

     杉林の暗に溶けたり沢蟹よ nora   




  袋回し屋noraの提案で、去年はじめて、足柄峠の山歩きの
  山頂で、袋回し句会に目覚めたお仲間たち。

  また、山歩きをたっぷり楽しんだ後、最乗寺境内の東屋で、
  「あ〜、出来ない」「空っぽ、真っ白〜!」

  などとぼやきながらも、
  4人で真剣に俳句を製造。
 
  よい仲間に恵まれ、とびきり充実した楽しい一日でした。

 
  清記、選句、
  各自特選1句への賞品授与(チョコレート一個、お煎餅一袋など)

  一通り、袋回し句会のメニューをこなし、
  最後に駅前で作品集をコピーして、各自に配られ完了です。

  
  
 

平田修の俳句

イメージ 1

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2007年5月9日は、気合の入った小田原の俳人、
平田修が50半ばで自決した一周忌でした。

絶えず自己否定を繰りかえし、早川の海岸で自分の句集を全部焼いた・・・
と話したことがありました。

生前は、彼のもっとも親しい俳句仲間として付き合いがあり、
彼の俳句のほとんどが、うちに保存されています。

虚無僧尺八の名手でもあり、よく演奏を聞きました。

ある秋の夕方、noraんちの玄関前でいきなり
「ぶぅお〜〜〜」と尺八のうなりが聞こえ
びっくり飛び出したことがあります。

小田原の「菜の花」「東泉院」などで演奏会も数回、ファンも多かったです。

足柄峠で、富士と秋空に向って吹いた尺八は
   ぼうぼうひゅーひゅー
ほれぼれする生の輝きと、嘆きに満ち満ちていました・・・
あの姿は、今でもしっかり記憶の底に焼きついています。

去年5月に、Uが年2回刊行参加の俳句誌に追悼記事を書き、
11月に刊行されました。
俳句をお読みいただければ幸いです。


「DA俳句」(俳句グループ)の1ページ割り当て分の
上段が、「DA俳句」会の紹介と俳句。
下段が、 自由な文章欄です。




2006/11月刊「俳壇抄」より転載・上段記事


DA俳句

  膝上はるかもうマチュピチュ囀るらん●マサ

  臍に干る飯粒をメッケ物と思う日
 
  雪解け水は雄物川河口にてチュチュ泣きせり


  アール・デコ風に歩けば俄かに雹●野良

  カナヘビのSに日を乗せ走っていく

  ぐるぐる遊び大手毬の子十一人


  ヤゴの殻発射台なり祈りなり●ケン

  家鴨には知らせぬピータンホラズム模様

  麦めしのひと筋ひくよ皺皺ごはん


  ほおずきを吸うつもりらしホルンの腹●U

  石蚕よりアール・デコわが血管の図

  晩白柚(ばんぺいゆう)めっけもの犬の穴に乗りぬ

 


下段記事



 平田修が死んだ。断続的に十五年くらい、彼が最も俳句に集中していたころ、

ぼくは彼にいちばん近いところにいた。


 『海に傷』 『闇の歌』 『白痴』 『曼荼羅』 『血縁』 『卯月』の六集、

身近な仲間うちの回覧誌や全く個人的に小生に見せてくれたものなど、

印刷、発表された総数は三百句にも満たないだろう。



     梅の香の喉頸踏んだ糞尿車

     ぼくの猫たちしとねの椿なめ歩く

     生まれて来たか九月に近い空の色

     ふるさとの丈夫な糞に蝿生まれ

     私め青いうんこに春終る 

      六畳遊び場みんな勝手な蝿になり

      自転車とだんごになって梅を見に

      白痴から生まれて来た日はあたたかい

      だんごから無職の寒さ吹いてきた

      八月終る姉巣だらけのバセドー病



 その心身と作品の間に全く夾雑物がない。

逆説的に言えば、俳句さえない。おそろしい俳句だ。

こんどはどんな俳句を書いてくるか。

それはわくわくするほどにこわいものだった。

以来ぼくは、いつも、この平田修の俳句の前に立って俳句を書いてきたと

言ってもいいかもしれない。

平田修の前に立ちうるか。

ぼくは、その問いの前で、その問いに打たれて俳句を書きつづけてきた。

幸運というしかない

(記・U)

イメージ 1

写真   ヤマノイモ  2006・8・5  散歩コースにて

なにもかもなくした手に四枚の爆死証明●松尾あつゆき

   この句は8月15日、長崎の原爆で亡くなった奥さんを焼いた日の作品です。

松尾あつゆきの俳句・HP
http://homepage1.nifty.com/institute/n3/t2/E2.html
今日8月6日は、61年前、広島に原子爆弾が投下された日です。
8月9日には、長崎でも被害に会いました。

長崎で原爆の為に、妻子4人を失った俳人松尾あつゆき氏の原爆の句が
死後大量に見つかり、話題になりました。

壮絶な辛い現実を俳句にする作業はとても苦しいことですが
俳句に携わっている縁で、この無念を575で書き残さねばならない、使命感。
あるいは書くことで、苦境を乗り越えていくことが出来たのかもしれません。

俳誌「層雲」HP【先達の句】より転載

  
松尾あつゆきは、荻原井泉水の門下で「層雲」に作品を発表していました。


松尾あつゆき(1908〜1985)
 
       すべなし地に置けば子にむらがる蠅(原爆句抄)
 
       とんぼう、子を焼く木ひろうてくる

       ほのお、兄をなかによりそうて火になる

      かぜ、子らに火をつけてたばこ一本

      外には二つ、壕の内にも月さしてくるなきがら

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