あなご家の人々・・・

[ リスト | 詳細 ]


のれそれ‐穴子の稚魚


ああだったから、こうなった・・・<(_ _)>そうでしたわねえ
記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 次のページ ]

イメージ 1

春は桜、そして・・・お花見!♪酒が飲める、酒が飲める、酒が飲めるぞォ〜
と、我が家に集まって庭で宴会になるのが常の春・・・花冷えだろうと何だろうと・・・
(母との桜の木の下でのひとコマを思うとシンミリ、ですが。楽しいことだって、あるのよねェ)

冬場はさすがに寒いので、よっぽどでない限りは「のれちゃん!オンモ行きなさい!!」は稀です。
ちょっと暖かくなると、親も安心(?)なのか、冬場の我慢の限界か、お庭から敷地の外へと出される範囲も広がってまいります。幼児とて、これやると、オンモかな?とか予測もできつつあって。

お花見(期日関係なし)で皆さんが集まる頃、私も参加した〜い、となると自分で勝手にお支度を始めます、お洋服はいいのです、簡単に色々引っ張り出して1人ファッションショーで散らかしますから。
お着物着た〜い、これは自力ではまだ無理があります、祖母や母、忙しいお手伝いさん、ねえやにせがむことになります。面倒がられます・・・と、なると・・・自力に挑戦!!
肩上げやおはしょりを上げてある見るからにわかる自分の着物、少し幅の狭い長さも短めな帯、あとは帯揚げに帯締めなど小物も、いつも出し入れをみているのでわかります。
だけど・・・子供の着物は丈がちゃんとしているから、簡単にはお引き摺りにはできません。だから、大人(祖母や母)の着物、着てみたい、お姫様みたいにお引き摺りしてみたい・・・実行あるのみ。
和箪笥並ぶ、着物部屋に行きアレコレと引き出しを開けては品定め。オチビですから下の段しかいじれません。それでも出しては生意気にも羽織っては姿見に映してはポイ、また羽織ってはポイ。
飽きてくると、母の部屋へ行き、お化粧を。何だかわからないけれど、コンパクトのお粉をパタパタ、適当に小引き出しに放り込んで次は口紅。赤い色といえども何種類かあります。5〜6本ありましたか、全部のキャップを取り、加減がわからないのでにゅ〜っと最後まで出してみます。恐る恐る・・・長いんですもの折れますわよ、1つ、2つ・・・全部ポキっと。このままでは、いけない!指でケースに無理矢理詰めてそれぞれのキャップを閉めて入念にお手手を拭いて・・・とはいえ、手拭でゴシゴシ、ですから。
その顔と手のまま、着物部屋へ・・・

家の中の廊下を静々(のつもり)歩いてみます・・・たくさんのお色があって大人っぽい黒い着物、留袖でした、それも、仕付け糸が付いた、まだおろしていないものです。その下には刺繍のある薄いクリーム色の、所謂付け下げ訪問着でしたか・・・その下に自分の白地に鶴亀などの模様のある着物を浴衣用の絞りの三尺を締めて(単に巻いて縛るだけ)ご満悦・・・でもね、いくら何でもあちこちを歩けば見つかります。家の渡り廊下はファッションショーには打ってつけの場所、お庭にも面していて明るくて・・・
庭師のおじちゃん、それを見かけて奥へご注進!ええぃ余計な事を〜〜〜の気分です。

祖母と母の着物の幾着は汚れが・・・口紅など油性のものは真綿に湿らせた揮発油でも取れるものではありません。仕立て直し同様に洗い張りに出して洗ってもらうしか・・・それでもキレイになるかは・・・
2人から懇々とお説教があり、事の真意を質されるのです。たかが子供のお遊び、とはいえ、我が家のお説教は決して子供用ではありません。お蚕さんから生糸を取り、染めや刺繍があり、どういう手順で反物となって気に入った人がどういう時に着るか、その過程から話しは始まりました。桑の葉を云々、お蚕さんが繭になって云々と題して「着物が出来るまで」のお話です。
「・・・という風にたくさんの人がたくさんのお仕事を心を込めてしてくれるから、お着物が着られるのですよ。手間暇かけて作ってくれたものを、有難うと思って大事にするものなのに。こんなにしてしまって・・・汚れたら、またキレイにしてお着物にしてくれるけれど、それだって大変なお仕事ですよ。」
「じゃあ、着ないで見ていれば汚れないしキレイなまでしょ?触らなければいいんでしょ?プンプン」
自分勝手にも悪態をつく私。オンモ行きなさい、と言われても懲りずにプンプン!勝手に怒ったまま。

一応・・・子供ながらにも一応は「わかったから・・・ごめんなさい。」で家に入れてもらって、まずはひと安心、とばかりに喉もと過ぎれば〜で反省の色も僅か・・・

それから、数日経ったある日の事。祖母がお弁当を持ってお出掛けに連れて行ってくれました。
車での久々のお出掛け・・・でも・・・お店やさんやデパートのある所とは違うようです。静かな、しかも道はデコボコしてガタガタ揺れます。何だか、お山に近いような景色にも思えます。
大きな門のある、家に着いたのでした・・・

ごめんなさい。少々長くなりますので、後は続きを・・・

早咲き、桜、桜

イメージ 1

私が実家に電話をすると凄く驚く父。
今回も「水疱瘡になって・・・」と言う前に「どうした?何があった?」と先に言われてしまいました。す、鋭い!
お彼岸に帰国したいけれど、Dr.に聞いてからと話したら「仕方ない、帰って来なくてよろしい。」

去年のお彼岸の事が頭から離れません、どうしてもお寺さんで桜の木を見たい、亡き母が手折った桜。
頑として帰国を許さない父・・・どうして?大丈夫って思うから・・・
「子供ならいざ知らず、50近くになって水疱瘡・・・あとを大事にしなさい。それに・・・オレも年だし何を患ったか憶えていない・・・もし、この年で伝染病に罹ったら・・・困る。」
「あのォ、おとうちゃま・・・たぶん大丈夫だと思いますが・・・」
「バカを言うな!誰に聞けばいいんだ『水疱瘡やったか知っていますか?』って。オレのねえやはとっくにこの世にいないんだぞ。母親、女房、皆いないんだぞ。じゃあ、のれちゃん知っているのか?」
「・・・自分がやっていないのも知らなかったのよ、おとうちゃまの事なんかわかりません。」
「なあ、そうだろう。だから、不安がある場合は用心に越した事はないのだよ。」

そういうものでしょうか・・・すると、お掃除に来ていた元のお手伝いさん、私のねえや(今は70代)が父の話しを聞いていたらしく「のれちゃま、幼稚園の頃の麻疹(はしか)しかしていませんよ。」
電話口で叫んでいました「水疱瘡と風疹とおたふく、お気をつけ下さい。」遅いって、一つクリアー済み
という現状になってしまったではないですか・・・
「ももちゃんが言うんだから間違いないな。帰って来なくてよろしい。外に出ずに養生するように!」

釈然としない私・・・でも、父があまりにも強く言うので渋々承知いたしました。
弟にもメールしてブチマケタ、<あんまりじゃない?自分に被害があると思っているのよ。>
<のれちゃん、違うよ。年とってから罹ったから体力的にも不安があると思ったんだよ。母さんがいなくなって・・・自分より先に身内が逝くのが耐えられないんだ。考え過ぎや思い込み、って笑っちゃうけれど、父さんは本気で心配しているんだ。お兄ちゃんにも迷惑かかっているんじゃないか、アイツはもう水疱瘡は済ませているといいんだが、って。だから、今回は我慢。5月には元気に帰っておいでよ。>

・・・今年は暖冬のせいで各地の桜も早い開花予想が出ているようで、丁度お彼岸の頃には花が見られるかな、おかあちゃまにもお供えできるかな、と思っていただけに残念です。でも、きっと母は桜に埋もれるようにして私達よりも先に、私達以上に花を愛でられるのかもしれません。

老いても尚、娘を思い寂しさを見せなかった父・・・昭和ひとケタ戦中派・・・優しく温かく、頑固。

イメージ 1

落ち着きを取り戻したので、懐かしいお子ちゃま時代に戻っていきましょう・・・
記憶の足りない部分を充分に補ってもらえた母が他界したので、自分勝手な視点になりそうですが。


殆どが祖母と行動を共にする事が多かったので、季節ごとに避暑、温泉と別荘に出かけている時間が結構ありました。これがまた、ひと騒動起こしたり、危険にさらされたり(相変わらずの行動による)です。

お風呂は大好き、長く入っていても厭きません・・・おもちゃを持って遊び、ゆだってくると上がっては、食事やらおやつ、そしてまたお風呂、おままごとセットとは別に自分のお食事セットも持ち込みます。
この日も、ある温泉で有名な山あい(湖や海に行くのも不便なく)の別荘にてお風呂で遊んでいました。朝から出たり入ったりです、おにぎりを作ってもらって少しのおかずとお茶を持って、またお風呂へ・・・
大きな窓を開けて、庭にいる祖母とも声を掛け合っては安全確認!
「のれちゃん、何しているの?おなかは?空いたら出てきてお食事なさいよ。」
「は〜〜〜い、元気ィ!おばあちゃま、おにぎり、あるのよォ。後で食べま〜〜〜す。」
お風呂の中ではバチャバチャ泳いだり、へりから飛び込んだり・・・自分だけなので周りに迷惑なく好きに出来ます・・・調子に乗って飛び込みを繰り返している内に足がもつれて滑って・・・頭から・・・
あららら、鼻から口からお湯が入って、く、苦しい〜〜〜!
それまで、バチャ、ドブゥ〜ン、キャーキャーしていたのが静かになって、祖母も何かを察知したのか、
お風呂場に来てみたら、ブクブクバシャバシャアップアップ状態・・・
「のれちゃん!」祖母は絽の着物のまま飛び込んで、無事に救出・・・状況がわからないまま、ゲホゴホ、ウェーッ、ワケもわからず泣き出して、ゲホの繰り返しです。それでも、収まってくるとまた遊びたくなって・・・お風呂はダメ、と言われてもお風呂場までの間にスッポンポンになって駆け込みます。
一応は飛び込みで苦しい思いをしたので、ちょっとは気をつけて・・・
今度はご本を持って入ります。昔の子供の本は随分と厚い硬い紙を使ったものもあって、丈夫に思えました。が、そこはおバカな幼稚園児、お湯に濡れたらダメになるとも思わず、濡れたお手手で扱います。
時々おにぎり食べてお茶飲んで、海苔が付いたり、お漬物で汚れるとお湯の中で洗っては本をいじる、コレでは身体も本もふやけます、ヨレヨレです・・・波打ったようなうねりのある本・・・置きっ放し。

「あ〜フニャフニャですゥ。おばあちゃま、何かねえしわしわになってるの。ほら見てえ。」
「アナタ、どれ位お風呂にいたの?ゆでだこさんになっていますよ。涼しい所でお昼寝なさいな。」
「じゃあね、ご本読んで、ご本、ご本!あッ、ない、ご本がな〜い!」
「また、お風呂に持って行ってそのままでしょ。ご本が泣きますよ、大事にしてくれない、って。」
「泣かないの、ご本は強いこだから、泣かないのよ。ないなら、また買ってェ、買ってェ!」

ねえやがお風呂場からふやけて変形し湿った本を幾つか持ってきてくれました・・・

「あ〜、**ちゃんが盗ったのォ?それ、私のよ、ダメ、触っちゃ!あああああ、こんなになってるゥ。同じご本買ってきて!私のご本、こんなにしちゃってェ!!」
「のれそれ、折角探して持ってきてくれたのに、何ていう言い草ですッ、有難うは?アナタがちゃんとしていないから、ご本もこんな風になって・・・泣いているのよ、ご本は。**ちゃんに有難うとごめんなさい、しなさい!ご本にも大事にしなくて、ごめんなさい、でしょう?いけないのはアナタですよ。」
窘められても、叱られても、なかなか大切な言葉が出てきません・・・イメージ 3
「あ〜あ、ご本がこんな、ぷよぷよ、しわしわになっちゃった・・・私のご本・・・(泣)」
「ね、ご本もこんな風になって可哀想でしょ、もう元の綺麗なご本にはならないかもしれないのよ。」
「どうしてェ、しわしわでも戻っているのよ、ほらァ(指を広げて手足を見せる)お昼寝したら?クルクル(扇風機の意)の所に置いてあげる?お庭に寝かせてあげる?ねえねえ、おばあちゃま、ご本・・・」
「そうね、のれちゃんはお風呂で遊んでも、ソヨソヨされるとしわしわなくなるわね。でも、乾いてもご本は直らないのよ、ゴワゴワでぺったんこにはならないのよ。ちゃんとしてあげていたら、ご本もこんなに可哀想にはならなかったのよ。使う人、持っている人がちゃんと大事にしてあげればいいのに。のれちゃんは、どうでしたか?いい子いい子してあげなかったでしょう、どうですか?そんなに大事なモノだったら意地悪しないで、可愛がって使ってあげないといけなかったわね。」
「だって、知らなかったもん、ご本がこんなになるの、知らないモン!直して、お願い、お願いしますうううう!おばあちゃま、**ちゃん、有難うもごめんなさいもするからァ、ちゃんとするからァ!」

石を乗っけたりして本を平らにするようにやってはくれましたが、厚いボール紙のような本は元には戻りません、楽しいお風呂の時間をもっと楽しくしてくれた、お気に入りの本は波打ったり厚紙が剥がれてきたりのままでした。ディズニーのお話だったと思います、101匹わんちゃん、チップとデール、バンビ、ダンボ、その辺りだったのでしょうか・・・綺麗な色の絵がヨレヨレになってしまって、子供心に心が痛みました。皆が色々としてくれて、それもとっても有難い、でも・・・自分がきちんとした扱いをしないと、ダメになってしまったものは元には戻せないこともある、そんな風にも思ったものです。それでも、私のタメにやってくれている人達、私のせいなのに・・・

お風呂場に色々と持ち込むのは、その後も変わりませんでしたがビニールの風呂敷に本を置き、読む時はお手手を拭いて、タイルの上の椅子で読むようにしましたが、湿った浴室内では・・・傷みますわね。

「ご本が泣いている」という言い方をした祖母、まさに泣いているかのように湿って垂れてしまったかのような様相を呈していました・・・ご本だけでなく、モノの扱いが雑だったりいい加減に放っておくと、我が家では「〜が泣いている」とか「怒っている」とかいう言い方をします。なくなって慌てて探し物になってその名前を呼び、お目目をつぶっていると「ここですよ」と聞こえる、とか。(落ち着いて考えると置いた場所がわかるってことですね)大きくなってからも、よく耳にした言葉です。だからといって、すごくモノを大切に丁寧に扱っているか、というと実際はそんなに上手にマメにはできません。大泣きや怒号が沸き起こっている状態なのかもしれません。確かに子供の頃には理由や原因は言われても把握できない事だらけ、何故どうして何???のまま大きくなってしまう事もあったかもしれません。学習能力なく同じように扱いが雑になってしまったこと、数知れず・・・
それでも、未だにあの頃と同じような失敗を繰り返す日常の中で、壊したものや忘れて放っておいたモノ、使わなくなったり捨てなければならない時には「気をつけなくてごめんなさい」「今まで有難う」という言葉と気持ちが出てきます。家族や周囲のお陰で、あり余ったモノの中をぬくぬくと育ってきましたが、幼児期に何気なく教えられたモノへの気持ちは年をとっても消えない形のない財産として残ってくれているのでしょうか・・・祖母、両親、周囲の人達がダメな事はダメ、こうしたからこうなった、みたいな話しをきちんとしてくれた事、有難く思っています。心のある対応をしてくれた事もね。

反省、後悔すれども実践が伴わず、イメージ 2 というのがずっと変わらない私ではありますが・・・

父は何処に

イメージ 1

最近、弟と頻繁に遣り取りしている父のこれから・・・
少しでも元気に長生きして欲しいけれど、距離があって私にはなかなか難しいこともあります。
だから、忙しいのを承知で弟に気にかけるように(言わなくてもしているんですが)お願い!です。

1人で何をどうすごしているのかしら・・・筆まめな父、手紙が最近は・・・
父の日のカードの事もウンともスンとも言ってこないわ、どうしたのかしら。

思い切って電話を。家にかけて、携帯にかけて・・・出ませ〜〜〜ん!
朝昼夜と時間帯を変えても・・・出ませ〜〜〜ん!

まさか?もしや?イヤ〜な想像ばかりが浮かんできます。
<妻を亡くした独居老人、後追いか?!> <妻のもとへ・・・孤独な老夫>
新聞の見出しのように文字さえ浮かんでしまいます。プルプルプル、頭を振って打ち消して・・・
弟に早速メールを入れて、様子を見に行くように頼んでみました、彼も気になって父の友人にも聞いてきたとか。

ああ、お父ちゃま・・・悲しい、寂しい、ツライ、楽しかった思い出とニッコリ笑う母の写真が話し相手の日々。
切なくなります、居ても立ってもいられず・・・早めに帰るべくAirの変更を考えてみたり・・・

そして・・・弟より呆れたメールが届きました。失礼、安心できるメール、と言わなくては。
「どうやら、お友達と出かけていたようです。数年前にやはり奥さんを亡くされた幼馴染と中国へ。」
お〜バ〜カ〜〜〜〜〜!行くなら行くと一応は知らせて下さいッ!

父に改めて、連絡を取ってみました。思ったより元気そうな声、でも・・・心は毎日が雨模様。
「お〜のれちゃん。大丈夫だ、元気だぞォ。だけどな、やっぱり寂しい・・・
 1人でいるのが辛くなって、**に言ったら誘ってくれたんだ、気晴らしにどうか?って。
 写真を持って、一緒に行ってきたぞ、ほら何て言ったか、いつもアイツが使っていた刺繍のハンカチ、
 買ってきたんだよ。お仏壇に置いて・・・使う人もいないのになァ、ハハハハ(泣)」
「・・・お父ちゃま、スワトウ、お土産に買ってきてあげたの?大好きだったものね。
 もうすぐ帰るから、見せてね、ハンカチ・・・でも、出かけるなら必ず誰かにちゃんと言ってから、
お出かけして下さい。たださえ、心配なのに連絡取れないともっと心配なのよ。」

父の傷心旅行・・・センチメンタルジャーニー イン チャイナ

公的なお出かけも私的な旅行も2人で行っていました、アジア、中北米、ヨーロッパ、中東などなど。
上海、大連、蘇州、母が行きたかった場所。知ってか知らずか、父が行ってきた場所。
モロッコ、インド、母が何度でも行きたいと行っていた場所、父にはキツイ旅行だった場所。
モンゴル、ペルー、母は行きたい、父は二の足、果たせなかった場所。

これから、ツレのいない旅を父はどこへ・・・ イメージ 2

もうすぐ、実家に帰ります、短期間だけれど・・・父、弟そして私、もちろん母も傍に、きっと。
春のお彼岸の頃、桜は満開ではありませんでしたが、ポツリポツリ膨らんだ蕾と小さな花を見られました。Sinには季節がない、当然の事ですが桜が見られるハズもありません、不満いっぱいの私。

お寺の参道脇には桜の樹があり、そこでのひとコマは一生の思い出になりました。

のれ母「そんなにSinでも見たいのなら、お寺さんにお断りして少し枝をいただいたら?」
のれ父「写真を撮ってあげるから、それで我慢しておきなさい。こどもじゃああるまいし。」
のれ 「やっぱり持って行きたいわ、お母様お願いしに一緒にいってね。」
のれ弟「のれちゃん、ちゃんと持っていけるの?検疫は大丈夫なんだっけ?」

そんな遣り取りの後、母が少し高くなっている場所に登って届く範囲の枝を選んで折ってくれました。
ティッシュに水を含ませて手拭に包んで私にくれたのです・・・お墓参りをした日の事でした。
翌日、私はいつも通りにしているとTaxiを呼んであるから、と母から言われました。駅までなら歩けるし大きな荷物は空港に送ってあります。不思議に思うと、桜を持って手荷物も持って歩き回るのは少ない方がいいから、と。車に乗り振り返るとずっと母が立ったまま手を振っているのです。ふいに何故か涙が込み上げてきました。
霞ながら小さくなる姿を見続けていた私。
これが今生の別れになってしまうなんて夢にも思わずに・・・

生まれつき心臓の弱かった母は60歳を過ぎてから腎不全とも付き合わなくてはならず、ちょっとした風邪でも用心して入院していました。今回もそうだったのですが父も母もいつもの事だから、と敢えて私に帰るようには言いませんでした・・・迂闊にも私もそう思い電話で話す程度。ただ、主人だけは帰りたかったら帰っていらっしゃい、と言ってくれましたが私は特別気にもせずにいたのです。

そして、母は病院で点滴の間に全く苦しむ事なく、付いていた看護士さんも気付かないほどに静かに自然に逝きました。連絡を受けた父と祖母が駆けつけた時は蘇生のためにアレコレと手を尽くしている最中だったそうで、誰とも言葉を交わす事無く母の人生の終焉の時は訪れたのです・・・


私が戻るまでは、と父は病院に頼んでくれていました。冷蔵保存とでも言いましょうか、着物に着替えが済んでいる母は冷たいけれどその顔は命がないとは思えないほど穏やかで微笑んで眠っているかのようでした、いつもの母の寝顔そのもの。部屋に運ばれてから周囲の計らいでしばしの間、母と二人になれました。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」言い続けて泣くしか出来ない私です。身体をさすっても温かみは戻りません、わかってはいるけれど、そうせずにはいられなかったのです。どれ位そうしていたでしょうか、いたたまれなくなったのか父が側に来て「もういい、誰もお前の事を責めたりはしない、お母様だってそうだろう。」その声には力はなく、感情も薄れているかのように微かなものでした。

父と弟、私そして冷たく横たわる母・・・あの時、桜の樹の下にいた家族がやっと揃ったのでした。

私から生涯消えることのない日、思って偲んでいくあの時・・・
これから桜の季節には枝を手折ってくれた母の姿、家族全員での語らいが真っ先に浮かぶのでしょうか。
華やぐ季節の到来を告げる桜、満開でも散り際でもない蕾の桜・・・それは母とのお別れの標。

蕾の桜は「さようなら」でしたか?

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 次のページ ]


.

ブログバナー

のれそれ
のれそれ
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

楽しい生活百科

世界は素敵!

うさぎ追いし、かの山〜

Show me〜教えて〜

これは!プロフェッショナルな?!

標準グループ/What!?

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事