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昨日は仕事がうまく行かず私生活の人間関係でもちょっとダメダメ状態。 回転寿司屋で生ビール片手に自棄食いし、帰りの電車に乗ってから、ふとレイトショーでも見るか、と飛び込んだ映画がこれ。 落ち込んだ気分のときにこういう映画を見るというのはどうか、と自分自身客観的に思ったのだが、もしかしたら他人の死の姿を見ることは、かえって「癒し」になったのかもしれない。 街頭に簡単に爆弾が仕掛けられ、それによって人が簡単に死んでいくバクダッドの街。 映画は、爆発物を無謀ともいえる方法で取り除いていく主人公と、それを防護する立場の兵士、それから技術兵の3人の交流を中心に進んでいく。 遠隔操作のロボットのようなハイテクに頼らず、まるでレンコンかタケノコでも掘るように爆弾を見つけては、パチパチとケーブルを切り、魚屋がワタをとるように信管を繰り抜いていく。 爆弾とスイッチ?を結ぶケーブルを手繰っていったら途中で6本ぐらいに分岐していて、さらに引っ張ったらそれらのケーブルの先から瓦礫の中の爆弾が一斉に顔を出して囲まれちゃうとかいうすごい場面が続く。 そんな主人公もすごいが、それをサポートし、敵から防護する立場の兵士がいるというのも驚きである。 爆発物を撤去しようとする米兵たちを、なにかひとごとのように遠巻きにする一般市民たちの中には、遠隔起爆装置を手に忍ばせて、ひとりでも多くの米兵をまき沿いにしようと機会を狙っている者が潜んでいる。 だから米兵たちは、爆発物を取り巻く周囲の現地人のなかに不審人物がいないか、常に武器を向けて注視しているわけで、まったく緊張が絶えない。 こういう緊張は、日本で今でも時々ある太平洋戦争中の不発弾の処理の場面には絶対ない。 人が人を簡単に殺そうとし、実際に簡単に殺される。 米兵が荷車を引いた現地人の人々に「ここは危険だから移動してください」と懇々と説明し、ようやく彼らが去ると、おもむろに彼らが仕掛けた爆弾が爆発し、兵士が吹き飛ぶ。 現地市民の体にくくりつけられている爆弾の撤去をギリギリまで試みながら、それを果たせず「アイムソーリー」といって逃げ去る場面。 人の死の姿、ひとつひとつがとても痛い。 どうしても「アバター」と比べてしまうが、続編を見たい映画はアバターで(もう少し短くして欲しいが)、心に重くズシンと来るのはハートロッカーのほうだろう(もう少し短くして欲しいが)。 アバターを見た後、現実の社会に溶け込めなくなっちゃって欝になる人がいるという報道があったが(ほんとかねえ?)、ハート・ロッカーのほうは、生きることへの前向きな気持ちを見失ったとき見たほうがいいのではないか、と私は思う。 フセイン大統領からイラクの民を解放してあげたはずのアメリカ人が、どうしてこんなに憎悪の対象となるのか、アメリカ人はどう考えてるんだろうか。 アメリカ人から見れば、いまや「自国民以外はみんな仮想敵」という中で仕事をしているわけだ。 本来それを守るために来たはずの存在であるイラク市民たちに怯え、彼らに銃を向けるという矛盾、この状況をイラク人から見るとどう見えるんだろう。 爆弾処理を遠巻きに人ごとのように見ているように(アメリカ人からは)見える現地人にも、それなりの思いがあるんじゃないだろうか。 爆弾を仕掛けるほうも仕掛けるほうで、アメリカ人を駆逐するためには同胞や自国の復興、果ては自分自身の命を今後とも犠牲にしていくのか・・。
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