「ノウブリ」と囁け!

おひさしぶりです(と記事をアップするたびに挨拶している・・たまにしか書かないから・・)

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登戸研究所資料館

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明治大学生田キャンパスは、終戦まで陸軍の研究所があったところ。
その記念館ができたというので行ってきた。
http://www.meiji.ac.jp/koho/pickup/2009/100323.html

明治大学は私の出身校なのだが、生田は理系学部のキャンパスで、文系の私は在学中ついに一度も生田に足を踏み入れたことがなかった。
おかげで小田急線生田駅からの道の途中、道に迷う。最近ケータイGPSに頼りっきりでろくに地図を見ないこともあり、しょっちゅう道に迷っている。

キャンパスの入り口で案内板を見ていると守衛さんに声をかけられる。
「ご案内しますよ」と呼ばれたので来意を告げると、パンフレットをくれ、親切に道を案内してくれた。
「でも写真は・・」あ、いけませんか?
「いえ、かまわないんですが、学生がいるところを撮らないでくださいね」
ああなるほど、女学生を狙った盗撮とかカメコとかがいそうだもんね。
よくわかりました。

生田駅最寄の入り口とは正反対の場所にあるので、キャンパスの西端を南北に長く歩くことになった。
途中にこんな碑が。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/d7/b5/norburyjp/folder/1596611/img_1596611_50324178_1?1271599985


4月とあって、新入生向けの張り紙も多い。
いいなあ、大学に戻りたいなあ。学生のときどうしてもっと遊んだり勉強したりしなかったんだろ。もったいない。

いまどきの大学は生協じゃなくて書店やコンビニが入っているんだなあ。
(かつての生協が左翼運動の牙城だったという背景もたぶんあるんだろうけど)

新入生に卵サービスという食堂の計らいがうれしい。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/d7/b5/norburyjp/folder/1596611/img_1596611_50324178_0?1271599985


さてこれが記念館。
外観は何の変哲もないが、当時の建物が保存されたとのこと。
中は撮影禁止である。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/d7/b5/norburyjp/folder/1596611/img_1596611_50324178_2?1271599985
正直、さすがに当時の遺物は少ない。
しかしこの建物の内装そのものがなんだか暗い歴史を感じさせる。

各部屋の出入口は扉こそ取り払われているが、木製の枠が残っており、それぞれの小部屋が展示室になっている。コンクリートの重厚な流し台が当時のまま残され、やたらたくさん蛇口がついている。いかにも化学実験場という感じ。

(パンフレットを接写してみた)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/d7/b5/norburyjp/folder/1596611/img_1596611_50324178_3?1271601341

登戸研究所では3部門に分かれて研究に当たっており、第一科が兵器類の研究、第二科が諜報グッズや生物・細菌兵器の研究、第三科が中国大陸の経済的混乱を狙った偽札作りなどを担当した。
それらの実態が部屋ごとの展示で語られる。

私は長らく生田キャンパスの一部が登戸研究所だったと思っていたのだが、そうではなく広大なキャンパス全体が登戸研究所の跡地だったということをこの展示で初めて知る(戦後明治大学が払い下げを受けた)。
当然陸軍将校が各部門のトップであるが、スタッフには産学の頭脳が集められ、また生産工程では女学生なども動員されたとのこと。相当な数の人々が働いていたそうだ。


最初の見せ場は風船爆弾のレプリカ。
風船爆弾というとなんだか牧歌的でさしたる戦果も得られない存在だと思っていた。
なにせ和紙とコンニャクイモで作った気球だもんね・・。
でも展示を見ていると、予想外に大規模な計画だったことがわかる。

この開発のために日本中のコンニャクイモを徴発し、食卓からコンニャクが消えたこと。
開発のために女学生が大量に動員され100以上の学校が兵器工場になったこと。
一応1発だけはオレゴン州に届いてピクニックの家族6名を殺害し、20世紀のアメリカ本土を攻撃した唯一の兵器となったこと。しかしアメリカは世情不安が広がること(これが日本軍の狙いでもあった)を恐れて情報をひた隠しし、ために被害者の夫は妻がなぜ死んだかを戦後まで誰にも語ることができなかったこと・・
などなどが紹介されていた。
2昼夜にわたって高度を維持しながらアメリカ大陸を目指し、大陸上で爆弾を投下して風船も自爆する・・その仕組みはとても興味深い。

でも、そのほかも含めて、この研究所の兵器開発はどれもこれもマニアックすぎる武器が多く、素人目にも昭和十年代の技術力ではとても使い物になりそうもない。
レーダーもだめ、電波兵器は数メートル離れた場所にいるネズミを殺すぐらいの力しかなく、人工雷で敵の航空兵力を無力化するとかいう研究も・・ことごとく実用化していない。
説明文によると、同じころの米国の軍事技術研究では部隊の機甲化などに研究を振り向けたが、日本陸軍は歩兵を重視しすぎる伝統から武器研究に没頭しすぎた、とのこと。


第二科の、諜報部門を説明する展示がおもしろいのは、資料がひとりの女性タイピストが個人的に遺した「雑書綴」に基づいていること。和文タイピストがお手本用にさまざまな書式を綴ってあった。
どんな職場にもいるよなあ、こういうマメな人。ホントはもっと上の人がちゃんとしたマニュアルを作らなきゃいけないのに、だいたいがこういう人がまとめてくれたものが「職場の技術承継」の要になっていたりする。

残された書類、たとえば出張届から研究所員の満州・朝鮮などをまたにかけた動きがわかり、会議の出席者から民間企業やら大学やらとのつながりがわかり、納品書や請求書からどのような物品が調達されていたかがわかる。
とても面白い。終戦時にほとんど焼却された文献類がこんな形で残るとは。
しかしイジワルを言えば、いちタイピストがこんな重要書類を持っているのは情報セキュリティ的にはまずいんでないかい?

第三科の、中国大陸を舞台にした偽札による経済戦争の展示を経て、最終部分は研究所の最期。
本土決戦に向け、大本営が長野県の松代に移転するのに伴い、研究所の各部門は長野県や愛知県などに分散疎開したが、終戦とともに解散。
資料は焼却、火薬類は爆破、実験器具類は長野県の大学や小学校に寄付されたりした。
戦争のためという目的にしろ、当時の最先端技術を結集した研究機関だったんだなあ、とか感慨を新たにした。

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