|
■2015年2月
ブエノスアイレスで 活動していた
崎原風子さんが 亡くなったと
DA句会の仲間 Tさんから葉書が来た
『海程』2015年4月号に
崎原風子さんの 追悼文を 依頼されていると
8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ●崎原風子
だらながい拙動画 youtube の文章欄に 上記の俳句を引用
この動画が 風子さんの目にとまり お気に入りとなり
Gメールをいただいた
崎原朝一さん(本名)の youtube
30年ほど毎年 2週間遅れの 年賀状を 交換していたが 以来 メールでやりとりが始まり
元旦は真夏の アルゼンチンと 年賀の交換が 即座に出来
これからいろいろ 情報をいただけると のんびり構えていた矢先の 訃報に 愕然 崖から突き落とされた
突然もぎとられた 大切な先輩・・・ああ享年80歳
2015年元旦 noraからのメールに お返事が無く
どうなっているのかな と 思っていた・・・
本名:崎原朝一 1934年沖縄にて出生
17歳で ご家族とアルゼンチンへ移民
渡航中の写真(左端が 朝一)
■語りー移動の近代を生きる
あるアルゼンチン移民の肖像(から転載)
出稼ぎで 訪日した折に
25年前1990年9月2日 崎原風子さん55歳
DA句会の発端となった
17人参加の 訪日歓迎句会
東京で はじめてお会いした時の 写真↓
俳誌『海程』関係の17人
先鋭な俳句の作者は どんな男なのか わくわく
意外や 物静かで 寡黙な紳士だった
歓迎句会で拝見した 風子俳句は ごく大人しい句だった
ようだ・・・ 記録も記憶もさだかではないが
お正月に noraとUの家に お泊りしていただき
家族4人と 袋回し句会をやったり
新宿で ごく内輪の4人でなど 数回お会いしたきりだが
かなり親しい俳句仲間だった
1991-1 小田原市にて 撮影:nora
----崎原風子(さきはらふうし)の俳句を ご紹介します----
婚礼車あとから透明なそれらの箱
ツイスト終り河へ鮮明に靴脱ぐ母
わたしと寝棺のまわりゆたかな等高線
などによって 俳誌『海程』 第2回海程新人賞を受賞
1964年 崎原風子 29歳
■俳句文庫10『崎原風子句集』46歳
(1980年12月 海程新社刊)
表紙 奥付
句集目次 Ⅰ 南魚座
25歳からの 俳句です
ツイスト終り河へ鮮明に靴脱ぐ母
8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ
い。そこに薄明し熟れない一個の梨
Dの視野にあるヒロシマの椅子の椅子
ヒエラル墓地の昼の一日の大きな容器
※文鎮として愛用している 白い丸石は
noraの第2の故郷 黒部市石田浜で拾った 300gの懐かしい石です
ふと思いついて・・・ ■2014-7-7 崎原風子さんからの返信メール
元気でやって居ります。
年4回、25年も続いているとは、バイタリティーがすごいですね。 残念ながら、ゆっくり目を通す時間がありません。 新聞の紙面づくりもありますので。 どうも済みません。 皆さんへ、よろしくお伝え下さい。 崎原風子
アルゼンチン移民史編纂 沖縄タイムスの新聞記者
としても 忙しい 風子さんからの
これが最後のメールとなった
■崎原風子を検索したら
2014年10月末 沖縄タイムスに アルゼンチン通信員としての
最後の 記事が載っていて
その後 いつ どのように亡くなったのか 不明のまま
くわしく調べる気力もなく 2015年8月を迎えた
お元気に活動されていた頃
------2013-10-2 崎原風子さんからのメール------
お変わりございませんか。
最近、私がインタビューを受け、それに枝葉をつけたものが本にされました。 著者から、在日本で贈答したい人にこちらから送りますよという申し出があり、言葉に甘えることにしました。 ー後略ー
メールから2,3日後 下のような本が送られてきた
俳人:崎原風子 移民としての:崎原朝一
のくわしい生い立ちや アルゼンチンでの生活を
はじめて知った
■語りー移動の近代を生きる
あるアルゼンチン移民の肖像
表紙 辻本昌弘著 2013-9-1 新曜社刊
目次
奥付
崎原朝一さん 2010.8.26 辻本昌弘氏撮影
※崎原風子さんの アルゼンチンでの 活動を記した
下の膨大な ファイルを開いてみた
30代から 精力的に 俳句や文芸に関わり
風子さん本人の 俳句観も書かれていた
アルゼンチン日本語文芸論
――『あるぜんちん日本文藝』について―― 守屋 貴嗣 MORIYA Takashi 悼 畏友崎原風子さん 合掌
2015年8月2日 連日猛暑の日に nora
●追記:崎原朝一を検索したら
琉球新報(2015-10)の記事を発見
|
■追悼・崎原風子
-
詳細
全1ページ
[1]
コメント(0)
全1ページ
[1]





