|
尾久の鉄道フェスティバルを出て上野駅に移動し、構内で讃岐うどん。 最近、駅のさぬきうどん+イモ天(またはトリ天、カボチャ天)の組み合わせに凝っている。 めんをすすりながら、夕方の上野広小路での落語まで時間をどう潰すか考え、ふと思い立って科学博物館の「空と宇宙展」へ。 初めての動力飛行から100年を迎える日本の航空宇宙開発史を語る。 http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2010/sora-uchu/index.html 鉄道に続く飛行機・・乗り物の連チャンは嬉しい。 撮影okなのが嬉しい。 航空機の模型が多いのが嬉しい。 ハヤブサくんの展示がデカいのが嬉しい。 事業仕訳で「有効活用せよ」と蓮舫大臣に叱られた当館所蔵のYS11の実物・・・は流石になかったが、同機の模型がやたら目立つ。しまいには「保存のため募金を」だって。 ふざけるなよ、と思いながらも募金箱にいくらか入れた。 写真を取り損ねたのだが、ハヤブサがカプセルを分離したあと、大気圏で燃え尽きる寸前に送信して来た最後の地球の白黒写真が掲示されていたり(送り切らないうちに中断したので画像も中途半端)、最後のビーコンの音が流されたりしていた。 「最後の画像を見て涙が流れた」というスタッフの手記に、私もホロリ。 宇宙の彼方を一人旅して、時に行方不明、時に故障などの苦難を乗り越えて、あらかじめプログラムされた使命を自立的に果たして地球外の物質をゲットしてまた地球に帰ってくる、そしてカプセルを投下して自らは燃え尽きる。 多くの人が感情移入したのも良くわかる。 人にあらざる機械ではあるが、こいつは(SFに出てくる、人間と仲良しな)ロボットそのものではないか。 ハヤブサもすごいが、このIKAROS(イカロス)もすごい。 これがすでに打ち上げられていたことを知らなかったのも驚き。 打ち上げ直後に正方形の「帆」をハンカチのように広げて、太陽の光圧を受けて進む。圧力を受ける角度を変えることで、太陽から遠ざかることはもちろん近づくこともできると言う(太陽の周りを公転しながら軌道を調整していくということであろうか)。どういう原理だか分からんが、まさに子供の頃胸ときめかせて読んだSF小説の宇宙ヨットではないか。 イカロスくんのブログ、今後要チェック→http://www.jspec.jaxa.jp/ikaros_channel/ 通りすがりに聞こえた夫婦の会話にちょっと笑ってしまった。 「イカロスって名前、不吉じゃないの?」 たしかに…人工の翼で空高く上ったはいいが太陽に近づきすぎて熱でバラバラになって墜落、ではなあ。 ギリシャ神話の通りにならないことを祈りたい。 特別展会場を出たあとの通路では、新D滑走路と国際線がオープンしたばかりの羽田空港に関する展覧会もささやかに行われていた。思えば、いろんな「ニュース性」に溢れたイベントであった。
|
博物館・美術館
[ リスト | 詳細 ]
ひとりでこういう場所をうろついていることが多いんだなあ、と気がついて
書庫を独立させました。
書庫を独立させました。
ただし、「鉄道博物館」がらみは別格です。
|
展示の「偏向」ぶりが国際問題になった過去もあり、いろいろ話には聞いていた。 実際に見ると、想像以上にデカくて立派だった。 いろんな意味で「みもの」である。 明治時代以降のみならず、安政の大獄の尊皇攘夷派の死者もみんなここに祀られているそうで、幕末のペリー来航あたりの説明が詳しい。 あとは日清・日露の戦い、第一次世界大戦、シベリア出兵、満州事変・日華事変・大東亜戦争と展示が続く。 さすがに大東亜戦争(太平洋戦争とは表記してなかったと記憶)の展示は長い。 東はハワイ、西はインド洋(マダガスカルまで潜水艦で攻めていってイギリスの艦船を撃沈したそうだ)、北はアリューシャン列島、南はオーストラリア・・・手を広げすぎだったんだなあ、と思う。 開戦時の日本の資源の備蓄状況や日米交渉決裂までの時系列の流れが細かく展示されている。 戦争の原因はアメリカが資源の輸出を禁じたから・・とほぼ言い切っている。 全体にわたって戦争に突入したころの日本の立場を代弁している。 「反省」はない。 「侵略戦争への反省」を求めようとはもともと思ってないが、「負け戦」への反省はないのか?。 常設展示の一番最後は、極東軍事裁判で有名な無罪判決を書いたインドのパール判事の言葉が大きく掲示され、また戦後アジアの植民地がいかに解放され独立を果たしたかを展示している。 日本ってアジアの独立のために戦争したのか? 極東軍事裁判で死刑や獄中死した人を「法務死」と呼ぶことははじめて知った。 用例→ http://www.syowajyunnansya.jp/ 1階には一般から寄せられた戦死軍人・軍属のスナップ写真がずらっと並んで掲示されている。 特別展「神風 そのふきゆくかなたへ」では、第一会場は蒙古襲来を描いた巨大パノラマ画の展示。 まあ、これはスタスタと通り過ぎて、続く第二会場は、神風特別攻撃隊員の遺品展示。 これは胸を打つ。 特攻隊員の遺書の、幼い娘の成長や両親の健康をひたすら願う姿には涙を誘われそうになる。 未婚のまま戦死した兵士のために、死後に一緒になるようにと遺族が捧げた花嫁人形も展示されていた。 国のために命を捧げた軍人を称え、遺族を癒すシステムは近代国家に不可欠なんだろう。 そして、個々の戦略・戦術の良し悪しを語ることは、もともとこの施設の役割ではないのだろう。 むしろ、戦地に赴く人に「安心して死んでもらう」モチベーション作りこそが目的か。 また、日本にも日本の言い分はあるということをきちんと主張するのも大切だとは思う。 しかし・・ 愚かな国策で死んだ人たちのことは、私たちはどう遇するべきなんだろう?と疑問になる。 なかでも特攻ってのは愚策と言うしかない。 国民の命をちっとも大事にしない日本の欠陥が象徴的に現れたものだと思う。 どうしても、私は素直に特攻の戦死者たちに「国を守るために命を捧げてくれてありがとう」という気にはなれない。 さりとて「あなたは国の愚策の犠牲者でした。かわいそうですね」では本人も浮かばれないだろうし、遺族(こっちのほうがたぶん大事だ)も安らげないだろうなあ。 うーん。 そして、特攻隊の遺書もきれいごとだけではなかったのも知っている。 本で読んだところでは、出撃のとき「ニホンカイグン ノ バカヤロウ」と打電したパイロットもいたそうだ。そういう声は決して残らんわなあ。 やたら常設展示でもこういう特攻兵器の展示が目立つ。 ・「震洋」(爆弾を積んで体当たりするモーターボート) ・「回天」(爆弾を積んで体当たりする人間魚雷。デカイ!) ・「桜花」(爆弾を積んで体当たりするロケット機。小さい!) ほか、爆弾を長いさおにつけて潜水服で海中からえいっとぶつける人間機雷 「伏竜」(竿を持ったダイバーの像を展示。これは訓練段階で犠牲者が続出したと聞くが・・)。 「桜花」に対して連合軍は、日本語の「馬鹿」にちなんでBAKA BOMBとのコードネームをつけていたとのこと。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AB%BB%E8%8A%B1 「自虐史観」を振り回すのも感心しないが(私はこの言葉があんまり好きではないが)、特攻を無批判に強調しながら国防や愛国心を語るのは、やっぱ異常なんじゃないだろうか。 たとえばドイツなら、ナチスへの反省を踏まえながら、国防のために働く人たちをたたえる戦争博物館があるんじゃないだろうか。想像だけど。 外には軍馬や軍犬の慰霊碑。前者にはニンジン、後者には缶入りドッグフードが供えられていた。
ちょっと気持ちが安らぐ・・。 |
|
「丸の内の大家さん」こと三菱地所が昨年、発祥の地に創建当時の建物を復元、美術館としてオープンさせた。 ビジネスセンター・丸の内の歴史は、明治23年、政府の要請により三菱社が丸の内一帯を取得したことに始まります。 そして、お雇い外国人として来日したジョサイア・コンドルの設計により、明治27年、丸の内ではじめての近代的オフィスビル「三菱一号館」が建てられました。http://mitsubishi-ichigokan.jp/#mitsubishi 私は勘違いしていて、新しい丸ビルのように、低層階の壁面をそれっぽく飾っているだけかと思っていたのだが、ちゃんと単独の建物として再建されていた。建物の裏側に回って初めてわかった。 この高さの建物がずらっと並んでいたころの丸の内を想像するのは楽しい。 かつての「日本のロンバード街」ってどんな雰囲気だったんだろう。 現代の美術館にしては低い建物、狭い廊下。 もちろん創建当時は画期的な高層ビルだったのであろうが。 この狭さは目黒の「庭園美術館」を思わせる。 そんな中を美術館スタッフがかいがいしく仕事をしている姿がなかなか良い。 当時は無かったはずの自動ドアやエレベータが、古風な建築の中に溶け込んで機能的に配置されている。 展示の最初のほうは、ナポレオン三世の命で現代につながるパリの街並み作りを指揮したオスマン男爵の肖像や当時の建築図などが展示され、おしゃれなパリジャンとしてのマネとその時代を語りながら、同じく首都を開発してきた三菱との共通点を見出そうとする企画であるかのようである。 今回の展示の目玉のひとつになっている「ベルト・モリゾ」は同時代の女流画家をモデルにした絵。
芸術家はモデルになっても、なにか人と違う眼光を発しているなあ。 |
|
明治大学生田キャンパスは、終戦まで陸軍の研究所があったところ。 その記念館ができたというので行ってきた。 http://www.meiji.ac.jp/koho/pickup/2009/100323.html 明治大学は私の出身校なのだが、生田は理系学部のキャンパスで、文系の私は在学中ついに一度も生田に足を踏み入れたことがなかった。 おかげで小田急線生田駅からの道の途中、道に迷う。最近ケータイGPSに頼りっきりでろくに地図を見ないこともあり、しょっちゅう道に迷っている。 キャンパスの入り口で案内板を見ていると守衛さんに声をかけられる。 「ご案内しますよ」と呼ばれたので来意を告げると、パンフレットをくれ、親切に道を案内してくれた。 「でも写真は・・」あ、いけませんか? 「いえ、かまわないんですが、学生がいるところを撮らないでくださいね」 ああなるほど、女学生を狙った盗撮とかカメコとかがいそうだもんね。 よくわかりました。 4月とあって、新入生向けの張り紙も多い。 いいなあ、大学に戻りたいなあ。学生のときどうしてもっと遊んだり勉強したりしなかったんだろ。もったいない。 いまどきの大学は生協じゃなくて書店やコンビニが入っているんだなあ。 (かつての生協が左翼運動の牙城だったという背景もたぶんあるんだろうけど) 各部屋の出入口は扉こそ取り払われているが、木製の枠が残っており、それぞれの小部屋が展示室になっている。コンクリートの重厚な流し台が当時のまま残され、やたらたくさん蛇口がついている。いかにも化学実験場という感じ。 登戸研究所では3部門に分かれて研究に当たっており、第一科が兵器類の研究、第二科が諜報グッズや生物・細菌兵器の研究、第三科が中国大陸の経済的混乱を狙った偽札作りなどを担当した。 それらの実態が部屋ごとの展示で語られる。 私は長らく生田キャンパスの一部が登戸研究所だったと思っていたのだが、そうではなく広大なキャンパス全体が登戸研究所の跡地だったということをこの展示で初めて知る(戦後明治大学が払い下げを受けた)。 当然陸軍将校が各部門のトップであるが、スタッフには産学の頭脳が集められ、また生産工程では女学生なども動員されたとのこと。相当な数の人々が働いていたそうだ。 最初の見せ場は風船爆弾のレプリカ。 風船爆弾というとなんだか牧歌的でさしたる戦果も得られない存在だと思っていた。 なにせ和紙とコンニャクイモで作った気球だもんね・・。 でも展示を見ていると、予想外に大規模な計画だったことがわかる。 この開発のために日本中のコンニャクイモを徴発し、食卓からコンニャクが消えたこと。 開発のために女学生が大量に動員され100以上の学校が兵器工場になったこと。 一応1発だけはオレゴン州に届いてピクニックの家族6名を殺害し、20世紀のアメリカ本土を攻撃した唯一の兵器となったこと。しかしアメリカは世情不安が広がること(これが日本軍の狙いでもあった)を恐れて情報をひた隠しし、ために被害者の夫は妻がなぜ死んだかを戦後まで誰にも語ることができなかったこと・・ などなどが紹介されていた。 2昼夜にわたって高度を維持しながらアメリカ大陸を目指し、大陸上で爆弾を投下して風船も自爆する・・その仕組みはとても興味深い。 でも、そのほかも含めて、この研究所の兵器開発はどれもこれもマニアックすぎる武器が多く、素人目にも昭和十年代の技術力ではとても使い物になりそうもない。 レーダーもだめ、電波兵器は数メートル離れた場所にいるネズミを殺すぐらいの力しかなく、人工雷で敵の航空兵力を無力化するとかいう研究も・・ことごとく実用化していない。 説明文によると、同じころの米国の軍事技術研究では部隊の機甲化などに研究を振り向けたが、日本陸軍は歩兵を重視しすぎる伝統から武器研究に没頭しすぎた、とのこと。 第二科の、諜報部門を説明する展示がおもしろいのは、資料がひとりの女性タイピストが個人的に遺した「雑書綴」に基づいていること。和文タイピストがお手本用にさまざまな書式を綴ってあった。 どんな職場にもいるよなあ、こういうマメな人。ホントはもっと上の人がちゃんとしたマニュアルを作らなきゃいけないのに、だいたいがこういう人がまとめてくれたものが「職場の技術承継」の要になっていたりする。 残された書類、たとえば出張届から研究所員の満州・朝鮮などをまたにかけた動きがわかり、会議の出席者から民間企業やら大学やらとのつながりがわかり、納品書や請求書からどのような物品が調達されていたかがわかる。 とても面白い。終戦時にほとんど焼却された文献類がこんな形で残るとは。 しかしイジワルを言えば、いちタイピストがこんな重要書類を持っているのは情報セキュリティ的にはまずいんでないかい? 第三科の、中国大陸を舞台にした偽札による経済戦争の展示を経て、最終部分は研究所の最期。
本土決戦に向け、大本営が長野県の松代に移転するのに伴い、研究所の各部門は長野県や愛知県などに分散疎開したが、終戦とともに解散。 資料は焼却、火薬類は爆破、実験器具類は長野県の大学や小学校に寄付されたりした。 戦争のためという目的にしろ、当時の最先端技術を結集した研究機関だったんだなあ、とか感慨を新たにした。 |
|
前の記事、文章だけだとわかりにくいかとおもって・・。 こいつが「縄文のスーパースター」のなかのスーパースター 「遮光器土偶」氏です。 すでにお分かりと思いますが、パンフレットの拡大です。 はたして氏は宇宙人なのでしょうか・・それとも・・ |




